- まえがき
- あらすじ
- 「クライ・マッチョ」のネタバレありの感想と解説(全体)
- 巨匠イーストウッドにしか出来ない突き抜けた抜け感
- マッチョ要素の排除による、彼が目指したパーフェクトワールド
- イーストウッドの作品には「表」と「裏」がある
- まとめ
まえがき
今回批評する映画はこちら
「クライ・マッチョ」
毎回毎回、遺作のように感じるイーストウッド監督の最新作。
正直、「運び屋」でもう終わりだと思っていたのに、いつまで続けるつもりなのだろうか。
ただのエンタメ映画ではない。彼自身の人生が投影されている作品だ。
マッチョを否定する映画、子供と旅をする映画だってのは分かるけど、なぜ今になってこんなロードムービー日を作ったのだろう。
それでは「クライ・マッチョ」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・「許されざる者」「ミスティック・リバー」「アメリカン・スナイパー」など数々の名作を生み出してきたクリント・イーストウッドが監督・製作・主演を務め、落ちぶれた元ロデオスターの男が、親の愛を知らない少年とともにメキシコを旅する中で「本当の強さ」の新たな価値観に目覚めていく姿を描いたヒューマンドラマ。1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュによる小説を映画化した。かつて数々の賞を獲得し、ロデオ界のスターとして一世を風靡したマイク・マイロだったが、落馬事故をきっかけに落ちぶれていき、家族も離散。いまは競走馬の種付けで細々とひとり、暮らしていた。そんなある日、マイクは元の雇い主からメキシコにいる彼の息子ラフォを誘拐して連れてくるよう依頼される。親の愛を知らない生意気な不良少年のラフォを連れてメキシコからアメリカ国境を目指すことになったマイクだったが、その旅路には予想外の困難や出会いが待ち受けていた。
「クライ・マッチョ」のネタバレありの感想と解説(全体)
試写にて「#クライマッチョ」鑑賞
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2021年12月21日
予告やポスターの暗い印象はどこ吹く風。王道のロードムービー。塩ラーメンのような味で、(50年の)シメにはちょうど良い。
齢90を超えても決して驕らず昂らず。最低限の自省と教訓を携えて、ただただ真っ直ぐの道を進むミニマムな104分。#ありがとうイーストウッド pic.twitter.com/lTUXcEjLqK
巨匠イーストウッドにしか出来ない突き抜けた抜け感
これほど軽やかなイーストウッド作品も珍しい。
彼の最新作はいつも遺作のように感じてしまうのだが、今回はより遺作感が出ていて身を案じてしまうほどだった。
予告編の壮大でスリリングなイメージとは打って変わって、非常にフラットに話が進んでいく。
悪い言い方をすれば、分かりやすい見せ場というものが存在しないのだ。
アメリカに住む元カーボーイが、仲間の孫を連れて帰るためにメキシコへ赴く。
孫のラフォは闘鶏を生業とする少年であり、母親は屈強な男たちを従える財産家だった。
イーストウッドに立ちはだかるラフォの妻、そして彼女が送り込んだ刺客が国境を阻む。果たして彼の行き着く末とは・・・!?
と、プロットを書くとスリリングな展開に見えるのだが、非常に安心感を持って鑑賞できたのが本音だ。
道中で巻き込まれるトラブルも、彼が老人ということで屈強な男たちには相手にされない。これは前作「運び屋」から継承していることだ。
イーストウッドが戦えない以上、誰が戦うのか。孫のラフォか?いや、違う。
今回はほとんどバトルが見られない。激しい銃撃も、ステゴロもない。駆け引きさえもスリリングではない。
危険「そうな」雰囲気は漂うけど、それが映画に直接映るわけじゃない。一番危険な行為はラフォの鶏くらいしか思いつかない。
誰かが殺すわけでも殺されるわけでもない。
誰も死なないイーストウッド映画というのは、かなり珍しい方だ。
純粋に「ロードムービー」という枠の中でしか動かない映画で、牧歌的なギャグもあり、今までのイーストウッドを知っていれば驚きを隠せないだろう。
これは断言できるが、10人中6人は不満を漏らすだろう。
「期待していたものとは違った」「もっとスリリングな話かと思った」など、目に浮かぶ反応が来るだろう。
つまらない、と言ってしまう人もいるだろう。
しかし、ここは「つまらない」と一蹴しないでほしい。もっと広い目で、見てほしい。
個人的には、重くなりすぎず笑えて楽しいロードムービーだった!!
マッチョ要素の排除による、彼が目指したパーフェクトワールド
彼はなぜ、ここまでソフトな演出を徹底したのだろうか?
