- [はじめに]
- [あらすじ]
- 予告編から号泣、その理由は
- 映画の感想
- クーパーは次世代のイーストウッドに・・・
- アリーとジャックは、現実にいるレディーガガとクーパーと同じ
- 全てが映画的演出でできている。
- なぜMaybe It's Timeを冒頭に歌ったのか?
- ブラッドリー・クーパー様へお伝えしたいこと
- レディー・ガガ様へお伝えしたいこと
- 相互補助の関係性は、永遠の夫婦のテーマ。
[はじめに]
今回公開する映画はこちら!
「アリースター誕生」
アリー、この予告を何度見たことか、、、見るたびに泣いちゃってんだよなぁ、、
なんなの、この催涙現象。。。
それでは「アリースター誕生」、感想・解説、ネタバレありでいってみよー!!!!
[あらすじ]
・歌の才能を見いだされた主人公がスターダムを駆け上がっていく姿を描き、1937年の「スタア誕生」を皮切りに、これまでも何度か映画化されてきた物語を、新たにブラッドリー・クーパー監督&レディー・ガガ主演で描く。音楽業界でスターになることを夢見ながらも、自分に自信がなく、周囲からは容姿も否定されるアリーは、小さなバーで細々と歌いながら日々を過ごしていた。そんな彼女はある日、世界的ロックスターのジャクソンに見いだされ、等身大の自分のままでショービジネスの世界に飛び込んでいくが……。世界的歌姫のガガが映画初主演でアリー役を熱演。もともとはクリント・イーストウッドが映画化する予定で進められていた企画で、「アメリカン・スナイパー」でイーストウッドとタッグを組んだクーパーが初監督作としてメガホンをとり、ジャクソン役でガガとともに主演も果たした。
予告編から号泣、その理由は
映画の感想
クーパーは次世代のイーストウッドに・・・
はい、全て鑑賞を終えたMachinakaです。
普段ならバカになってフォオオおおお!!とか言うんですけど、この映画は真面目に語らないといけないと思ってます。なんか、襟が正されるというか、、 ということで、真面目に語る前に最後に言っておきます!!!
もうメチャンコ大傑作だったよぉぉおおおおおおん!!!!
ポォォォォおおおおお!!!!
むおおおおおおおんん!!!!! ガガとクーパーの演技にメチャンコ感動したし、歌が上手いし、とにかくラストがやばいいいいいいいってぇぇぇ!!!
あの歌は、二人の愛の結晶なんだよおおおお!! 歌は、語り継がれていくものなんだよおおおおおお!!!!!
I'll never love again!!!
サイコおおおおおおおお!!!
もうまじ泣けてやばい!!!
俺はクーパーになりたいのだ!!!!!!
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今作の評価の中に、「クーパーは次世代のイーストウッドになれる」といった、クーパーとイーストウッドを絡めた評価がなされることが多かった。
それもそのはず。そもそも今作の企画は、最初はイーストウッドが監督するはずだったのだ。しかし彼は他作品で忙しく、ちょうど「アメリカンスナイパー」で仕事をしていたクーパーに、監督を委ねたのだ。
クーパーとイーストウッドは 師弟関係にあるらしく、イーストウッドの次回作にもクーパーは出演する予定だ。
クーパーが今作のヒロインにレディー・ガガを起用したいと言ったら、イーストウッドは猛反対したという。ちなみにイーストウッドはビヨンセで映画を作ろうとしたらしい。ビヨンセは少し、派手すぎる印象ではあるが。。
しかし、イーストウッドは今作を見て、「俺のアドバイスは間違っていた」と言ったらしい。師匠が弟子を超えた瞬間、なのかもしれないー。
なぜなら、イーストウッドは早撮りの名手。彼の決断はいつも間違わない。その判断の正確性と自信は、「ハドソン川の奇跡」に集約されている。
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だから、レディーガガでやるということに反対した。その決断は、正しいようにも見える。
しかし今作はイーストウッドの正しすぎる決断を捻じ曲げるほどの力強さがあった。事実、そうなった。そして、アカデミー賞授賞式で、彼は次世代のイーストウッドになっていくのだろう。
アリーとジャックは、現実にいるレディーガガとクーパーと同じ
そもそも何故、ガガで撮ったのか?
それは、現実にクーパーがレディーガガの歌声に惚れたから。
それも、CDやネットでなく、ライブパフォーマンスを見て惚れたらしい。ガン研究の資金集めのためのパーティにガガとクーパーが偶然同席しており、ガガのパフォーマンスに圧倒され、翌日にエージェントを通じて面会したという。
これはまさに、今作のアリーとジャックの出会いのきっかけと同様なのだ。ちなみに、クーパーは監督だけでなく脚本も担当しており、この出会いのシーンは完全に現実の自分の実体験をベースにしている。
ドラッグと酒に溺れ、辿り着いた先にドラァグクイーンのバー。どん底のクーパーに、一輪の花が咲く。
アリーが歌っていたフランス語の歌のタイトルは、「人生はバラ色」。まだスターになっていないのに、バラ色の人生でもないのに、そんな華やかな歌を歌う哀愁に、クーパーだけでなく私の心も完全に持って行かれた瞬間だった。
全てが映画的演出でできている。
自身の実体験を映画に盛り込むのは簡単だが、どうやって演出するかが大事なところ。
しかし今作は、あまりにも完璧な映画的演出で自分のビジョンを完全に映画として表現して見せた。
最初のシーケンス。ガガがゴミ袋を捨て、小さな声で歌いながら汚い道路を歩くシーン。
どこかで見たことあるような映像。そうだ、これは「マイフェアレディ」だ、と妙に腑に落ちる瞬間があった。
そしてアリーと出会い、化粧を落とすシーンにも脱帽した。泣いた。あれはレディー・ガガの本性を知るために、心の化粧を落として欲しいと伝えたかったようにも見える。
しかし、ただセリフではただ化粧を落としていいかな?と言う。これぞ映画的演出。
ちなみに、化粧を落とすシーンには裏話があって、実際にレディー・ガガとクーパーが二人で話していた時に、クーパーが突然化粧落としペーパーを渡して「化粧を落としてくれないか?」と言ったらしい。
クーパーはアクターズ・スタジオに通っていたメソッド演技の申し子であるが、もう撮影中は現実と映画の境目がなかったのだろうか? あるいは、レディー・ガガにより良い演技をさせるためにやったことなのか? 真相はわからない。
なぜMaybe It's Timeを冒頭に歌ったのか?
