こんばんは!
Machinakaです!!
こちらのブログが初めての方、ご訪問いただきありがとうございます!
「映画のタイトル+解説(感想)」で検索してくださってこちらにいらっしゃった方には大変申し訳ないんですが、できれば第1回目の記事をご覧いただいて、私の自己紹介と本ブログの趣旨をご理解いただければと思います。
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今日ははてなブログで書きたいと思います。
何気に、ドメインが変わってから初めての映画の感想になります。
今日感想を書く映画はこちら。
「We Love Television?」
はい、映画のポスターにも印象的に使われているこの写真。欽ちゃんがタバコを吸っている写真ですけども。
欽ちゃんはほとんどテレビではタバコを吸っているイメージなかったですよ。ていうかタバコを吸うなんて初めて知りました。
テレビでは見せない顔=タバコを吸っている写真のメタファーとして使っているのかな? そんな妄想を想起させてしまう、なんか考えたくなるようなポスターですね。
とりあえず、まずはあらすじから
■あらすじ
萩本欽一の素顔、番組作りの裏側を「電波少年」で知られるテレビディレクター土屋敏男が追ったドキュメンタリー。ある日、萩本の自宅を訪れた土屋が「視聴率30%超えの番組を作りましょう」と萩本に提案する。そこから、かつて出演する番組の一週間の合計視聴率の高さから「視聴率100%男」の異名をとった萩本と、萩本を敬愛する土屋による新たな番組作りがスタートする。演者との顔合わせ、番組構成スタッフとの打ち合わせなどを精力的にこなしていく76歳の萩本欽一。笑いを追求し続け、新しい要素を取り入れ、関わる人々の熱量を最大限に引き出していく萩本欽一独自のテレビ作りの奥義、萩本欽一の真の姿が土屋のカメラによって記録されていく。
公開からかなり経ってるのに、なかなか配信&レンタルされなかったんですよね。気にはなってたんですけど、公開館が少なくて。
WOWOWで放送されていたので、録画して鑑賞させていただきました。
あ、スタッフを紹介してなかったですね。こちらです。
監督 土屋敏男
企画 土屋敏男
構成 土屋敏男
製作 今村司
エグゼクティブプロデューサー 伊藤響
プロデューサー 齋藤政憲
技術コーディネーター 鴇田晴海
編集 木村恵子
主題歌 岡村靖幸
監督助手 山崎恵美子
アートディレクター 布村順一
フォトグラファー ワタナベアニ
アシスタントプロデューサー 片山暁穂
何も説明しなくても、「土屋」というだけでピンとくる方がいらっしゃるのでしょうか?
アメトークで大活躍の土屋? 浅草の漫才でいつもドッカンドッカン言わせてる土屋?
否、日本テレビの土屋、通称「Tプロデューサー」が監督・企画・構成を務める映画なのである。もちろん、この人は映画なんて監督したことない。
初めてのTプロデューサーの監督映画なのである。
土屋プロデューサーが何者か? 今の若い人は知らないかもしれない。
・「電波少年」
・「ウッチャンナンチャンのウリナリ」
のプロデューサー、演出、出演を果たし、当時の90年代のテレビ黄金時代を作った人。
といえば伝わるだろうか?
これもまた、古いテレビなので今の若い人は知らないかもしれない。
そんなTプロデューサーが、2017年になって欽ちゃんを主演に映画を撮ったのである。
一体何を企画したのか? その全貌は?
