- まえがき
- あらすじ
- 「ノマドランド」のネタバレありの感想と解説(全体)
- ロードムービーの概念を覆す意欲作
- ノマドの生活様式が演出になじむ
- 人生に右も左もありゃしない。行けばわかるさ、その一本道。
- まとめ
まえがき
今回批評する映画はこちら
「ノマドランド」
アカデミー作品賞最有力として名高い本作。
「スリービルボード」で主演女優賞を獲得したフランシス・マクドーマンドが主演の本作で、上のポスター写真からもその品格がただよう。一体何個演技を入れたら、このような表情になるのだろうか。
楽しいようにも見えるし、寂しそうにも見えるし、辛そうにも見えるし、遠くを見つめてるようにも見える。複雑な感情が入ったこの画は、非常に力強い。
参考までに、「スリービルボード」の感想ブログを貼っておく。今読んだら恥文の嵐だったので、あまり読まない方が良い。 ameblo.jp
昨年の東京国際映画祭で見たかったのだが、即予約完売し見れずじまい。半年以上たった今、ようやくの鑑賞で実に嬉しい。
それでは「ノマドランド」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・「スリー・ビルボード」のオスカー女優フランシス・マクドーマンドが主演を務め、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービー。ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ザ・ライダー」で高く評価された新鋭クロエ・ジャオ監督がメガホンをとった。ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに全てを詰め込んだ彼女は、“現代のノマド(遊牧民)”として、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることに。毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ね、誇りを持って自由を生きる彼女の旅は続いていく。2020年・第77回ベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞、第45回トロント国際映画祭でも最高賞の観客賞を受賞するなど高い評価を獲得。第78回ゴールデングローブ賞でも作品賞や監督賞を受賞。第93回アカデミー賞で作品、監督、主演女優など6部門でノミネートされる。
「ノマドランド」のネタバレありの感想と解説(全体)
#ノマドランド 鑑賞!
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2021年3月27日
金なし、連れなし、ゴールなし。既成概念を超えた意欲的なロードムービー。
ノマド民の生活と同じく、徹底的に削ぎ落とされた演技演出による奇跡の活劇を目撃した。
生き苦しい今だからこそ、見るべき一本。
人生に右と左もありゃしない。
行けば分かるさ、その一本道。 pic.twitter.com/y0VgdMFgzd
ロードムービーの概念を覆す意欲作
上手い作り手は冒頭のワンカット目に大事な要素を入れるというが、本作はまさに、冒頭に全てが込められていたのかもしれない。
そして、その後も彼女と彼女の愛車を中心とした、半径1メートルのドラマが続いていく。
基本的に全ては車移動。映画好きの方なら、これは「ロードムービー」ではないかと思うだろう。
本作を語る上で、まずはロードムービーについて語っておきたい。
何故なら、(狙ったかどうかは分からないが)本作はロードムービーの概念を覆す意欲作だと感じたからだ。
ロードムービーは大好きでよく見ているが、いくつか共通点がある。
・主人公は単独行動ではなく、二~三人で行動することが多い
・出発地・目的地が明示されている
・タイムリミットがある
・旅が終わった後に、日常生活に戻る
・旅の始まりと終わりで、主人公の生き方が変わっている
など、映画の特徴というよりも、「旅」自体の特徴も内包されているのが、ロードムービーの共通点だ。
しかし本作は、上記のいずれも該当しない。
そもそも、本作でマクドーマンドが車を走らせ続ける理由は「旅」ではなく「生活」である。
ひたすら車で走るロードムービーの形態を取っているが、これまでのロードムービーとは一味も二味も違う。
「放浪」や「流浪」という言葉でロードムービーが展開されるのは、非常に珍しいことだろう。
終わりの見えないロードムービーが本作の最大の特徴で、車を走り続ける行為こそが、主人公の人生や生き方そのものなのだ。
そのため、彼女が古い車を売ることを拒むのも、車は彼女の足であり、彼女自身に例えられているからだろう。
本作をロードムービーと形容すること自体、こじつけになってしまうかもしれない。あえて名づけるなら、放浪土ムービーといったところか。(いや、違う。)
※ちなみに、女性が単独で行動し旅先で様々な人と出会うという意味では、リース・ウェザースプーンの「わたしに会うまでの1600キロ」が似ているが、タイトルにもある通り明確な目的地や走行距離が表示されている。
ノマドの生活様式が演出になじむ
ドキュメンタリータッチが最適な手法
前述したように、本作はマクドーマンド単独のロードムービーであり、彼女以外のキャラクターがメインに活動することはない。
あくまでも彼女(とその愛車)の半径一メートルの世界を描いており、まるで自分がノマドを疑似体験しているかのようだ。
