まえがき
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「ジュディ 虹の彼方に」
足繁く映画館に通っていると、何度も同じ予告編を見ることがある。
基本的には深い印象も感慨もないのだが、時たま予告を見るたびに涙腺を刺激される映画がある。
本作こそまさに、予告が流れるたびに私の涙を奪っていった映画の一つだ。
「ブリジットジョーンズの日記」で等身大なアラサー・アラフォー女を演じてきたコメディエンヌとしてのレネーを見てきた私としては、本作で彼女の歌い声や容姿に驚き、数秒彼女を見るだけで涙が溢れてくる。
彼女がこれまで背負ってきた人生の酸いも甘いも、その全てがスクリーンから伝わってきていて、涙を禁じえない。
すでにアカデミー主演女優賞を獲得しておりクオリティは折紙付きの作品であるが、過度な期待はしないで見に行きたい。
それでは「ジュディ 虹の彼方に」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・「オズの魔法使」で知られるハリウッド黄金期のミュージカル女優ジュディ・ガーランドが、47歳の若さで急逝する半年前の1968年冬に行ったロンドン公演の日々を鮮烈に描いた伝記ドラマ。「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズのレニー・ゼルウィガーが、ジュディの奔放で愛すべき女性像と、その圧倒的なカリスマ性で人々を惹きつける姿を見事に演じきり、第92回アカデミー賞をはじめ、ゴールデングローブ賞など数多くの映画賞で主演女優賞を受賞した。1968年。かつてミュージカル映画の大スターとしてハリウッドに君臨したジュディは、度重なる遅刻や無断欠勤によって映画出演のオファーが途絶え、巡業ショーで生計を立てる日々を送っていた。住む家もなく借金も膨らむばかりの彼女は、幼い娘や息子との幸せな生活のため、起死回生をかけてロンドン公演へと旅立つ。共演に「マネー・ショート 華麗なる大逆転」のフィン・ウィットロック、テレビドラマ「チェルノブイリ」のジェシー・バックリー、「ハリー・ポッター」シリーズのマイケル・ガンボン。「トゥルー・ストーリー」のルパート・グールド監督がメガホンをとった。
「ジュディ 虹の彼方に」のネタバレありの感想と解説(全体)
#ジュディ虹の彼方に 鑑賞
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2020年3月6日
常に極端なクローズアップで常にジュディを追い続け、過去の回想でさえもジャンプカットを多用するキメの細かい演出により、彼女が少女時代から抱えていたトラウマを炙り出していく。
ショーで失ったものを、再びショーで取り戻していく。
愛は失った時に気付くものなんだ。
役者を信頼しないと成立しない映画
まず目を引いたのは、映画の多くがジュディのクローズアップで構成されていること。
画面の中央にレニー・ゼルヴィガーの顔いっぱいが写り、全画素のうち半分以上がジュディの顔になっていることもあった。
ここまでクローズアップが目立つ映画も珍しいし、またクローズアップになる対象が主人公一人のみになる映画もなかなかない。
画面がジュディから離れることはほとんどなく、観客は常にジュディから目が離せない構成になっている。
役者の一挙手一投足が観客によって追いかけられ、微細な表情の変化が映画のストーリーに影響を与えていく作りとも言える。
しゃがれた声、黒髪、疲れ切った表情で、普段見るレニーとは一線を画す演技。
しかも、今まで見てきたレニーよりも格段に細い。ムチムチなレニーちゃんはどこに行ってしまったんだと、若干の寂しささえ感じてしまった。
気になったのは、常に顔を小刻みに震わせ、眉を上下に動かし、体をフラフラと揺らしているジュディの様子。
画面のほとんどがジュディで構成されているため、役者の動きだけでアクションを見せなければいけない。ただ立ち止まって能面で演技をしていたら、映画は止まってしまい、アクションはない。
少しでも映画にアクションを入れようとする、レニーの演技力に脱帽せざるをえない。
まぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜下手な役者はできない映画だよね。無理だよね。
もちろん、役者の存在が映画に与える影響って計り知れないものがあるけど、画面の大部分が役者の顔や上半身になってる映画は見たことがない。
それほど作り手たちが主演のレニー・ゼルヴィガーを信頼していたって裏返しにもなるけども、、
レニーよ!!よくやった!
と激賞したい気持ちでいっぱいになる映画なのは間違いない。
ジュディはショーの中でしか生きられない
また、ジュディの少女時代を演じるジェシー・バックリーも常に顔が暗く、苦しい表情を見せている。
この二人を交互に見せられることで、観客が常にジュディを意識し、ジュディが少女時代から常にショーに苦しめられていたことが伝わってくる。
しかも、二人をシームレスに紡ぐために急な場面転換はせずに、ジャンプカットを多用するのも本作の特徴で。
言っちゃあ悪いけど、観客はもう逃げ場がない笑
ショーを見せる映画なのに、常にショーに苦しめられるジュディをクローズアップで描くシーンが多いから、どんなに鈍感な人でもジュディに感情移入してしまう作りになっている。。
これは良い意味で捉えているのだが、観ていて本当に辛かった。
そこに写ってるジュディはショーの中だけで生きていて、それ以外のプライベートな部分では心が死んでいるように見えて仕方がなかった。
それを象徴するかのように、ジュディの人間離れした生活が印象的に描かれていく。
その際たるものが、食事シーン。
ジュディは少女時代、過酷なダイエットを強いられてほとんど固形物を摂取できていない。その代わりに薬(栄養剤?)を口に含み水を飲むだけの食事。
恐ろしいのは、この生活を大人になっても続けていること。食事が人生最大の喜びだという人もいるが、映画の中でここまで悲惨な食事シーンを見るのも珍しい。
それほどジュディが過去の呪縛から逃れられない、ショーの中でしか生きられない、ということを暗喩するようなシーンでもある。
愛は失った時に気づくもの
ジュディは結婚して子供がいるものの、離婚の危機にさらされている。
アメリカから離れてしまい、ロンドンでいることが親権奪取に深刻な影響を与えてしまい、子供にも「アメリカで暮らしたい」と言われてしまう。
ジュディにとってはかけがえのない愛の居所だった子供でさえも、ジュディから離れていく。
私生活もショーのパフォーマンスも、酸いも甘いも観てきた観客にとっては、もう絶望的とも取れるシーンが、後半に待ち構えている。
愛を完全に失ったジュディ。
そもそも彼女は、「オズの魔法使」に出演していた時から限りなく「愛」の制限を受けていた。
ショーのために生きるように教育されていた彼女。しかし、そのショーも散々な結果に終わってしまい、私生活もショービジネスも立ちいかなくなってしまう。
こんな救いのない話はあるのか、、
ただ、最後に救いが待っていた。
彼女はまだ、ファンに愛されていた。
最後に歌った、溜めに溜めた「Over the rainbow」を歌い上げるジュディの姿は、もう涙なしで見れない。。
歌詞の意味が、ジュディの人生と重なる。
強烈に刺さる歌詞。「ボヘミアンラプソディ」を思い出した。
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全てを失った彼女だからこそ、歌える歌。愛は失った時に気づくものなんだ。
まとめ
アカデミー賞主演女優賞を獲得した演技力を全面に信じ、レニーでなかれば作れなかった映画。
是非ともご鑑賞を。
85点 / 100点