雑談から入ります
こんばんは。
Machinakaです。
映画以外の記事を書くのも久しぶりでございますね。久しぶりすぎてどう書いたらいいかわかんないや。
映画以外の文章をプライベートで書くって、もうTwitter以外ではやらないわけですよ。
謎の自戒を定めたTwitterのはずだったけど、今となってはもはや通常営業に戻ってるような、戻ってないような。なんだかんだ、Twitterは手放せないね。。
これぞ現代人の闇。
ただ、僕の周りのツイ廃と比べると、僕はまだTwitterに毒されてもいないわけで。SNSとは程よい距離感を保っていきたいですね、はい。
じゃあ一体何をやってるのかというと、旧作映画を毎日2本以上見てます!!!!!
・・・とはならないわけですよね、はい。こんなこと言ってみたいよ、年間1000本は夢のまた夢ですね。 ただね、一週間に旧作4本は確実に見てるかな。
新作も週末に2~3本は見てるから、合わせると毎日見てる。365日で365本は見てる計算になる。
うん、俺はまだ映画好きなんだろうな。依頼を受けて映画見て絶賛するだけのステマ糞ブロガーには、まだ成り下がってないね。
・・・ってなんの話だ。
はぁ、なんかすいません。久しぶりに自由な記事を書くとね、もうなんでも書きたくなっちゃって。フリートーク力下がったな、俺。どうした、何があった。。
なんだか昔のクソ記事よりも酷くなった気がする。酷い内容ですが、文字数を稼ぐためにこのまま書き垂らしておきます。
実はこの雑談部分を追加したのには理由があって、最近の私の近況として、
仕事が終わった後にプールに行って、100分間ずっと、1秒も休まずに泳いだり走ったりしているという超絶ハードワークをこなしている話をしようと思ったんですけど、
これ以上雑談を広げてもダメなので書くのをやめておきます。
プールはいいぞ!!
はぁ、なんだか締まらねぇな。この雑談。。。
おちんぽまんじゅう!!!!!!
はい、では本編いってみよー!!!
書くきっかけは、ライブ
ミスチルのライブに行ってきたんです。5月19日。
誘っていただいたのは、映画ブロガー界の精神的Mr.Childrenこと、子供心を忘れないモンキーさん。映画に大変詳しい方ですが、ミスチルはもっと詳しいお方です。ご自分で言っていたので、僕も引用して言わせていただきます。
そこで生のミスチルを見たんですよ。ミスチルと言っても桜井さんしかロクに知らなかったので、ライブDVDをモンキーさんから借りて他のメンバーのパフォーマンスを見たりしてね。
ドラムのジェンさんがめっちゃくちゃ面白い人で、サンクスギビングのライブにて、マイクにチンコ当ててご意見を頂戴しようとする下りは本当に笑いました。
だってさ、ミスチルってPVもアーティスティックで笑わせようとするところが少ないし、歌番組でも桜井さんばかり話してるような印象で、他のメンバーがどんな感じなのかってのは伝わってこなかったんですよ。
ひとえに、私の勉強不足なのは否めないですが。
で!で!で!
ライブDVDを見てモチベーションを高め、いざ東京ドームに馳せ参じたわけです。
前評判ではマイナーな歌が多いとか、一見さんお断り系だとか言われてたみたいなんですが、平成→令和になって間もないこともあって、平成のヒットソングをたくさん歌ってくれることになったんですよね!
ちなみにセトリはこちら。
Your Song
Starting Over
himawari
everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-
HANABI
Sign
名もなき詩
CANDY
旅立ちの唄
ロードムービー
addiction
Dance Dance Dance
Monster
SUNRISE
Tomorrow Never Knows
Prelude
Innocent World
海にて、心は裸になりたがるen.)
SINGLES
Worlds end
皮膚呼吸
http://release55.com/set-list/j-pop-setori/mr-children-against-all-gravity-0519/
平成ヒットソングをたくさん歌ってくれるのは、まだまだミスチルのことをよく知らない僕にとっては凄く嬉しくて。おかげで知らない曲は3曲くらい、知らない曲は曲で最高に楽しめた、本当に奇跡のようなライブになったんですよね!!
