こんにちは!
Machinakaです!!
この記事では、「Fukushima 50」のネタバレあり感想解説記事を書いています。
目次
まえがき
今回批評する映画はこちら
「Fukushima 50」
2011年3月11日からほぼ9年後の2020年3月6日に公開される本作。
インディーズを中心に、これまで多くの3.11に関する映画が公開されてきたが、ここまでメジャーに、そして直接的に当時の福島原発の様子を描いた映画もないだろう。
何より、世論で散々叩かれてきた原発の管理者・作業者たちを主人公にしたのも、これまでなかった視点だ。
都内ではあるが、当時311を直に経験した身として、また一映画ファンとしては見逃せない作品であるのは間違いない。
津波の描写はどの程度なのか?
メルトダウンした時の描写は?
放射能の描き方は?
政府の描き方は?
原発の管理者たちを主人公にしているが、彼らの決断を是として描くのであれば、観客にどのような説得力を持たせてくれるのか?
映画の中だけでなく、外側をどうしても意識してしまい、また自身の経験や当時の世論も踏まえて考えたくなる映画。
・・・と、どうしても真面目に見てしまう自分がいる。
あまりに真面目な題材で役者もオールスターのため、娯楽性が一切なく無難な映画に仕上がってしまうのではないかと危惧しているのだが、実際のところはどうなのだろうか?
それでは「Fukushima 50」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故で、未曾有の事態を防ごうと現場に留まり奮闘し続けた人々の知られざる姿を描いたヒューマンドラマ。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走するが……。現場の最前線で指揮をとる伊崎に佐藤浩市、吉田所長に渡辺謙という日本映画界を代表する2人の俳優を筆頭に、吉岡秀隆、安田成美ら豪華俳優陣が結集。「沈まぬ太陽」「空母いぶき」などの大作を手がけてきた若松節朗監督がメガホンをとった。
eiga.com
「Fukushima 50」のネタバレありの感想と解説(全体)
様々な制約がある中で、今の日本で、よくぞここまで描いてくれた!
東電や政府をはじめ、当事者の立場から描いた3.11の物語は、熱意と信念が結集した心に刺さる良作でした!
映画のすべてが真実ではない、映画のすべてを鵜呑みにできない。
東電と政府の決断が正しかったのかは、分からない。
しかし、総理を含め当時現場で必死に働いた人々の熱意がそこにはあった。
誰にとっても未曾有の国難に立ち向かったヒーローが、そこには立っていた。
誰もがあの時、不安と不満を持っていた。しかしそれは、権力者にとっても「同じ」だったとあえて言いたい。
再び311を思い出し、考えるためにも。
そして、コロナウイルスで再び国難が押し寄せている今だからこそ見るべき作品。
それでもあなたは、誰かを責めますか?
※これ以降、あくまで映画の感想・解説として震災、原発事故、津波などの描写を書いています。あらかじめご了承ください。
一種のパニックムービーに仕立てた冒頭は◎
映画が始まってすぐ、間髪を入れずに震災が発生し原発の対応に追いやられる東電職員の姿が映し出される。
普通の映画であれば、主人公たちの日常の生活など、バックボーンの描写に時間をかけがちなのだが、一切の背景描写を後回しにしてしまう。
同じく実録モノの事故映画としては「バーニングオーシャン」が記憶に新しいが、こちらは事故が起きるまでをたっぷり時間を使って描いている。
本作はそんな余裕さえトリミングし、ある種のパニックムービーのような始まりで観客の心をざわつかせる演出は、映画のツカミとしては成功しているとしか言いようがない。
原発管理施設内の地震を描いた直後、原発の様子を確認するため奔走する職員たち。
いかに原発を守り抜くかという、映画におけるマクガフィンをものの開始数分で提示し、映画の目的を簡潔に説明する。
これは映画にとっていかに大事なことか。。ダラダラ生ぬるい描写が多い邦画の中、一線を画す冒頭をよくぞ見せてくれた!
そして何より、特筆すべきはオープニングクレジットが登場するタイミングにある!
一連の地震の後に津波に飲まれる原発。そしてオープニングクレジットの「Fukushima50」が流れる。
これ!これだよこれ!!
