- はじめに
- あらすじ
- 映画の感想
- デザインから、今作のテーマを語ってみる
- そもそも、今作のテーマとは何か?
- 空の正体を語る前に、あの子のことを
- 改めて、空の正体を
- 祭りのシーンは何を意味したのか?海とは何者か?
- 海は何を食べようとしたのか?
- 隕石の意味から考える、祭りシーンのもうひとつの意味
- なぜ星は人だと強調するのか?
- なぜ目を開けるシーンから始まるのか?
はじめに
今回公開する映画はこちら!
「海獣の子供」
「海獣の子供」
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「カイジュウの子」
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「バケモノの子」?
なんか、前にもこんな作品あったような、なかったような。
www.machinaka-movie-review.com
もうすぐ新海監督の作品で「天気の子」という映画が公開されますし、最近は子供ブームなんでしょうかね。
これまで作品を見たことない監督、原作者さんによるアニメーションでございます。
とにかくポスターの絵の美しさに目を奪われて、非常に気になっていたところです。
ここまで綺麗だと、新たなアニメーション表現に期待せざるをえません。かわいいキャラクターとは対照的に、背景はリアル志向でシャープな美麗背景になってるんでしょうかね。
物語よりも背景・美術・配色に目を奪われがちな私としては、大好物の映画、、のように見えて仕方ありません。
とっても楽しみです!!!
それでは「海獣の子供」、感想・解説、ネタバレありでいってみよー!!!!
あらすじ
・「リトル・フォレスト」「魔女」などで知られる漫画家・五十嵐大介が、大海原を舞台に生命の秘密を描き、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞や日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した名作コミック「海獣の子供」を、アニメ映画化。自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花は、長い夏休みの間、家にも学校にも居場所がなく、父親の働いている水族館へと足を運ぶ。そこで彼女は、ジュゴンに育てられたという不思議な少年・海と、その兄である空と出会う。やがて3人が出会ったことをきっかけに、地球上でさまざまな現象が起こりはじめる。「鉄コン筋クリート」のSTUDIO4℃がアニメーション制作、映画「ドラえもん」や「宇宙兄弟」などを手がけてきた渡辺歩が監督を務め、音楽を久石譲が担当。声の出演は芦田愛菜、ピクサーアニメ「リメンバー・ミー」の吹き替えを務めた石橋陽彩ら。
映画の感想
なんという意欲作!!!
デザインから、今作のテーマを語ってみる
はい、まだ整理が追いつかないですが、順を追って話したいと思います。
このブログを見ている皆さんは、物語のあれこれを聞きたいんでしょうけども、ちょっと待ってください!! まずは単純な感想を言わせてください!!
僕は元来、あまり物語には言及しない人間で、映画の中の色や造形を注視してしまうビジュアル系映画ブロガーなんですよ。そんなV系のMachinakaにとっては、この映画はいてもたってもいられませんでした。
・・はい、では落ち着いたところで。
この映画、物語の複雑さや神秘めいたものが多いんですけども、そんなことよりもまず、とにかく「美しい映画」だと思いました。
少し癖のあるキャラクターデザインとは異なり(褒めてます)、誰が見ても圧倒される美しい美術背景・・たまらなかったです。
今回は深海の生物や海を中心に描いていましたけど、魚の造形がことごとくリアルで!まぁ、これぞ自然主義っていうんでしょうかね?
人物のデザインよりも自然現象や生物にリアリティラインの解像度を高めているんですよね。他の誰にも真似できない人間と自然との対比。これをセリフでなくデザインの力で示したことに、本当に感動します。
琉花ちゃんが言いますよね?「言葉で説明できないこともある」って。まさに今作は、セリフに頼らずにデザインの力でメッセージを伝えてるんですよね!