で、奇跡といえば!!!
僕が愛してやまない、「Tomorrow never knows」を歌ってくれたんですよ!!!
好きなアーティストのライブに行って、自分が思い入れのある好きな曲を歌ってくれた時の、あの喜び。何ものにも替えられませんよね。。
で、こんなに嬉しい思いをしてるのにブログで書かないなんてありえない、と思ったわけです。
基本映画のことばかり書いているこのブログが、いきなりミスチルのことを書いても検索順位がどうとなることもないし、誰も見ないでしょうけど、そんなの関係ない。
僕はただ、この曲を作ってくれたミスチルに感謝を伝えたい。そう思って書いてます。
Tomorrow never knowsの歌詞紹介
とどまる事を知らない時間の中で
いくつもの移りゆく街並を眺めていた
幼な過ぎて消えた帰らぬ夢の面影を
すれ違う少年に重ねたりして
無邪気に人を裏切れる程
何もかもを欲しがっていた
分かり合えた友の愛した女でさえも
償う事さえ出来ずに今日も傷みを抱き
夢中で駆け抜けるけれども まだ明日は見えず
勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく
人は悲しいぐらい忘れてゆく生きもの
愛される喜びも 寂しい過去も
今より前に進む為には
争いを避けて通れない
そんな風にして世界は今日も回り続けている
果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう
誰かの為に 生きてみても oh oh Tomorrow never knows
心のまま僕はゆくのさ 誰も知る事のない明日へ
優しさだけじゃ生きられない
別れを選んだ人もいる
再び僕らは出会うだろう
この長い旅路のどこかで
果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう
癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて
少しぐらいはみ出したっていいさoh oh 夢を描こう
誰かの為に生きてみたって oh oh Tomorrow never knows
心のまま僕は行くのさ 誰も知る事のない明日へ
woo... oh...
©Mr.Children 1994
Tomorrow never knowsに人生を救われたことがあった
この曲はミスチルを代表する、もはや全国民が知ってると言ってもいいくらい有名な曲ですが、僕はこの曲に人生を救われたことがあるんです。
昔からミスチルは大好きで、中学校時代はMDにミスチルの曲をたっぷり詰め込め、チャリを漕いでいました。ずっと聞いてると、メロディと歌詞も覚えてきて、いよいよ歌詞の意味を考えるようになるんですよね。
そこで中学生時代の頃は、「名もなき詩」の2番サビで「愛はきっと奪うでも、与えるでもなくて、気が付けばそこにある物」という歌詞に大感動し、愛の本質をミスチルから教えてもらったわけです。愛は駆け引きで手に入れる物でもなければ、片方が一方的に愛を押し付けてもダメなんです。
気が付けばお互いに愛が芽生えているんです。それが愛なんです。
ということを中2の僕は悶々と考えていました。
さて、中2でミスチルの歌詞に芽生えた僕は、その後もいろんな曲に支えられてきました。
高校受験で第一志望に落ちた時も、彼女に振られた時も、親を亡くした時も、人生のあらゆるピンチの時に、ミスチルは寄り添ってくれました。
・・・ここまでお世話になってるのに、ライブDVDもファンクラブも入ってない俺を、どうか許してくださいね。
これは僕の勝手な考察ですが、90年代のミスチルって孤独に生きる現代人を応援する曲が多いと思うんですね。
友達にすら言えない悩みとか、苦しみとかを誰もが抱えていて。でも、誰にも言えなくて。気づけば孤独になっている人ってたくさんいると思うんです。ここでいう「孤独」というのは物理的に「ひとりぼっち」という意味ではなく、「精神的にひとりぼっち」という意味です。
そんな精神的孤独の苦しみを、ミスチルの曲は代弁してくれるような気がするんです。
ミスチルの曲は、ただの音楽でもただの詩でもない。5分未満の短い時間の中に壮大な世界が広がっていて、シャウトしてまで熱く叫ぶ桜井さんの歌声は、僕の心に突き刺さって離れないんです。
Tomorrow never knowsは、歌詞にもあるように「誰も知ることのない明日」という意味です。
明日、何が起こるか誰も知らない。楽しいこともあれば、怖いこともあるかもしれない。でも、そんなの気にいちゃいられない。
「果てしない闇の向こう」→「明日」に向かって手を伸ばしてみよう、自分の心のままに、生きてみよう。
という、人々の明日を応援する素敵な歌詞ですよね。
歌詞と自分の人生を重ねてみる
さて、この曲・この歌詞が僕の人生にどう影響を与えたのか?