と思わず唸ってしまう完璧なタイミング。
背景に写っている「津波」「原発」を上書きするように「Fukushima50」という文字が入ることで、Fukushima50=原発に立ち向かった勇敢な人々が原発と津波の上に立っている=戦っているような視覚効果を想起させる。
このワンシーンが、全てを物語っている!!
不謹慎と思われるかもしれないが、オープニングの切れ味こそ映画の良し悪しを決めるもっとも重要なもの。
余計な説明描写を省略し、最短距離かつ大胆にオープニングを描いたのが素晴らしい!
パニックムービーと思われたっていい。
佐藤浩市が出ると重厚な人間ドラマと相場が決まっているのだが(勝手な偏見)、その定説を覆してくれたのも良かった。
参考にしたのは、あのゴジラか?
原子力にまつわる映画ということもあり、本作はゴジラと類似する点が多いのが特徴だと感じた。
メルトダウンしそうになる原子炉を「冷却」するというのがミッションであることも、「シンゴジラ」にてゴジラを倒す方法と酷似する。
官邸の動きも描き、かつ群像劇的に見せているのも、シンゴジラを彷彿とさせる。
www.machinaka-movie-review.com
ただ、何より本作は1953年版の「ゴジラ」に大きな影響を受けていると感じた。
総理が原発事故の原因やベント工法の説明を専門家から受けているくだりは「ゴジラ」にもあり、パワーポイントなど電子資料も使える中であえて紙媒体で専門家が説明しているのも、昔のゴジラを思い出す。
何より、両方とも原子力の事故から始まるところも、「ゴジラ」と似ているように感じた(「ゴジラ」では水爆の事故から始まる)
ゴジラ
- 発売日: 2014/04/23
- メディア: Prime Video
権力者の立場である政府と東電の描き方
内閣を中心とした政府と東電の描き方も素晴らしい。
本作は復興庁の協力や、文化庁から補助金を支援してもらって製作している。映画製作と政治は切り離して欲しいが、本作で描かれる内容や登場人物が政府寄りなだけに、どうしたって忖度を考えてしまう。
しかし、権力に媚びることなく限りなく真実に寄せた演技や展開を、本作で見せてくれたことに心から感謝したい。
同じく事実に基づき発電所を描いた日本映画としては「黒部の太陽」がある。
この作品はあまりにもドラマ要素が多すぎて、というか石原裕次郎のドラマパートに熱が入りすぎて、リアルな人物とは思えない作りになっている。
黒部の太陽
- 発売日: 2017/12/28
- メディア: Prime Video
今作は誰を善、誰を悪と決めつけずその両面を描き、ヒューマンドラマの要素を限りなく排除し群像劇的に描くことで、よりリアルな人物の描写に成功している。
主役の渡辺謙・佐藤浩市は現場で苦しむ弱者、、ではなくあくまで力を持った権力者的な部分も見せることで、当時の原発事故の記録音声と重なる。
きわめつけは官邸にいる要人の描き方。総理大臣をクローズアップし、暗い影を作ることなくクリアなライティングで移すことによって、総理が必死に問題を解決しようとする姿勢・・を演出しようとする姿勢がよく伝わってくる。
原発事故のニュースを散々見てきた人たちは、よくよく考えて欲しい。
あの総理を本作では「熱意をもって」に解決に「尽力」する人物として見えるように描いているのだから!!
