- はじめに
- あらすじ
- 映画の感想
- 紛れもない反終活映画。いつの時代も、イーストウッドは花を咲かせる。
- ドキドキ・ハラハラするエンタメはイーストウッドの特色
- イーストウッド自身の実話物語
- なぜ園芸家をやったのか?
- なぜ運び屋を題材にしたのか?
- ジェームズ・スチュワートとは? なぜ似てると言われたのか?
はじめに
今回公開する映画はこちら!
「運び屋」
それでは「運び屋」、感想・解説、ネタバレありでいってみよー!!!!
あらすじ
・巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をもとに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンク。イーストウッドは「人生の特等席」以来6年ぶり、自身の監督作では「グラン・トリノ」以来10年ぶりに俳優として出演も果たした。共演は、アールを追い込んでいく麻薬捜査官役で「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパーのほか、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシアら実力派が集結。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも出演している。
映画の感想
紛れもない反終活映画。いつの時代も、イーストウッドは花を咲かせる。
イーストウッドが御年90歳間近ということもあり、正直言って「終活映画」的な内容かと思っていました。
日本じゃねぇ、舘ひろしさんが終活映画に出てるくらいですよ。あのシルベスター・スタローンも、「クリード2」でロッキーとしての引退宣言をしたよ。
www.machinaka-movie-review.com
じゃあイーストウッドはもう、終活してもいでしょう。
もう十分映画に出たよ。色んな演技をしてくれたよ、監督もしてくれたよ、素晴らしかったよ。
「イーストウッド、お疲れ様。」
そんな言葉を掛けようとしましたが、映画を見たあと、まるで考えが変わってしまいました。
確かに見た目はもうヨボヨボのおじいちゃんです。あんなにゆっくりゆっくり動くイーストウッドは見たことがありません。
そして何より、一度も銃を握らないイーストウッドを、初めて見たかもしれません。
等身大の90歳、そして等身大の自分を演じるイーストウッドを見ていると、自然と涙が溢れてきました。
そして、エンドクレジットで歌っているトビー・キースの「Don't Let the Old Man」。これがトドメだった。もう涙腺が崩壊して、泣きじゃくってました。
だって、最初の歌詞が「Don't let the old man in, I wanna leave this alone」=「老いを迎合するな、少しでも生きていたい」なんですよ。
これが今作のテーマ=監督が伝えたかったメッセージなんだと思います。
Toby Keith - Don't Let the Old Man In (The Mule)
彼自身が一番感じていることなんでしょう。90歳で映画を撮り続け、やりたいことがいろいろ見つかってもいる。
まだまだやりたいことはある。少しでも長く、生きていたい。映画本編では直接的に伝えない代わりに、この歌で「生への欲求」を伝えているように感じました。
まぁ「性への欲求」も衰え知らずかもしれませんがw
ただ、ここまでイーストウッドが自身の生と死について考えることは、これまでなかったのではないでしょうか?
「老いを迎合するな」というメッセージで言えば、同じくイーストウッド監督・主演作「スペースカウボーイ」でも描かれていたと思います。
もちろん、「グラントリノ」でも「老ぼれでもヒーローになれる」ことを証明していたように感じます。
ただし、今作のイーストウッドは「老いに抵抗する」とは言わずに、「老いを迎合するな」と言っているのが特徴的で。
つまり、自身で老いを確実に感じ、受け入れてはいながらも、迎合はしていない。そして、少しでも長く生きたいと言っているあたり、自身の死を確実に意識している作品だと思いました。
「スペースカウボーイ」が老いに抵抗し、強い男でありたい願望が詰まった作品である一方で、今作の「運び屋」は老いを認めている。
上記2作の中間地点として、「グラントリノ」が位置付けられているんだと思います。
「スペースカウボーイ」では拳を振りかざし、「グラントリノ」では銃を振りかざしたこともあった。
しかし、もう「運び屋」では何も武器を振りあげないんです。ここまで無抵抗なイーストウッドを、初めて見ました。そういう意味では新境地に達しているのではないでしょうかね。
僕は武器を持たないイーストウッドはほとんど見たことがないので、非常に印象的でした。