実は、まだ会社に入らず大学で研究者を目指していた時代にTomorrow never knowsを聞いて、涙が溢れて溢れて仕方ない時があったんですよね。
実は私、昔研究ばっかしてた時期があったんですよ。
www.machinaka-movie-review.com
まぁ、今の僕を知ってる人は、この夢が見事に打ち砕かれたのは周知の事実かと思います。
研究に打ち込んでいた時期は、年齢的には24-27歳。
もう周りは社会人として働いているわけです。
うちの大学、というか学科は就職がすごくよくて、みんな大手企業に勤めて新卒からボーナスがっぽがっぽ。
一方の俺は大学からのささやかな給付型奨学金のみ。
当然、年収では同期に断然負ける。
でも、「これが俺の給料だ!」と息巻いていた自分がそこにいて、そんな暴論を言ってる時点で、すごく悔しい気持ちだったんだと思います。
ちなみに、給付型奨学金で博士生活が賄えるかというとそうでもなくて、当然親からの援助を頂いていました。にも関わらず、「俺は稼いでいる」とか意味のわからないことを言ってたのを、今でも恥ずかしく思います。
母ちゃん、ネットに疎くて絶対このブログ探せないから言うけど、あの時は本当にお世話になりました。
研究を一生懸命しても、大学から貰えるのはフリーターの年収程度。ここから学費も引かれるから、どう考えても社会人=一人で生活していける人間にはなれなかったんですよね。
周りは、もう一人前になってるのに。
そんな悔しさを常に抱えながら、日々生活していたんです。
博士って最短で3年で卒業できますけど、留年している人が多いのが実態。博士だと留年って言葉すら使わないですけどw
僕も例に漏れず、留年していたわけです。社会人になった今と比べると、あの時の時間は膨大で無限で、本当に長かったんです。
時間だけはあるから、普段乗らない路線バスとか乗ったり、自転車で街をぶらぶらしたり。そんな意味のない時間を過ごしていたんです。
とどまる事を知らない時間の中で
いくつもの移りゆく街並を眺めていた
大学に長くいるという事は、研究室では長老になるんですよ。後輩はどんどん卒業していくのに、自分だけは博士のまま大学に居座って。でも、そんな自分が誇らしくもあったんですよね。
「おお!!君も今度から社畜ですかぁwwww」っていじるのも毎年の恒例行事になっていて。そんないじりをするのも、好きで。
自分が社会に出て活躍するよりも、年下の後輩が社会に出る事が嬉しくて。もう自分は大学で見守っているよー的なノリだったんです。もう大学にいるのが当たり前になって。研究者になるという夢は、半ば諦めてたんですよね正直言って。
幼な過ぎて消えた帰らぬ夢の面影を
すれ違う少年に重ねたりして
これは誰にも言ってない事なんですけど、実は研究室に好きな女の子がいたんですよ。もちろん後輩ですね。
後輩だから先輩の私を持ち上げてくるんですけど、すっかり私はその気になっちゃって。。
正直、あの子が研究室にいる時は研究の事なんて考えられなかったですよ。研究者にもなりたいし、研究室の女の子とも付き合いたいし、付き合うってなったらとんでもない結末になると分かってるのに、当時の俺は本当に馬鹿でした。本気で付き合えたらいいなとか思ってました。
ただ、どうやら私の恋は一方的なようでした。そうです、愛は与えるものでも奪うものでもないんですよね。どれだけ私が頑張っても、相手が私の愛に気づく事はありませんでした、とさ。
無邪気に人を裏切れる程
何もかもを欲しがっていた
分かり合えた友の愛した女でさえも
(・・・私が誰を裏切ろうとしたのか、これ以上詮索しないでくださいね)
そんな無邪気な恋心にうつろいながらも、ちゃんと研究はやってたわけです。でも、どんだけ頑張っても研究成果が伸びない時ってあるんですよね。
研究ってのは時間かけたら良いものになるかと言ったらそうじゃないんですけど、例えば2年くらいかけて温めてきた研究が否定されると、もう死にたくなるじゃないですか。