そして何より、今作の歌の力は半端なものじゃない。
レディー・ガガはもちろんのこと、クーパーの歌が凄まじい。
彼はカントリー・ロック?カントリー・ブルース?のような、カントリーソングだけじゃない力強さがそこにはあった。
そして最も特筆すべきところは、アリーとジャックの歌は単なる歌になってないところだ。いや、単なる曲じゃないというか。
歌で、自分の本音を吐き出しているのだ。その瞬間、文章は詩になり、音が歌になる瞬間だと思う。
セリフだけでは、アリーとジャックの関係性を語ることが決して出来ない内容になっているのが実に素晴らしい。
- アーティスト: レディー・ガガ,ブラッドリー・クーパー
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- 発売日: 2018/11/07
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ジャックが歌う「Maybe It's Time」は、まさしく彼の今までの人生を語る内容になっている。
「もうそんな時代じゃない。昔のやり方はもう消えるんだ。」と言いつつも、歌っている歌は昔ながらのカントリー・ロック。
彼は父親に傾倒し、自身も酒に溺れミュージシャンになっている。そして、最後の最後まで、彼は父親=昔の生き方をしようとする。
曲で言っていることと、実際の彼の行動が乖離している。
曲のテーマと自分との乖離。この矛盾こそが、いつまでもクーパーを苦しめ続けることになる。
そして最後に酒を飲み、薬に溺れ、父親のやり方と同じように、首を吊って死んでしまう。
ところで、冒頭のシーンをよく思い出して欲しい。まず最初に映ったのは薬(ステロイド)、次に酒をグビッと飲む。
そしてライブで「Maybe It's time let the old way die」=「昔のやり方は消え去るのだ」と歌う。
これはまさに、ジャックの最期を暗示していたのではないか?と思う。実は冒頭に、ジャックの死期を誘っていたのだ。
昔のやり方に傾倒し、最後の最後まで父親の影を追っていた。つまり昔のやり方に固執していたものは、消え去ってしまう。
これこそ、彼の死を暗示させる曲になっていたのだ。
なんだか、書いていたら曲を思い出して泣けてしまって仕方ない。
ブラッドリー・クーパー様へお伝えしたいこと
クーパー様。
まさか、この映画でもハングオーバーしているとは思いませんでした。
でも、撮影時は酒を一滴も飲まなかったんですってね。本当に飲んでいるようにしか見えない演技。最後に自殺する直前でのどアップで無言のシーンは、もう涙なしでは見れませんでした。
あなたに惚れました。
あの酒焼けした声も、兄のサム・エリオットに合わせるためにやったんですってね。もう、本当に心配になってしまいます、あなたのメソッド演技。でも、大好きです。
イーストウッド監督と比べたくなんかない。でも、どうしてもこっちは比べてしまうんです。あのしゃがれ声、険しい表情、顔のどアップの演出、、どれも素晴らしく、イーストウッドを彷彿とさせるのです。
渋い顔して酒とタバコと車を愛し、昔のアメリカを懐かしむような姿は、まるで「グラントリノ」のようだな、と。勝手ながら思ってしまいました。
レディー・ガガ様へお伝えしたいこと
レディー・ガガ様。
アカデミー賞パフォーマンスの時から、圧倒されていました。
あなたがQueenを好み、「Radio GaGa」から自分の芸名を撮ったことは聞いております。
最近ボヘミアン・ラプソディを見て参りまして、そこでのRadioGaGaは感服いたしました。
ちなみに、ボヘミアン・ラプソディの感想はこちらです。
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ガガ様、どうかブログの宣伝をお許しください。でも、ガガ様なら許してくれると思ったのです。
あなたの作った曲のどれもが、実に素晴らしかった。。
そして演技も。
最初は「歌手が演技だって?」と疑問に感じてる部分もありました。
絶対に喜怒哀楽を表現できるわけない、と。
終始、「ポーカー・フェイス」のような棒演技なのかなと思っておりました。
しかし、その予想は見事に裏切られ、ガガ様の演技に圧倒されている自分がいました。
これからも映画界を、芸術界を盛り上げてください。
相互補助の関係性は、永遠の夫婦のテーマ。
最後に、これだけは言っておかなければならない。
レディー・ガガを映画の世界に誘ったのは、クーパーだ。
しかし、クーパーを音楽の世界に誘ったのは、レディー・ガガである。
実際に、今作の曲は全てレディー・ガガが作っているし、クーパーは監督を務めている。
お互いの得意分野・苦手分野を補い、一つの映画を完成させたのである。
そしてこの相互補助の関係は、夫婦にも当てはまる。
人は決して一人では生きていけない。ジャックとアリーも同じ。
お互いが寄り添い、生きていく。これぞ永遠の夫婦のテーマであり、永遠の人のテーマであると感じる。
以上、しんみりした文調であったが、久しぶりにきちっとした考察ができたと思う。
普段のわんぱくな文章を見たい方は、今作と同じ日に鑑賞したこちらの記事を読んでほしい。
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以上