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映画「ファーザー」ネタバレあり感想解説と評価 認知症視点で描く映画の虚構性

 
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この記事では、「ファーザー」のネタバレあり感想解説記事を書いています。
 
 目次
 

まえがき

 

 

今回批評する映画はこちら

 

「ファーザー」

 
 

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(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020

これほどまでにハードルが上がった映画も珍しいのではないか。

 

異例尽くしの2021年アカデミー賞の中でも、ひときわ目立ったアカデミー主演男優賞。

 

通常であれば作品賞が最後に来るはずが、まさか主演男優賞が賞の最期に来るとは、誰が予想しただろうか。

 

そして、チャドウィック・ボーズマンではなくアンソニー・ホプキンスが賞を勝ち取ったことも、誰にも予想できなかっただろう。

 

www.vogue.co.jp

 

まだ本作が公開されてない状態でアカデミー賞を見た自分としては、否が応でも本作に対する期待が高まる。異様なほどの高まりと言ってもいい。

 

アカデミー賞のハイライト中のハイライト。サプライズ中のサプライズとなった本作に対する期待は、誰も止められない。

 

いったい、どんな父親の演技が評価されたのか、この目で確かめたい。  

 

それでは「ファーザー」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。

 

 

 

 
 

あらすじ

  
名優アンソニー・ホプキンスが認知症の父親役を演じ、「羊たちの沈黙」以来、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した人間ドラマ。日本を含め世界30カ国以上で上演された舞台「Le Pere 父」を基に、老いによる喪失と親子の揺れる絆を、記憶と時間が混迷していく父親の視点から描き出す。ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは認知症により記憶が薄れ始めていたが、娘のアンが手配した介護人を拒否してしまう。そんな折、アンソニーはアンから、新しい恋人とパリで暮らすと告げられる。しかしアンソニーの自宅には、アンと結婚して10年以上になるという見知らぬ男が現れ、ここは自分とアンの家だと主張。そしてアンソニーにはもう1人の娘ルーシーがいたはずだが、その姿はない。現実と幻想の境界が曖昧になっていく中、アンソニーはある真実にたどり着く。アン役に「女王陛下のお気に入り」のオリビア・コールマン。原作者フロリアン・ゼレールが自らメガホンをとり、「危険な関係」の脚本家クリストファー・ハンプトンとゼレール監督が共同脚本を手がけた。第93回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞、助演女優賞など計6部門にノミネート。ホプキンスの主演男優賞のほか、脚色賞を受賞した。

 

eiga.com

 

 
 
 
 
 
 

「ファーザー」のネタバレありの感想と解説(全体)

 

 
 
 

時計をなくす冒頭が、全てを物語る

 
冒頭、オリビア・コールマン演じるアンとアンソニー・ホプキンス演じるアンソニーの親子の関係が描かれる。
 
自宅がメインで、親子のささいな会話ばかりが映される。
 
今テレビ東京でドラマ化されている「生きるとか死ぬとか父親とか」のような話だと思っていた。つまり、それほど派手でもなく、市井の親子を描いた話だと、思っていた。
 
 
 
時計をなくしたと騒ぎ立てるも、腕には当該の腕時計が。認知症を説明するためにはあまりにも端的な説明。 
 
しかし、この無くした時計を探し続けるという行為は、映画全編を通して非常に重要な意味を持つ。
 
アンソニーは冒頭に限らず、常に自身の腕時計を気にしている。執着的だとも言ってもいい。
認知症であれば腕時計以外にも気にすることはあるだろうが、何度も何度も時計の有無を尋ねる。
 
彼がなぜ腕時計に執着するかと言うと、彼にはないものを持っているからだろう。
 
それは、正確に確実に時を刻んでいることと、常に先の時間へ針を進めていることだ。
 
正確に時を刻むことは、確かな記憶と大きな関係がある。
 
彼の腕時計への執着は、彼自身の記憶力を補完するために必要なものだったのかもしれない。人間にとって記憶力とは必要不可欠で、肌身離さず持っておきたいものだから。
 
一見、単なる認知症の説明と思える冒頭のシーンも、実は映画全編に波及してくる。
アカデミー賞を獲る映画は、こうじゃなきゃいけない。さりげないシーンに重要な意味を持たせる。それが冒頭に説明されることが、何とも映画的に素晴らしい。
 
 
 

 

認知症視点で描く映画の虚構性

 

冒頭のシーン以降も、基本的にアンソニーの自宅(フラット)が舞台。

娘のアンと娘の夫、そして介護スタッフという少ない登場人物の中で展開されていく。

 

つまり、空間も人も制約されており、話自体も家族ドラマのため、非常に地味な印象を受けるのは間違いない。

 

しかし、本作はそんな私の予想を完全に裏切った。

 

確かに本作は様々な制約があったものの、「時間」を自由自在に操った。今風の言い方をすれば、時間に全振りした。

 

映画は認知症のアンソニー視点で描かれるため、さっきまでスクリーンに映っていた出来事が、実は過去にアンソニーが体験した映像であることが多いのだ。

 

例えば、自宅で娘の夫と会話するシーンが流れた直後に、娘のアンと夫のことについて会話すると、「お父さん、私もう離婚して5年経つんだけど」と言われるシーンがある。

 

つまり、その時には起きていない出来事(虚構)が、アンソニー視点で描かれるために現実と虚構が入り混じる構成となっている。

 

アンソニーの記憶を何も知らない観客にとっては、何か特別な演出がない限り、映ったシーンを自動的に真実として受け入れてしまう。

 

舞台は自宅のまま固定され、カットを割らずに虚構→現実に転換するため、観客には何が虚構で何が現実か見分けがつかないのだ。

 