さらに、歌に込められていた露骨なまでの生の欲求
ここまで露骨なのも、初めてです。
自身も確実に老いを感じていることでしょう。でも、素直に「まだ生きたい」って吐露する人って少ないと思います。
みんなおじいちゃんになると、「いつでも逝っていいんだよ!」ってギャグにする人も多いですよね。そんな中で、老人の本音を映画という媒体で見ることが出来るなんて、思ってもないことでした。
ドキドキ・ハラハラするエンタメはイーストウッドの特色
物語自体は、イーストウッドのサービス精神溢れるエンタメ溢れるないようになっておりました。
麻薬カルテルとつるむ老人は見ているだけで面白いし、今時「メールが送れない」なんてギャグを入れてきたのは想定外でしたがwww
笑っているうちに物語は麻薬捜査モノに変化し、非常に緊迫感のある警官とのやりとりが頻繁に描かれ、ヒヤヒヤする展開の連続でした。
予告編でも象徴されてましたが、イーストウッド作品の素晴らしいところは「どんな作品でもエンタメ性を確保する」ということに尽きると思います。
自己表現であって、エンタメ性もある。両方の側面を持つ映画は、そうそう作れるものじゃありません。
相変わらずの巧い編集。
運び屋、麻薬カルテル、警察の三つ巴がアツい!! カーチェイスやドンパチが少ない代わりに、麻薬が見つかるかどうか、に焦点を当てたのが、最後まで映画を楽しめる魅力になっていたと思います。
イーストウッド自身の実話物語
映画の序盤では園芸家としての活動に没頭し、ほとんど自宅の描写が映らないようになっているのが特徴的でしたね。
妻や娘にもつっこまれていましたが、彼はほとんど外に出ずっぱりで(園芸という仕事上、というのもあるかもしれないけど)、家庭を顧みなかった。
最初は、「あぁ、まぁ男って大概そうだよねー」と思って見てました。
「もしかしてこれ、クリント・イーストウッド自身の話をしてんのかなぁ」って予想していました。
しかし、中盤で「退役軍人」の施設を訪問したり、「朝鮮戦争復員兵」というワードが。その時、予想は確信に変わりました。
これは、イーストウッド自身の物語である、と。
・・・って、いちいち大文字にするまでもなく、映画を見ている方なら誰でも気づくと思いますww
朝鮮戦争というワードは「グラントリノ」でも出ていたし、彼自身の経験を映画に活かしているのは、監督の特徴でもあるでしょう。
しかし、驚きだったのは私生活についても暴露したところ。イーストウッドは結婚を2回していますが、なんと子供が8人!! しかも腹ちがいの子供ばかりと、あまりに壮絶な性生活を人生を繰り広げてきたのです。
そんなにたくさん子供産んで、離婚して、映画も作ってたら、どうやっても仕事と家庭を両立させることなんて、できません。実際のイーストウッドの子供も、彼とほとんど暮らしたことがない、という人もいるらしいです。
・・・それ、映画でも同じ状況ですけど!!
自分で監督して主演した作品で、自分の家庭状況を振り返るという、驚異の自分映画でもあるんですよね。
なぜ園芸家をやったのか?
彼自身がインタビューで言っていたらしいんですが、今作は「自己表現である」と明言していたそうです。
自己表現のためならば、ワーナーと組まなくてももっと小規模の映画会社でも出来たはず。ミニシアターみたいな場所でアート映画みたいなモノを作っても、自己表現は出来たはず。
でも、イーストウッドの作品は、いつの時代も人を惹きつけ、彼がいるところに人が集まってくる。
彼は日陰でもしぶとく生きる雑草ではなく、日向で元気に咲く花であり続けたいんだと思います。いつまでも、いつの時代も、スターでいたいんだと。
それが今作の園芸家に込められた意味でもあると思いました。
また、園芸家という職業自体、人を惹きつけてやまない華という意味では、俳優の仕事と似ているなとも感じました。
イーストウッドは園芸家を演じましたが、同時に演芸家としてのイーストウッドも表現していたと思います。
序盤の園芸のコンペティションで、イーストウッドに人が群がっているくだり、ありましたね。
あれぞ映画スターですよ。高嶺の花ですよ。
イーストウッドの俳優としての人気ぶりを、花に込めたんだと思います。
ただ、イーストウッド自身が「俺ってすげぇんだぞ!」って自慢したいシーンではなく、あくまで周りの評価を取り入れて表現したんだと思います。そうでなければ、あんなに驚いたり苦笑いしたりしませんよね。
イーストウッド自身としては、「買いかぶりすぎだよ」と思っているのかもしれません。
一番印象的だったのは、娘の卒業式に妻の隣に座るイーストウッドが、妻の「娘が大学まで行けたのは本当に良かったわ!」というセリフに対して「神様のおかげだよ」って返すシーン。
そのシーンのあと、妻が「あなたが神様!?」ってつっこむじゃないですか!?
