こんばんは、Machinakaです。
先ほど、下記のような投稿を最後に、この「@Blog_Machinaka」での発言をしばらくの間休止し、当面はブログ等の告知・宣伝用にすることにしました。
突然ですが諸事情により、本アカウントでの発言を休止します。
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2019年5月1日
当面はブログ等の告知宣伝用とさせて頂きます。
今まで仲良くして頂いたタマフル(アトロク)リスナーの皆様、映画ファン・映画ブロガーの皆様、嵐ファンの皆様、今まで本当にありがとうございました。#utamaru#映画好きと繋がりたい
ただ、#おれなら の生放送でお世話になっている映画ブロガー同志に迷惑かけないよう、このアカウントで生放送はさせていただきます。
なんか中途半端な休止ですが、ここで定義しておくと「告知・宣伝・生放送を除き、文章による発言を休止する」ということになります。正確に言えば、「ツイッターから距離を置く」といった方が正しいかもしれない。
令和元日になんか変な投稿をしてしまい、すいません。
なぜ休止するに至ったのか、またTwitterに関して前から思っていたことなど、記事にしていますので、よかったら読んであげてください。
- 理由その①:図らずして、敬愛する有名人を傷つけてしまった
- 理由その②:Twitterでのボタンの掛け違い、不毛な議論に付き合いきれなくなった
- 理由その③:令和の時代にTwitterは適切なのだろうか?
- 最後に、これまでお世話になったフォロワーの方へ、ツイッターを嗜む全ての人へ
理由その①:図らずして、敬愛する有名人を傷つけてしまった
具体的な人名等は一切避けるが、私がかれこれ5年以上前から尊敬し大好きな、とある有名人の名前の文字列を含んだ、とある投稿をTwitterで行った。
以下、便宜的に「とある有名人」の方はAさんとしたい。
そのツイートには、特にAさんのアカウント名(@◯◯◯◯といったような)が含まれていない。つまり、Aさんに向けて投稿したわけじゃない。
しかし、Aさんの名前の文字列が投稿内容に含まれていたため、Aさんがエゴサーチをすれば、簡単に僕のツイートは検索できてしまう状態だった。
案の定、Aさんはエゴサを頻繁にされる方であった。
そして、Aさんは僕のツイートを発見し、引用リツイートする形で僕に返信をくれた。
そこには、僕のツイート内容に対するAさんの丁寧な回答に加えて、僕に対して苛立ちを感じさせるような文章が書かれていた。
よく見返せば、僕のツイート内容にはAさんの仕事内容を考えると、大変失礼な文言が含まれていた。
何度も説明するが、決してAさんに向けて放った言葉でも、決してとある仕事を軽蔑するような意図はない。決して特定の人に対して発言したものではない。
ただ、Aさんにとっては非常に心に引っかかる文言だったようだ。
慌てて僕はAさんに、回答してくれたことへの感謝と、謝罪の弁を述べた。
しかし、時すでに遅し。
Aさんは僕が返信したツイートをさらに引用し、最初の返信時とほぼ同じ内容のコメントを付した。
最初はなぜ同じ内容を二回も返信してくれたのか分からなかったが、次第に明らかに苛立ちを感じているのが伝わってきた。
正直、唖然とした。悲しかった。
Aさんには以前にもRTや返信を頂いていたため、よくツイッターをされる方で、しかもエゴサーチもする方だとは認識していた。しかし、よりにもよって僕のツイートを見つけてしまったがために、起きてしまった事故。
ただ、どう考えても自分はAさんを攻撃したつもりはなく、素朴な疑問をつぶやいただけだった。
何度も言うが、その疑問をつぶやく時にはAさんのアカウント名を入れているわけでもなく、誰に対して発言したわけでもなく、本当に「単なるつぶやき」として投稿したものだった。
縁もゆかりもない人だったら反論もするだろうし、何なら無視という手もある。
しかし、こんな時に限って、Aさんに様々な番組で笑わせてくれ、楽しませてくれ、泣かせてくれたことを思い出してしまった。
Aさんは忙しい中、一般人の僕に返信してくれたのだし、僕はもう一度Aさんに謝罪しようと思った。
Twitterの画面からAさんのアカウントをタップしたその時
「あなたはAさんにブロックされています」
という文字が。
信じられなかった。心にぽっかりと、穴が開いてしまったような、そんな感覚を覚えた。
しばらく放心した後、ブロックを避けるために、別のアカウントからAさんのアカウントをタップし、何かツイートしていないか確認した。
すると、Aさんのツイッターに僕に対する明らかな不満と文句が書かれていた。
信じられなかった。
尊敬し大好きなAさんが、僕のせいで苛立っている。
あの投稿内容で、何でここまで怒っているのか、やはり未だに理解できない。