しかし、その直後に娘や夫や介護スタッフから、さっきまで流れていたシーンは嘘だと言われ、虚実が完全に逆転する。

 

認知症のアンソニーを「見ている」という立場だった我々は、いきなり「見られる」という関係となる。

 

この見る・見られる関係の逆転こそが、映画の白眉ではないだろうか。

 

そして、認知症の特徴を映画の演出に反映させることなど、誰が想像できただろうか。

 

本作でしか成しえない、素晴らしい演出だったと感じる。

 

 

 

虚実を強調させるシンメトリー構図

本作の虚実を強調するものが、シンメトリー構図の多用だ。

 

シンメトリー構図とは画面が左右対称になる構図のことで、肌感覚だがイギリス映画に多い気がする。

 

www.machinaka-movie-review.com

 

映画的には、シンメトリーは左右対称という幾何学的特徴から、規則正しさを表すことが多い。

 

また、画面の中心から縦割りすると全く対照的な二つの画が出来上がることから「二面性」を表すこともある。

 

本作はシンメトリー構図が醸し出す「二面性」を活用して、認知症のアンソニーが作り出した「虚構」と、「真実」という二面的な構成に映画を仕上げたと思われる。

 

また、アンが画面の右半分にだけ写されたり、シンメトリー構図を使って対照的な画を作ったのも印象深かった。もしかしたら、画面の左と右で虚構と真実が真っ二つに分かれていたのかもしれない。

 

 

 

 

話は家族ドラマ、演出はホラーサスペンス

 

こうした虚実入り混じる構成によって、本作は先の展開が全く読めない展開になる。

どのシーンが嘘で真実かどうかは、必ずそのシーンを見た後にしか明かされないからだ。

 

観客はこのシーンが嘘かどうか、常に疑いの目を強いられることになる。

 

そして、これがサスペンス的な魅力にリンクすると作り手が感じたからなのか、本作は全編を通してホラー・サスペンス的な作風に仕上がっている。

 

照明はほとんど使わず自然光であり、カーテンを閉め切っているため常に画面が薄暗い。背景も役者も、半分白くて半分黒い。薄気味悪さが強調されている。

 

そのため、ライティングはホラー映画のそれと同等となり、アンソニーの記憶の曖昧さも相まって、ホラーサスペンス映画のような出来栄えになっている。

 

例えば、1人で自宅にいるアンソニーを写すシーンで、急に物音が入る。

 

アンソニーは「誰かいるのか!?」と驚きソワソワする。もちろん、観客もアンソニーと同じ気持ちだ。

 

恐る恐る物音の発生源へと歩を進めると、何故か男が一人座っている。

 

この一連のシーンは完全にホラーサスペンスを見ている時と同じ心理状態になっていた。不安を増幅させる音響も入っており、作り手はかなり意図的にホラーサスペンス演出を施したのだろう。

十分、満喫させてもらった。

 

ちなみに、件の謎の男は娘の夫であり、もともとアンソニーと同居している間柄だった、というオチなのである。

 

 

 

水色がアンソニーを侵食する

 

  

本作で印象的だった色は、水色。主にアンの衣服や自宅の壁紙など、大量に水色が敷き詰められていた。

 

対照的に、アンソニーは赤色の服を身に付けることが多く、アンの色とは反対色となる。

 

水色は主に冷静沈着や理性的、赤は衝動的・情熱的のイメージを持つ。アンとアンソニーのキャラクターは、色のイメージと重なる。

色彩設計もキャラクターを伝えるための重要な役割として機能しているのだ。

 

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(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020

アンソニーが冒頭、水色のビニール袋を握りつぶすシーンがあるが、これは水色の持つ冷静沈着さを破壊することと同義で、この直後に彼は冷静さを失い、誰かが部屋に入り込んでいると誤認してしまう。

 

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(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020

 

アンソニーが着ていた赤色の服も、映画後半では見かけなくなる。

 

決定的なのは寝るときに来ていた水色ストライプのパジャマ。ストライプの直線と水色が相まって、ザ・冷静沈着と言わんばかりの服を身に付けている。

いや、着させられている。

 

アンがアンソニーの首を絞めることからも分かる通り、アンソニーは完全にアンに支配されている状態、となっている。

賢明に介護をするアンには申し訳ないが、アンソニーのアイデンティティが崩壊した瞬間である。

 

アンソニーの部屋は次第に水色に染まっていき、コショウを振るミルの色も水色になっているのだから、色彩設計の徹底っぷりが凄まじい。

 

本作をこれから見る方は、水色の関係に着目してご覧いただきたい。

 

 

まとめ

 

家族ドラマで地味な展開だと思っていたのだが、良い意味で完全に裏切られた。

 

まさか、ホラーサスペンスだったなんで。誰が予想できただろうか。

 

日本ならまず感動げな話になるところを。。

 

この作風と、アンソニー・ホプキンスが演じていることで、まるでレクター博士の老後を見ているような気がした。いや、違うか。

 

とにかく、認知症が怖くなる映画であることは間違いない。

 

もし自分の親が認知症になったら、アンのように介護が出来るだろうか。

合理性を考えて施設に入れられるだろうか。

 

誠心誠意介護をしても、その苦労を当人はすぐに忘れてしまう。なんとも恐ろしい。ホラー演出が目立った作品だが、認知症の恐ろしさこそが一番のホラーのように感じる。

 

そして、認知症は今日も現実として起こり続けている。我々も、アンソニーのようになる可能性は否定できないのだ。

 

 

 

97点 / 100点 

 
関連画像

 

 
 
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