この映画、人物及び人工物については必要最低限の線と色で素朴に描いてるんですよね。だって、靴の造形一つとっても、靴を構成する線は必要最低限でしたよね。
一方で自然や生物はまぁリアルなこと。。魚は絶えず動き続けるんで、美術背景とは違ってトレースするだけじゃ描けないですよね。よほどの観察力がないと、あんなリアルな魚の描写は無理だと思います。。
つまり今作のデザインは、自然主義と写実主義を兼ね備えていると感じるのです。
ただし、これはあくまでデザインです。
物語については、全くもって写実主義ではありません。でも、これが作品において唯一無二の世界観を醸し出していると感じます。
今作の物語は、デザインの写実主義とは対照的に、表現主義であると思うんですよね。表現主義とは、ありのままを描くのではなく、あえて間接的で暗喩的な伝え方を行う、間接的な表現のことを指します。wikipediaでは、下記のように書かれています。
内面的、感情的、精神的なものなど「目に見えない」ものを主観的に強調する様式である。
はい、この「目に見えない」という言葉、今作にも何回も出てきましたね。
ちなみに、表現主義とは20世紀初頭のドイツで起こった芸術活動であり、当時のドイツ映画は表現主義で溢れていました。代表的な作品であり個人的に大好きな「メトロポリス」を例にあげておきます。よかったら、ぜひご覧になって。
以上をまとめるとですね。。
哲学的なセリフや詩の引用のような抽象的表現のオンパレードの今作の物語は、表現主義であると言える。
しかし、あまりにリアルな魚や美術背景のデザインは、写実主義とも言える。
物語は表現主義、デザインは写実主義。
一つの映画において相反的な芸術主義のねじれが起きていることが、観客の皆さんを睡眠に謎に導いてるのではないでしょうか?
ただ、表現主義=意味不明ではないんです。象徴的なシーンを見つけ、ひとつひとつ紐解いていけば、必ず答えに辿り着くんです。
これから、丁寧に解説していきます。
そもそも、今作のテーマとは何か?
まず言いたいのは、今作はそんな複雑な物語ではないってことです。
そりゃあ「星は人だ」とか「宇宙は人だ」とか言われると、意味がわかんなくなると思いますけども、もっと単純に考えましょう!!!
ラスト、琉花が全力疾走で走っていると、正面にある女の子が立って笑ってると思います。あの子は冒頭で琉花と喧嘩した子ですよね。
最後の最後にあの子と和解した、と誰もが思うシーンですね。あの女の子を冒頭とラストに入れることで、琉花の成長を描いてると思うんですよね。
ラストに靴ひもを結ぼうとして、実際は紐が緩んでなかった=未熟さが無くなったことからも分かるように、琉花は少女から女性へ成長したんです。厳密に言えば、女性への階段を登ったとも言えるかもしれません。
その証拠に、ラストは「ハッピーバースデートゥーユー」の曲がオルゴールで流れていたんですよ。これは直接的に、誕生日を迎える=少女が成長する、ことのメタファーだと思います。
そう、この物語は単純に、少女の成長を描いた物語なんですよ。
ちなみに、少女が女性に目覚める映画はたくさんあって最近だと「 RAW 少女のめざめ」などが分かりやすいです。
また、「サスペリア」なんかも近いですよね。
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この「少女の成長」という軸を立てると、今作の物語はみるみるうちに理解できると思います。これは暴論?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、原作者の五十嵐先生は「私の作品の読者はいつも女性を想定している」と仰っているので、あながち間違いではないでしょう。
今作は主人公の女の子、琉花の成長を主軸にしていることは間違いありません。
空も海も、星も宇宙も、全ては琉花の成長のためにあると言っても過言ではないと思うのです。
「少女の成長」を描くために、まだ大人でもない子供でもない、中学生の芦田愛菜ちゃんを声優として起用することは、大正解以外の何者でもないと思います。
空の正体を語る前に、あの子のことを
そこまで「少女の成長」にこだわるのなら、あの子のことを語らずには始まらないでしょう。
そうです、
安海琉花
についてです。
この「琉花」という名前で思いついたことがあって、「琉花」→「るか」→「ルカ」・・・
そう、琉花はルカと読めて、彼女の成長を描く物語ということで、真っ先に「ルカの福音書」を思い出しました。
名前は聞いたことあるでしょう。そうです、聖書に関する本ですwww
詳しく語れるほどの知識はないですが、ルカの福音書とはパウロの弟子で医者のルカが書いた「イエス・キリストの生涯」を書いた本になります。
少女のルカとルカによる福音書。。まじ関係ねぇだろ? と考える人もいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。
なぜなら、今作ではキリスト教のメタファーが散りばめられているからです。
改めて、空の正体を
さて、そろそろ「タイトル詐欺だ!」と騒ぐ方も出るかもしれないので、空の正体について迫りたいと思います。
ルカの福音書では、「イエスは、異邦人を照らす啓示の光」 とあります(ルカによる福音書 2章32節)。
「光」と聞いて、今作では光が象徴的に描かれてることが分かります。
夜の海にて、流れ星が光り輝く様子をまじまじと見つめる琉花の瞳を、皆さん覚えてますでしょうか?