それは、主人公マイク演じるイーストウッドが「マッチョ」要素を排除しているからだろう。
マッチョの定義は人によって様々だが、恫喝のような激しい口調で話したり、何より「力で解決」することがマッチョだ。
今作には、徹底的にマッチョが排除されている。メキシコの街でさえ、過激な銃撃シーンやスリリングな展開はない。
イーストウッドが渋い顔で「男は皆マッチョに憧れる」というが、これがイーストウッドの考える男性観であり、そのまま主人公の性格として投影されてきた。
そして「俺も昔はマッチョだった」というセリフは、過去のイーストウッドのマッチョな役を振り返っている。
イーストウッドの映画を見続けてきた人は、これだけで少し涙腺が緩むのではないか。
そして彼は、役柄だけでなく正真正銘のマッチョであった過去を持つ。
役者になる前、彼はライフガードとして働いており、その後アメリカ陸軍に招集され訓練用のライフガードとして勤務していたことがある。そして、朝鮮戦争にも参加している。
(余談だが、その時に自身の登場していた戦闘機が海に墜落する事故を経験している。)
彼の人生は間違いなくマッチョで始まっている。彼は役柄だけでなく、自身の半生を振り返っているのだ。
そして、彼が監督する作品の主人公たちは、分かりやすいマッチョキャラではなかった。
序盤は暴力的でマッチョなキャラクターが、物語の進展とともにマッチョではなくなっていく、そういう展開が多いように感じる。「パーフェクトワールド」も「グラントリノ」もそうだ。
彼の作品は、常にマッチョなようでマッチョを否定する作品が多かったのかもしれない。
今作には、マッチョだった頃の主人公はカーボーイの映像でしか記録されておらず、それ以降は90歳の老人としての佇まいを維持する。
もう、マッチョ要素はどこにもない。
そして、今作を見て改めて思ったのが「映画を面白くするにはマッチョ要素が大切」ということ。
剣戟、銃撃、格闘技といったアクション要素は今作には無く、生死の駆け引きすらない。
唯一の見せ場としては、孫のラフォの鶏がラフォ妻の刺客を迎撃するところくらいだ。鶏が一番動くのだから、非常にユニークな映画だ。
そういう意味では笑える映画なのだが、皆がイーストウッド映画に求めるのはマッチョ要素の方ではないだろうか?
マッチョな映画が好きな人たちが、イーストウッドの映画を見てきたのではないだろうか?
だからこそ、今作の徹底したマッチョ要素の排除はビックリした。「運び屋」よりもソフトで、少しヒヤヒヤするロードムービー程度だったのだから。
そう考えると、イーストウッド映画で定番になっている、銃を抜くか抜かないか(撃つか撃たないか)の駆け引きが、いかに映画の面白さに貢献していたかよく分かった。
今作に落胆したり失望したりする人は、おそらく「ノータイム・トゥーダイ」も否定しているかもしれない。
今までのイーストウッド作品とは決定的に異なるテイストだったからだ。
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イーストウッドの作品には「表」と「裏」がある
イーストウッド映画には「表」と「裏」がある。
「続夕日のガンマン」と「許されざる者」
「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」
と言ったように、2作が対極の関係になっていることが多い。
そして今作は「パーフェクトワールド」との関連性が高い。
「パーフェクトワールド」が表、そして今作が裏だ。
マッチョな主人公ケビンコスナーは、次第にマッチョ性を失っていき、最後は涙なしに見れないナイスガイを演じる。
これが皆が思い浮かべるイーストウッド映画の展開だ。
「アメリカンスナイパー」も、同様のキャラクター変化がある。
そして今作は「裏」のため、主人公は既にマッチョではなく静かな生活を送っている。
ちなみに、「パーフェクトワールド」の最後では、「メキシコの国境で子供を返す」という台詞すらある。
やはり、今作とパーフェクトワールドの関連性は高い。むしろ、この台詞を再現するために今作のラストを考えたのか?(考えすぎ)
「パーフェクトワールド」はマッチョな男と少年が絆を深める物語
そして今作は、マッチョだった男と少年が絆を深める物語
ぜひ表の「パーフェクトワールド」もご覧いただきたい。
まとめ
正直、分かりやすく面白い話ではない。
元マッチョがマッチョに憧れる少年に人生のイロハを教えるロードムービーだが、あまりにも分かりやすい見せ場がないからだ。
しかし、イーストウッドという人柄と彼の作品を見続けた人にとっては、たまらない内容になっているはずだ。
90点 / 100点