研究成果を出すためには査読論文を出すしかないんですけど、査読論文を投稿するのは年に3-4回くらいが限界。他の仕事とは違って、粘り強く交渉なんてできない。文章だけの一発勝負が、論文の世界なんですよ。
論文がダメなら、1年間の成果はなかった事になる。恐ろしい世界なんです。今考えれば査読なしの講演用論文を出すだけでもポイントにはなったんですけど、当時の私はそんな事御構い無し。査読論文が俺が俺でいるための存在証明だったりしたわけです。
最初は調子良かったんですけど、どんどんダメになって。
1年間に3本査読が通っていた時代もあったんですけど、後半になってからはゼロ本という年もありました。3と0ってあまり大差ないように見えて、天国と地獄くらいの差があるんですよ。
成功してる時は調子良かった僕も、論文がダメだともう死にたくなるくらい辛くて。
研究ってゴールがないんですよ。マスコミだと研究成果の事を「世紀の大発明!」とか「天才教授!」とか触れ込みが出ますけど、現実はそうじゃないんです。
どれだけ優れた研究・論文でも、最後には必ず「今後の課題」を付けるんです。課題をつける事によって、「これだけが正解じゃない、もっと他の答えもある」というメッセージが入る。
つまり研究って、明解に明日を予測するものではないんですよ。どれだけ研究しても、明日が見えるわけじゃない。これまで発見してこなかった論に対して、決して正解を与えるものではないんです。一種の可能性を与えるだけで。
だから論文の審査基準も曖昧で曖昧で。論文を認めてもらうための基準なんてないわけです。
でも、論文集に掲載される数って毎年だいたい決まっていて。審査に受かる奴もいれば落ちる奴もいる。
僕が投稿してきた論文の採択率っていうのは、だいたい50%。高いように見えますけど、立派な大学教授の人ばかりが投稿する中で、採択されないといけないのです。苛烈な競争率なんですよ。
落とされた理由もわからない時もあります。もう、正解かどうかも分からないものに挑戦する事に、疲れた自分がいました。
周りで博士しているのは俺だけだし、圧倒的な孤独を感じてたんですよ。どれだけ研究で頑張って論文認められたとしても、たいして給料がもらえるわけじゃないし。論文に落ちたら、お先真っ暗だし。
そんなんじゃ、何が勝利で何が敗北か分からなくなってくるんですよ。でも、博士に進んだからには頑張って競争に勝たないといけないんですよ。
・・・そんなヤキモキした気持ちを抱えながらスーパーで夕食を物色していた私。
その時たまたま、Tomorrow never knowsのサビが流れてきたんですよ。
償う事さえ出来ずに今日も傷みを抱き
夢中で駆け抜けるけれども まだ明日は見えず
勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく
もう、自分のためにある歌詞だと思ってしまいました。ごめんね、 ミスチルファン。
どんだけ頑張っても明日が見えない。周りは会社員なのに一人研究者の道を進む孤独。
そんな自分にとって、この歌詞は刺さり過ぎました。
刺さり過ぎて、号泣しながらそのままスーパーの惣菜コーナーを100往復くらいしてしまったのも、いい思い出です。
あの時は、家に帰りたくなかった。ミスチルと惣菜のぬくもりを、感じていたかった。
結局コロッケを買った、美味しかった。
1番の歌詞は、まさに私の当時の境遇を代弁してくれているようで、本当に心に刺さりました。共感に次ぐ共感でした。そうなんだよ、明日って見えないんだよ。。
そして、2番の歌詞は、明日は決して見えないけど立ち止まってんじゃねぇぞって鼓舞してくれる内容になっていて。
人は悲しいぐらい忘れてゆく生きもの
愛される喜びも 寂しい過去も
そう、自分がどんだけ悔しがっても辛くても、他人はそんな事すぐに忘れてしまう。そして、自分自身も、過去を振り返ると昔の辛さを忘れてしまうものなんです。