ただ間違いないのは、自分では特に問題ないと思ったツイートが、Aさんにとっては何らかのコンプレックスに触れたのだ。
意図せずではあるが、僕が敬愛する人を傷付けてしまった。
誰かを傷つけるくらいなら、僕はもうツイートをしない方がいい、と強く感じた。
これが僕がツイッターから距離を置くきっかけとなった、一番の理由です。
すでにブロックされているので、どんな声もAさんには届かないが、ただただ僕のツイートのせいで不快な気持ちになってしまったことを謝罪したい。
もうこのアカウントでは、Aさんに対して何の発言もしないと、心に決めた。
理由その②:Twitterでのボタンの掛け違い、不毛な議論に付き合いきれなくなった
Aさんの僕に対する不満・文句ツイートは、当然ながら他人も見られるようになっており、Aさんは有名人であるため、アカの他人が僕に対して攻撃をするツイートも見つかった。
なぜそんなツイートが簡単に探せてしまったかと言うと、Aさん自身がリツイートして自身のタイムラインに流していたからだった。
アカの他人の僕に対する攻撃ツイートを読むと、もはや僕の投稿内容を超越した、単なる個人攻撃になっていた。
こうした第三者の批評家にも似たツイートだけは、どうにも我慢ならない。
反論したいが、ここで揉めてはその第三者が傷ついてしまう。
第三者のツイートについては、怒りを通り越してもはや、呆れることにした。
その第三者ツイートをしばらく眺めて考えてると、あることに気づいた。
こいつ、なんて不毛な時間を過ごしてるんだ、と。
僕の発言内容を超越し、持論を展開する第三者のコメント。しかも目的は、俺を攻撃することにある。
それでマウント取ったつもりなのか分からないけども、お前は何もしてないし何も関係ない。
人を理解しようともせず、有名人のツイートに便乗して「完全同意です!!こいつアホです!!」みたいなツイートをしてるやつを見て、心底ツイッターって不毛だなぁと呆れてしまった。
僕に限らず、ボタンの掛け違いで不毛な議論をするツイッターのやり取りを、よく見かける。
ツイッターには特に言葉の規制もないので、不適切だったり人格を否定するようなコメントが絶えず、ツイッターには流れてくる。
Aさんは決して常識の範囲内でのツイートを心がけていたが、Aさんのツイートを見た第三者はそうではない。
第三者のツイートを見た第四者、第五者がさらに攻撃的なツイートを投稿することによって、もはや元となる発言内容が辿れず、カオスになる。
ツイッターは、災害時には便利なコミュニケーションツールになるが、時には憎悪の入り混じった地獄絵図になるのだ。
俺はもう、そんな不毛な議論からはおさらばしたい。
これが第2の理由。
理由その③:令和の時代にTwitterは適切なのだろうか?
そしてようやく、第3の理由にしてタイトルに「礼和」を入れた意味を説明する。
礼和元日から、少しつまづいてしまった僕。
気分転換に、礼和の語源とその意味を調べてみた。
「時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。」
万葉集の梅の花32首より
礼和という意味は万葉集の梅の花という首から取られており、梅の花について語っているとのこと。
これを現代語訳し解釈をすれば、下記のような意味が込められてるという。
人々が美しく心寄せ合う中で文化は花咲く
https://haru-journal.com/trend/news/7034/
ツイッターの話に戻れば、僕が投稿した内容によって、人々が美しく寄せ合うのとは正反対の結果となってしまった。
僕の投稿によって、人々がいがみ合い、心が離れ合ってしまった。
つまり、僕のツイートは、礼和の時代に適合するものとは思えないと感じた。
そして、自分のツイートに限らず、総じてツイッターは人々がいがみ合う場所でもある。そんな場所に長居するのは、もはや時代遅れとも感じてしまった。
これが第3の理由です。
最後に、これまでお世話になったフォロワーの方へ、ツイッターを嗜む全ての人へ
このアカウントで長らくツイッターをやってきて、本当にたくさんの方と出会うことができました。中には、リア友になった人もいます。
毎日やり取りするような、親友もできました。
これまでお世話になった、タマフル(アトロク)ファンの方、映画ファン・映画ブロガーの方、嵐ファンの方、平成JUMPファンの方、本当に本当に本当に、ありがとうございました。
まだ当面、ツイッターで発言するのは控えさせていただきます。
発言する資格が自分にもある、と自信を持てたら、またツイッターを再開したいと思います。
最後になりましたが、僕のフォロワーさんに限らず、ツイッターをやっている全ての人に向けて言いたい。
礼和の時代も、皆さん素晴らしいツイッターライフを!!!
↑俺が言ったら説得力ない