まえがき
こんばんは! Machinakaです。
映画評論は久しぶりですね。今秋まで少し忙しかったので。。
少し時事のことを話させてください。最近どこのテレビ局も大阪府高槻市で起こった中学1年生の殺人事件が報道されていますよね。最初は行方不明であったことと、犯人の殺人動機もあって、多くの人に衝撃を与えた事件でした。
しかしなぜ、長い放送時間を使って、しかも生中継までしてこの事件を放送したのでしょうか。単にこのニュースの真相を暴きたいだけだったら、ニュース速報だけでも対応は可能だったはず。もちろん、若い二人の行方が分からなくなるのは、気がかりで仕方がありません。ただ、安保の問題やその他の殺人事件など、多くのニュースを報道する必要があるはずです。
「ナイトクローラー」感想
なぜあんな大がかりな放送に踏み切ったのか? それは「視聴率」至上主義が産んだ、現代マスコミの暗部が大きく関係しているのです。本日評論する「ナイトクローラー」は、そんな映画です。
2015年アカデミー賞で脚本賞にノミネートされた本作。監督は脚本家として有名なダン・ギルロイ。主演はジェイク・ギレンホールです。
ナイトクローザーを英訳すると、Nightcrawlerです。Nightは夜、crawlerははって歩く者、と訳せます。つまり、「夜の徘徊者」とでも考えてください。
この映画は、殺人事件・交通事故・火事などを専門とするパパラッチが主役です。
事故・事件で人が死んだらすぐに駆けつけて無断で撮影を始め、その映像をテレビ局に高く売る。より強烈な映像であればあるほど、ビデオは高く売れる。
主人公のルイスは仕事をクビになって、鋼材を盗難しては食いつなぐ日々。家族と生活もせず、恋人も友達もおらず、唯一の友達はテレビとインターネット。将来に希望がない若者。そんな彼の希望が、ナイトクローラーだったのです。自分の力でニュースが変わる、世の中が変わる。彼は仕事がなかったために、ひたすらテレビを見ていたのです。
しかも、映像の販売先は視聴率が低いローカルテレビ局。そのディレクターは彼の映像を高く評価し、こう言い放ちます。
「大事なものはグラフィック/ Grafic ダウンタウンの犯罪よりも、閑静な住宅街での凶悪事件を追及しなさい」
この一言に、マスコミの本音があらわれています。 視聴率により会社の売り上げが上下するシステムになっているテレビ局。
大事なのは視聴者の関心を誘う「インパクトのある画」なのです。
ルイスは警察の無線を傍受しては、事件の現場へ駆けつけるハイエナになってしまいました。スクープ映像のためなら、ちょっと悪いことをしてもいい。そんな彼は、映像を撮るためなら死体を動かし、住居に勝手に侵入し、仲間の死さえも売りにする最低外道に成り下がってしまいました。
しかし、彼のような非人道的パパラッチを育てたのはマスコミビジネスにおける、視聴率という価値基準です。
映画の最初から最後まで、彼には同情の余地が一つもありません。視聴率至上主義によって、悪魔になってしまったのです。
凶悪な事件を報道することも社会にとっては重要な関心事です。しかし、それ以外に報じるべきこともあるはずです。