マクドーマンド以外の役者で特筆すべきは、実際にノマドとして暮らしている一般人を映画で使っている点。一般人のノマドと共に働き、キャンプを行う光景は、まるでノマドの様子を捉えたドキュメンタリーにも見える。
しかし本作のドキュメンタリータッチは意図的ではなく、必然のように感じる。
ノマドのマクドーマンドの仕事はほぼ日雇い、あるいは数日間の短期仕事であり、特定の土地に滞在する時間も短い。
つまり、主人公と他者が触れ合える時間は数日間であり、何らかのドラマを作るのも難しい時間になっている。
仮にプロの役者たちにノマドを演じさせてもよいが、監督の選からは漏れた。
単にリアリティの追求というよりも、ノマド=放浪・流浪する人々の生活特性を表すためにドキュメンタリータッチにしたのではないか。
ノマドの人付き合いは遠からず浅からず、適切な距離を保っているのが特徴的。
役者同士の演技合戦のような近い関係になることは、よほどの事が起こらない限りありえない。
ノマドに「ふさわしい」人付き合いを表すために、ドキュメンタリータッチにしたのではないか。つまり、監督の意図というよりもノマドという構造が、そうさせたのではないか。
映像は非現実的
ただ、ドキュメンタリータッチとはいえ、目に映る光景は非現実的な美しさを醸し出している。
日没・日の出の直前のマジックアワーや広々とした荒野が多く映ることもあり、現実を超越した異世界で起きている物語のようにも見える。
また、マジックアワーの時間ということもあり、画面は暗く役者の表情が見えづらい点も、ミステリアスな空気の醸造に一躍買っていると思われる。
一般人の起用問題を見事に解決
一般人を役者として登用する映画は多いが、プロの役者=主人公と一般人とが関わる映画であれば、「帰ってきたヒトラー」やケン・ローチ監督作品、あるいはダルデンヌ兄弟など、ヨーロッパ映画におけるドキュメンタリータッチを活かした作品と重ねることができる。
しかし、そのどれもが意図的なドキュメンタリータッチとなっている。素人だからこそできる自然な発言・行動だったり、リアリティの追求など、一般人を起用するのは必ず意図が生じている。
www.machinaka-movie-review.com
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そのため本作は、主人公と他者が密になる場面はほとんど見らず、言い方は悪いがマクド―ナンドと一般人との会話の多くは雑談や世間話となることが多いため、役者と一般人との演技の格差が生じていない。
一般人と演技を行うためか、感情をぶつけあったり、主人公と一般人が深い関わり合いを見せるシーンは少ない。
これはプロと素人で演技の格差を是正するために必要なバランス感覚であろう。ただそれは、プロと素人の同時起用の限界点ともいえる。
ケン・ローチが名匠といわれる所以は、この点にあるのではないか。
しかし本作は、主人公とメインに触れ合う一般人がノマドということもあり、そもそも深い関わり合いを見せる場面はない。
ノマドという映画のテーマによって、一般人の起用による演技の問題点が解消されているのは、本作の発明と言っていいだろう。
マクドーマンドがアカデミー賞に選ばれる理由
逆をいえば、本作の演技の出来・不出来はマクドーマンド1人に委ねられていることになる。
ノマドの老人であったり、途中で亡くなってしまった女性など、数人とは関係性が見えるものの、その中に大きなドラマが生まれる事もない。
ましてや、Amazonで働く人々にドラマを作れと言われても、無理強いにもほどがある。
そんな状態で映画のテーマや物語、ドラマを語らなければいけないのだから、彼女がアカデミー主演女優賞に選ばれるのも、当然の結果なのかもしれない。
人生に右も左もありゃしない。行けばわかるさ、その一本道。
ノマドの生活は是か非か
本作で多くの人が考えるのは、ノマドという生き方を是と捉えるか非と捉えるかではないだろうか。
自由な生活が得られる分、生活は安定せず常に危険が潜む。場合によっては、トイレや風呂は外で済ませる必要がある。
しかし、誰に主従するわけでもなくやりたい仕事をやりたい時間に行えるのは魅力的。
常に移動しながら仕事をこなす姿は、個人的に魅力を感じる。
本作の素晴らしい点は、ノマドの生活について肯定も否定もしないところにある。
ノマドは単に移動するフリーターでも、自由人でもない。ノマドになることのメリットだけでなく、デメリットも描く。
ノマドの良いところも悪い所も、その両方を写す。この中立公平なところが良い。
ノマドを通して本作は何を伝えたかったのか。これから説明していく。
交差点・分岐点が全く映らない理由
本作では、全くと言っていいほど交差点が映らない。
アメリカではよくある一本道であるが、市街地でも交差点が映らない。
マクドーマンドはひたすら真っすぐな道を走り続ける。右折や左折を、することはない。
前述したように、本作では車とマクドーマンドは一心同体。車を覗かれることは、自身の体を覗かれるのと同じ。
真っすぐな道だけを進むのは、彼女自身も真っすぐな道を歩み続けるということ。
彼女の生き方には右も左もない。ひたすら真っすぐ、一本道を進み続けるのだ。
これは、正解や失敗、選択と結果といった物語の分岐がないことのメタファーに感じる。
我々はただ一本道=一通りの彼女の生き方を見ているしかない。
本作は、ノマドの生き方を選択し、酸いも甘いも経験した彼女の生き方を肯定する映画なのではないか。
そのために、ひたすら一本道を走らせた。
一本道である以上、彼女の人生に優劣は付けられないからだ。
縦移動や横移動が多い理由は?