そこで男の子の海が、「あれは人魂(ひとだま)」だよ。と繰り返し言うシーンがあります。
今作において「光」とは、人ならざるものを象徴しているように感じます。
今作でもっとも光り輝いていた人、人ならざる、何か。
それは間違いなく、とても人間とは思えない「海」と「空」の二人の男の子です。
「海」は、いがぐり坊主のいかにも日本男子的なキャラデザなんですけども、「空」についてはどう見ても日本人っぽくないんです。「空」は今作でもっとも「異邦人」に見えて仕方がない。
そして、「海」よりも意味深な発言をする「空」。まるで世界の理を説いているような、、、
何より、琉花と空が最後に出会う「祭り」のシーンが終わった後、空は琉花に別れを告げた後流れ星の「光」のように海へ消え去り、その海には「光り輝く十字架」が立っていたことを、気づいたでしょうか?
はい、もうお分かりかもしれませんが、私が考えるに「空」=「イエス・キリスト」だと思うのです。
意味わからないと思う人もいるかも知れません。
ただ、私はそう感じてなりません。
琉花=ルカは、異邦人の「空」と出会うことで、「生命とは何か?」「人間とは何か?」を説教を受ける。これが少女の成長と直結すると思うのです。
祭りのシーンは何を意味したのか?海とは何者か?
海の中の「祭り」に向かう時、海の中で光り輝きながら泳ぐ空、釣られて泳ぐ琉花。
琉花は空に出会うことで説教を受けると言いましたが、その説教の集大成こそが「祭り」だと思うんですよね。
祭りのシーンは、ほとんど意味がわからない、という方も多かったのではないでしょうか?
深海の中で、行方不明になった空を探しながらも、琉花は不思議な体験をする。
琉花は海と一緒にいるんですが、いつの間にか海は黄色いタツノオトシゴになってるんですよね。琉花の手に収まるので、非常に小さい種類ではないでしょうかね?
ここで思いついたのは「ハナタツ」というタツノオトシゴの種類。
全長9cmほどで、琉花の手のひらに収まるのも納得です。
さらに、「ハナタツ」は別名「花竜」とも言うらしいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/タツノオトシゴ
偶然かも知れませんが、「花竜」→「竜花」→「りゅうか」→「ルカ」=「琉花」と、タツノオトシゴになった海は琉花と親和性が高くなるんですよね。
ここで空が言った「海と陸は違うようで、同じ」という言葉が刺さりました。陸に生きる琉花と、海で長く生きていた「海」。もしかしたら彼の正体はタツノオトシゴかも知れない。
でも、本質的には同じなのかも知れない。
これを「祭り」のシーンに持ってくることで、「人間と生物は、違うようで同じだ」という教えを説きたかったのではないでしょうか?
そう、「祭り」のシーンでは「人間と生物の平等性」について話したかったんだと思います。
「祭り」では、深海という場所もあり、暗い中で光り輝くサイケデリックな映像の連続が映し出されます。正直「ポカーン」とする人もいるかも知れませんが、この映像を見て思い出した映画があります。
スタンリー・キューブリックの不朽の名作「2001年宇宙の旅」です。
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この映画でも、後半に突如セリフがなくなり、深海のような暗い場所で光り輝く映像が流れます。
このシーンは、主人公のボーマン船長が人類の起源を辿る旅に出ていることを意味するんですよね。いろいろ調べれば、見つかると思います。
僕はこの映画を見ていたので、今作の「祭り」のシーンと重なる映像があったのです。
まとめると、今作の祭りシーンでは、「人類の起源」を描こうとしたのではないでしょうか?
海は何を食べようとしたのか?
この文脈を踏まえると、祭り中のとあるシーンが理解できると思います。
人間バージョンに戻った「海」が、琉花の体の中から赤い何かを取り出し、口に放り込もうとしますよね?