こういった歌詞があるから、明日に進む勇気を与えてくれるんですよね。
今より前に進む為には
争いを避けて通れない
そんな風にして世界は今日も回り続けている
人は誰でも、競争は避けられないんです。この映画ブログだってね、同じ映画ブロガーと争う事もあるんです。
研究なら、なおさら競争心が芽生えます。
この歌詞を聴いて、競争してるのは自分だけじゃないんだって、そう思えました。競争するのは人の常。そうやって世界は回ってるんですよね。
こういった「今日より先に進む勇気」を歌ってくれる事で、次のサビに大きく共感できるんです。
果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう
誰かの為に 生きてみても oh oh Tomorrow never knows
心のまま僕はゆくのさ 誰も知る事のない明日へ
僕が一番好きなフレーズは、「 果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう」なんです。
果てしない闇の向こう、僕は「答えの見えない明日」であり「不安だと思ってる自分の将来」だと解釈していますが、桜井さんはそんな怖い闇に手を伸ばそうと言ってるわけです。
このフレーズだけ聞くと、無理だよ、そんな事言わないでよ。って思ってしまうんですけど。
でも、このサビに辿り着く前に、十分すぎるくらいのパワーをもらってるわけですよ。
果てしない闇に対峙する前に、闇に対して抵抗がなくなるようにしてくれてるんです。
そう、周りが何をしていても、自分には関係ないんです。自分が進む道を、進めばいいんです。
誰かのために生きてみても、明日が見つかるわけじゃないんです。
誰も知る事のない明日に対して、自分以外誰も知る事のない研究を抱えながら、僕は自分ありの明日を踏み出そうと感じました。
あの時は本当に、助かりました。
曲を聞いたからと言って論文が通るわけでも、研究が上手くいくわけでもなかったけど、「自分なりの道を進む」事への意志の強さは確固たるものになりました。
それがあったから大学生活が長くても平気になったし、今までやった事ない事にも挑戦できた。
だからこそ、研究そっちのけで映画を見るようにもなったし(オイ)、論文以外の文章も積極的に書こうとしてブログも始めたし、ラジオでメールも投稿するようになった。
結果、今の自分は研究者にはなれなかったけども、研究で培った能力を活かせる職場・活動ができてるんです。
夢を追っている自分に別れを告げ、明日へ進む事も大事なんです。実際に僕はそうでした。でも、どこかで再び夢を追いかけていた自分と出会う事もあるんです。
当初の夢は叶わなかったけど、当時追いかけていたものとは必ずどこかで対峙するんですよね。なんだかんだ仕事で論文を書く事もあるので、人生わからないものです。
優しさだけじゃ生きられない
別れを選んだ人もいる
再び僕らは出会うだろう
この長い旅路のどこかで
歌詞にある「僕ら」は、過去の自分と未来の自分だと思ってます。長い旅路=人生の中で、昔の自分と出会う事もある。時には過去の自分と決別する必要もあるけど、必ずどこかで出会えるんです。
そんな巡り合わせで、世界は回ってるんだと思っています。
癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて
そう、もはや自虐ネタにはしって過去の失敗を活かすのもいいと思います。
20代後半は遠回りばっかりした自分でしたが、
少しぐらいはみ出したっていいさ
そう、はみ出してもいいんです。
夢を描こう
いくつになっても、夢を描いていいんです。
これまでも、そしてこれからも、僕は心のままに。誰も知らない明日へ向かっていこうと思います。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。