本作では、まるでウェス・アンダーソンのように上下左右の縦移動・横移動を強調するシーンが多く映る。車の走り方や人の歩き方など、非常に線的な移動が多い。
なぜこのようなシーンが強調されるのだろうか。
実は、本作でもう一つ気になった点がある。
マクドーマンドが川で入浴している時や、高原に佇んでいる際に見せた
十
のマークである。まぎれもなく、十字架のメタファーと思われる。
よくよく考えれば、本作はキリスト教のメタファーが多く含まれている。冒頭でマクドーマンドが歌う讃美歌のような歌も、非常に気になってはいた。
無理なこじつけかもしれないが、本作で強調される縦移動・横移動は十字架を表しているのではないだろうか。
本作はノマドになることで犠牲になった点も多分に描いている。ノマドは自身で選んだ道であり、「自己犠牲」とも言える。
キリスト教では、イエス・キリストが自己犠牲の精神を持っており、ゆえに高貴な人物になったという話がある。
贅沢を好まず、私利私欲を捨てる。そうしたノマドの生き方は、キリスト教においては自己犠牲に繋がる、のかもしれない。
もしかしたらマクドーマンドは、ノマドでキリストになろうとしたのか、というのは冗談。
ただし、自らの生き方を肯定し、気高い生活を全うしようとしたのは確かである。
本作全体・ラストの結末は、リバタリアニズムに通じる
彼女は自らの選択によって、一本道を走り続けた。
誰にも邪魔されない、分岐もない一本道はやはり、彼女の生き方自体をも肯定する構造になっていた。
本作を見ていない人は、ノマドという生活に対して否定的な意見を持つ人も多いだろう。
ノマドの見方を、あえて右(保守)と左(リベラル)に分けると、
右は「家を見つけろ!そして定職に就け!」と古い価値観を押し付けるだろうし、
左は「ノマドにもっと支援を!平等を!」と社会主義を唱えるだろう。
しかし本作は道路構造が示しているとおり、左折も右折もなく一本道である。
つまり本作は、右(保守)と左(リベラル)も異なる価値観であることを提示しているのではないだろうか。
マクドーマンドの自由意志によるノマドという選択は、リバタリアニズムに分類されると思われる。
リバタリアニズムは経済的にも社会的にも自由でありたい思想であり、完全自由主義とも言われる。
この図を見る限り、ノマドという選択は左でも右でもない自由への唯一の道なのではないだろうか。
つまり、このノーラン・チャート図の左翼と右翼に×を付けると、全体主義からリバタリアニズムへの一本道が出来る。
本作における全体主義とは、エンパイアという企業城下町にも通じると思われる。どの人も同じ会社で、同じ家(社宅と劇中に言っていた)に住み、自由がない。
しかし、そんな全体主義的なエンパイアもリーマンショックによって終焉を迎えた。マクドーマンドは企業=全体に失望し、ノマドに向かって一本道を走ろうとしたのではないか。
ラストでエンパイアに立ち寄るシーン、そこから車を走らせるシーンは、全体主義からノマドへと移っていく道を表していると思われる。
本作は、地理的なロードムービーではなく、思考のロードムービーなのである。
本作はロードムービーながら明確な出発地・目的地がないと言ったが、実は全体主義→リバタリアニズムが出発地→目的地になっていたのではないか。
以上、考察でした。
まとめ
極めて実験的なロードムービーで、後にも先にも放浪をテーマにした映画は珍しい。
そぎ落とされた演出がまた、ノマドの生活様式と同じで素晴らしい。
ノマドという生活に、恋焦がれるような感情さえ抱いた。転々としながら、仕事をしたい。はぁ、切実に願う。
マクドーマンドの3回目のアカデミー主演女優賞も、十分な可能性を帯びている。
アカデミー賞が楽しみになる、そんな魅力もある素晴らしい映画だった。
おススメです!!
95点 / 100点