イーストウッド、周りから神って言われてんのかなぁ、、、、
なぜ運び屋を題材にしたのか?
トランプ政権下のアメリカ。
イーストウッド自身は長らく共和党を支援してきたため、カリフォルニア・ハリウッドのメジャー派とは正反対の政治思想の持ち主です。
ただですね、断っておきますけども、共和党支援だからって人種差別をしたいわけでもなく、メキシコ人をアメリカに入れたくないわけでもないってことです。
イーストウッドの政治思想はリバタリアンと呼ばれるもの。完全自由主義とも言います。説明すると長いのでしませんが、とにかく彼は自由を重んじる。差別がしたいわけじゃない。
ただ、そんな擁護を吹き飛ばすほど、イーストウッドの非白人に対する暴言は目にあまるものがありましたね。
これ、他の映画だと絶対に言っちゃいけないですよ。NGワードになりますよ。ってくらい、今のアメリカでは言ってはならないワードを言っているのが印象的でしたねww
黒人にニグ○って言ったり、スペイン人をバカにしたり。どれもこれも、ポリコレの強い現代アメリカではありえないこと。
イーストウッドがなぜそこまで、人種差別を繰り返しているのか?
それは、古いアメリカの体制を象徴しているからなんだと思います。
昔のアメリカは、みんなあんな感じで差別発言していたよ。って過去の過ちを正直に振り返っているところが、イーストウッドは信用できるって思う瞬間でもありました。
普通の映画なら、絶対にありえないですよ。「グリーンブック」ぐらいの差別表現のバランスが一番いいんですから。
でも、あえて昔のアメリカ人の態度を誇示する正直なイーストウッドは、むしろ誠実ささえ感じました。
そんな態度を取っているイーストウッドでしたが、ただ昔を見ているわけでもないようです。
なぜなら、アメリカとメキシコを行き来する「運び屋」という仕事自体が、麻薬媒介ではありますがメキシコとアメリカの架け橋になっているではないですか!
今のアメリカ・メキシコの現状を象徴するシーンだと思いました。
ジェームズ・スチュワートとは? なぜ似てると言われたのか?
劇中にちょいちょい、イーストウッドが「ジェームズ・スチュワートに似てない?」って色んな人から聞かれてましたよね。
気になる人も、多かったのではないでしょうか?
なぜあんなに唐突に、ジェームズ・スチュワートに似てるって言っていたのでしょうか?
ジェームズ・スチュワートとは、アメリカの俳優であり「平均的な中産階級のアメリカ人」を演じていたそうです。
「素晴らしき哉、人生!」やヒッチコックの「めまい」に出演し、人気ある俳優だったそうな。すみません、昔すぎてあまり見れてないです。。
ただ、それだけじゃ弱すぎる。それなら、あえてジェームズ・スチュワートって言わなくていいじゃないですか。。
で、色んな面から考えて見ました。まずはスチュワートとイーストウッドを比較してみよう、と。
【身長】
イーストウッド:193cm
ジェームズ・スチュワート:191cm
→近い
【生年月日】
イーストウッド:1930/5/31
ジェームズ・スチュワート:1908/5/20
→月日が近い!
・・・・
・・・・
それしかわからねぇよ。。。
と嘆いたのですが、スチュワートが死亡した日付を調べてみると、、
なんと、89歳で他界されているのです。
この89という数字、どこかで見覚えありませんか?
・・・
・・・
はい、もうお気づきかとは思いますが、この「運び屋」が公開された2019年にイーストウッドも89歳になるんですよ。
若い頃、ジェームズ・スチュワートの作品に影響を受け、俳優になったイーストウッド。
しかし月日は流れ、ジェームズ・スチュワートの死亡した年齢に自分の年齢が限りなく近づいたこの2019年に、「運び屋」という映画でスチュワートと自分を重ねていたのでしょう。
今作を評論する中で、必ずと言っていいほど「映画の役と彼自身が重なる作品」という意見が出るでしょう。
しかし、私としては映画の役とイーストウッドとの重ね合わせだけでなく、ジェームズ・スチュワートとも重ねている3重構造になっているのだと思うのです。
そして、スチュワートと自身の年齢を重ね合わせ、死期を間近に感じるようになったのではないでしょうか?
この重ね合わせから、ラストの「Don't let the old man in, I wanna leave this alone」=「老いを迎合するな、少しでも生きていたい」
という歌詞につながったのではないでしょうか?
89歳という年齢は、偶然にしては出来すぎていると、感じてしまいました。