ただ、その熱意ゆえに現場に足を踏み入れてしまい、かえって東電の作業を妨害しているようにも見えるのも、人物の善・悪を両方描いていることの証左であるだろう。
これもまたニュースで見た出来事と重なるから、面白い。
・・・余談だが。
内閣総理大臣を演じる佐野史郎の怒りに満ちた演技や行動は、ニュースで見ていたあの総理を思い出させてくれる。
あれだけ四国八十八箇所巡りをしたのになぁ、、アンガーマネジメントはできないんだなぁ、、とリアルな総理を思い出してしまう。
また、官房長官を演じた金田明夫さんの方は、見た目があの総理に激似。会場からは思わず笑いが漏れていたのも印象的な出来事だった。
失礼な物言いなのは分かっているが、ホクロの位置がおでこにあったら、これはもう、、、あの人じゃないか。
佐野史郎は人格、金田明夫は見た目を類似させることで、リアルな総理を多元的に描いていたのも、少しユーモアを感じさせる描写だった。
あくまで映画は「物語」である
冒頭、「実話に基づく物語」とテロップが入る。
まるで実録洋画の冒頭に流れる「Based on a true story」の直訳のような日本語に、本作は海外向けにも作られているのだと感じることができる。
また、3月11日午後2時46分という、日本人なら誰しも覚えている日付をあえて文字で示すあたりも、海外に出しても違和感がないように配慮したものだろう。
ここで興味深いのは、「実話」ではなく「実話に基づく物語」と明記していること。
映画には脚色がつきものであり、決して全てが真実でないことを冒頭に宣言しておくことで、これから描かれる物語と事実とが決別ができたように感じる。
これを入れなかったら、我々はどうしても実世界の原発事故を重ね合わせてしまうし、映画とのギャップに辟易してしまう。
日本に住む者であれば、ただでさえ個人の体験が投影される題材であるだけに、こうしたテロップは確実に必要だと改めて認識した。
この映画について、いろいろ文句が出るかもしれない。
事実と違うとか、もっと総理や東電を描くべきだ、とか。
ただ、繰り返すが本作は「事実」ではなく「物語」を描いている。
物語にはテーマがあって、テーマのために脚本がある。脚本のために、事実を脚色することがあることを、知ってほしい。
本作で「物語」を強調する身として、今一度本作のテーマを説明しておきたい。
本作はタイトルにある通り、Fukushima50という人間たちを描いたドラマが中心の物語だ。
そして、人と人とが繋がり合い、立場や国籍を超えてワンチームで国難に立ち向かっていくことがテーマだと感じる。決して原発の真実を描くのがテーマではない。
まとめると、本作は
「原子炉が溶けるのを防ぎながらも、人々が打ち解けていくための映画」と捉えてほしい。
未曾有の原発事故に対して、アメリカや日本も関係ない。政府と東電も関係ない。
国難だからこそ、誰を責めるわけでもなく、課題解決について全力で取り組むべきなんだよ。
誰を悪者にしても、なんの解決にもならない。人と人とが支え合い、協力し会うしかないんだよ。
監督の前作「空母いぶき」でも印象的だった「様々な立場の人を群像劇的に描く」演出が、本作でようやく活かされたように感じる。
www.machinaka-movie-review.com
まとめ
思わずハッとさせられたのは、原発内で起きた「マスク不足」の騒動。
ただでさえ(放射能を防ぐ)マスクが不足している中で、総理大臣の一行が現場に来てしまうことで、余計にマスク不足になることを渡辺謙演じる本部長が嘆いていた。
「おい総理!勝手に来んじゃねぇ!!」
「マスクしてなくてアイムソーリーとか言ってる場合じゃねぇんだぞ!」
と総理に対してイライラしてしまうところも、今の日本とどこか通じる部分がある。
原発とコロナでは種類が違えど、同じく国難の時にはマスクが不足するんだなぁと、今の日本と重ねてしまった。
そういや、今国会でもマスクはあまり浸透してないようで、なぜ議員はマスクを付けないのか不思議でしょうがない。。
このマスク騒動は予め狙ったことではないが、くしくも、今のマスク不足と重ねて見てしまう自分がいた。
そんな今と重なる映画だからこそ、是非とも本作を見てほしい。
パニックムービーとして見るのもよい。それこそ、映画というメディアの醍醐味なのだから。
ただ、そんな始まりであっても本作は最後に大きな感動が待っている。
ラストで実際の福島を見せながらもジャンプカットで佐藤浩市につなげるシームレスな編集で、これまで「物語」として見ていた福島と現実の福島が重なり、否が応でも現実に引き戻される。
そして本部長の吉田所長が亡くなった事実を伝えるとともに、最後のメッセージに思わず息を飲むことは間違いない。
まだ震災は終わってない。復興も終わってない。
最後に、東日本大震災で被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。
89点 / 100点
以上です! ご覧いただきありがとうございました!