あれ、すごく意味深なんですけども、赤い何かを食べようとする映像を見て、ひとつ思い出したことがありました。
それは、旧約聖書の創世記における「禁断の果実」の物語です。
「知恵の実」ともいうかも知れません。
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アダムとイブという、二人の男女。この二人こそ、旧約聖書上では「最初の人間」と定義されています。
「祭りシーン」でこの「禁断の果実」シーンを「海と琉花」に演じさせる。これにより、「海と琉花」=「アダムとイブ」になる。
つまり、「最初の人間」=「人類の起源」となり、やはり「祭りシーン」では人類の起源について語りたかったのだと思うのです。
隕石の意味から考える、祭りシーンのもうひとつの意味
空が言ってましたよね、「隕石はせいし」だと。
そして、隕石を琉花に預けると。
え?「せいし」って何? と思ったかも知れませんが、私男なので、すぐにピンときてしまいました。
「精子」しかない、と。
これを踏まえるとですね、空は琉花に隕石を預ける=琉花に精子を預けるとなるんですよね。
となると、「海」が琉花の中にある隕石を取って食べようとするのは、精子を食べようとしているとなります。
これ、下ネタ一切なしで話しますけども、以上の文脈を踏まえると、「祭りシーン」は「人類初めてのセックスシーン」
と考えることもできるのです。うーん、この映画深い、深いなぁ。。。。
下ネタありで話すと、、、、、、、、、
・・・やっぱダメです、もう言えませんwww この答えを聞きたければ、直接ツイッターでDMしてきてくださいww
・・・・はい、以上で「空の正体とは?」「祭りはなんだったのか?」について解説を行いました。。
あとは小ネタを解説していきまーす!!!
なぜ星は人だと強調するのか?
今作では星=人間のように捉えられていますが、これはメタファーでもなんでもなくて、昔の人は星が何者か分からないから、とりあえず星を人になぞらえたんですよね。
例えば、織姫様と彦星様の物語は、元はベガとアルタイルという星から生まれていますよね。
ちなみに、化物語のエンディング「君の知らない物語」の歌詞の中で
「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」
「君は指さす夏の大三角 覚えて空を見る」
「やっと見つけた彦星様 だけでどこだろう彦星様」
というフレーズがありますが、、、、
あのフレーズ、僕大好きです!!! ただそれだけです!!!!
・・・はい、気を取り直してですねww
星を人になぞらえる、つまり星=人という考え方は、昔の人だったら当たり前に考えたことなんですよね。
ただ、今や西暦2000年代に突入し、そういった考え方は古くなりすぎてしまいました。
ただ、今作はイエス・キリストのメタファーも出ていたように、西暦ゼロ年代の人の価値観を強調しているんですよね。
この演出こそ、現代人にとって分かりづらくなってしまった要因ではないでしょうか?
ただですね、この令和元年の時代に、ゼロ年代に生きた人間たちの考えを改めて知ると、なんだか初心に戻ったような気持ちになりませんかね?
なぜ目を開けるシーンから始まるのか?
最初に映るシーンは、目を開けるシーンでしたよね?
実はルカによる福音書では、目を開けるというのは非常に重要な意味を持つんです。
ルカによる福音書11章33節から36節
33「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。34あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。35だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。36あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」
https://www.shining-hill.org/2016/08/09/今週の説教-体のともし火は目-ルカによる福音書11章33節から36節/
目を開けて光があるということは、自分の体の外から光を受けているから光を感じられるんですよね。
転じて、光を放つものにちゃんと目を向けないと、あなたの目は光を感じられないって意味を込めてるんです。なお、今作でいう「光」とは、「空」のことであり、「イエス・キリストのこと」でもあります。
ルカの福音書の解説でも、このように書かれています。
私たちを輝かせる光は、私たちの外にあるんですね。
私たちはその光に、しっかりと目を向けることによって、明るくされていくんです。
では、その光とは何でしょうか。
聖書のこのページの最初のところからの話の流れで言いますと、それは神の言葉ですね。
世の中の言葉はすべて、多かれ少なかれ、人を不自由にする言葉ですが、神の言葉は人を自由にする言葉です。
https://www.shining-hill.org/2016/08/09/今週の説教-体のともし火は目-ルカによる福音書11章33節から36節/
総じて、これを冒頭に持ってくることで「これは主人公である琉花の物語でもありますが、ルカの福音書のようなキリスト教的メタファーが散りばめられ話でもありますよー」って丁寧に説明してくれてるんですよ!!!
はい、長くなりましたけども、解説は以上です!!!
「おいMachinakaよ、何言ってるのか全然わかんないんだよ!」というツッコミも、「こういう見方もできるんじゃないですか?」という考察も、なんでもいいのでコメントいただけると幸いです!!!!