■オープニングの衝撃と既視感
いつの年かはわからないが、日テレの24時間テレビ時の武道館を空撮した映像から物語は始まる。
スマホ画質で撮ったと思われる欽ちゃんのインタビュー動画。
欽ちゃんが「俺が亡くなった日に放送してくれ」という一言のあと、タイトルクレジットが入る。
・・・
2011年の1月。映画はTプロデューサーが車に乗っているシーンから始まる。あたりを見る限り、真夜中。
「ここに車着けようか?」とドライバーに言うプロデューサー。
そして着いた先は何と、欽ちゃんこと萩本欽一の自宅。
欽ちゃんの格好は寝巻き。どうやらアポなしで訪問しているようにも見える。
そしてTプロデューサーが一言
「視聴率30%のテレビ番組を作りませんか?」
これが映画のオープニングである。衝撃と共に、ある既視感が走った。
■ 欽ちゃんを使った「現代の電波少年」
作品の評価はと言うと、間違いなくベスト級のドキュメンタリー映画と言うに相応しい作品。
リアルタイムで映画館で見ていたら、間違いなく今年ベスト5本に入る、ドキュメンタリーだとベスト1位にしていた作品であったと思う。
テレビじゃない欽ちゃんの一挙手一投足に固唾を飲み、画面から目が離せなかった。物語が進むにつれて、笑い、泣き、そしてテレビに一抹の希望を感じさせてくれる映画であった。
今作の基本構造は、言わば「現代の電波少年」の復刻であると感じた。Tプロデューサーが監督である以上、演出がどうしても似てくるのだろう。
ただ、普通の電波少年じゃないことは確か。なぜなら、今回の電波少年のターゲットは猿岩石でもなすびでも松村邦洋でもなく、テレビ界のレジェンド・萩本欽一なのである。
この設定を見たとき、非常に既視感があった。覚えている人は少ないかもしれないが、2000年の電波少年で似たような企画をやっていたからだ。
松本人志をターゲットにした「アメリカ人を笑わせに行こう」という企画。これを覚えてる人はほとんどいないだろう。なぜなら、企画が途中で中断したためである。
【SASUKE】電波少年的松本人志のアメリカ人を笑わしに行こう(完結編)
芸人に「面白い番組を作りませんか?」という点では、松本人志版と非常に似ていると感じた。
なんだ、松本人志が萩本欽一に取って代わっただけか、と思っていたが、それは私の早合点だった。
この映画の最も大きな特徴は、「視聴率30%のテレビ番組を萩本欽一が作る」ことが目的でなく、今や無謀とも言えるこの企画を通して、「本当に面白いテレビのカタチを考える」ことであると思う。Tプロデューサー自身は「30%番組の奥義が何かわかるのではないか?」という言葉を使っていた。
「おもしろいテレビのカタチ」とは何なのか?
その答えは、この映画を通して萩本欽一自身が我々観客に教えてくれることになる。
30%のテレビ番組の企画を作る前に、欽ちゃんが「今のテレビの問題点」をたっぷり語っているのだが、その一言一言が的確であり、非常に重い。欽ちゃんの「現代テレビ批評」を聞けるだけで、この映画の元は十分取れるに違いない。
例えば、欽ちゃんは「今のテレビは悲しい」という表現を使う。
しかし我々一般視聴者は、「今のテレビはつまらない」と言うのが大半だろう。
この小さな違いが、欽ちゃんと我々との意識の違いなのだ、とハッとさせられる。
私が考えるに、欽ちゃんと我々ではテレビに対する当事者意識が全く違う。欽ちゃんが「今のテレビは悲しい」と言うのは、自分が今や積極的に関わっていないからではないのか? だから少なくともテレビに対して、自分が関わらなかったからつまらなくなった→悲しいという表現に至ったのではないか? と思ってしまう。
他にも飛び出す名言の数々。
「テレビは奇跡を起こさなければいけない。奇跡がないと面白くない」
「今の若い人、今の視聴者は安心したがる」
「安心した番組なんか見ても面白くない」
予定調和のテレビ番組なんかつまらない。現場のアドリブといつ何が起こるか分からない状況こそが奇跡を生むという。テレビは極力、安心しない方がいいという。だから直前の打ち合わせはしたくないという。。。
今のテレビじゃ絶対に考えられないものだろう。よくよく考えてみると、今のテレビでアドリブが言える番組なんて何個あるだろう?
そんな欽ちゃんの強い信念の元、番組制作が始まっていく。番組は今じゃ見ないコント番組。台本はあるが、当日絶対にアドリブを入れろという欽ちゃんの要求がある。
そんな欽ちゃんの強い信念に巻き込まれるのは、次長課長の河本準一。これはネタバレになるが、番組撮影直後に欽ちゃんに讃えられた河本は、その瞬間号泣する。
実は欽ちゃんは河本準一を徹底的に追い込んでいた。それも舞台稽古のシーンで明らかになるのだが、とにかく河本が追い込まれていく様子が手に取るように分かる。
不覚にも、河本が号泣しているところで私も泣いてしまった。
実は今回の電波少年の標的は、欽ちゃんではなく河本だったのかもしれない。よくよく考えれば、Tプロデューサーが河本のところに突撃するシーンは、電波少年で何回も見るシーンだった。
今見返せば、恫喝でありパワハラであることは間違い無いけども、間違いなく面白い演出である。ひょんなことから電波少年の標的になった河本。
映画では、欽ちゃんのテレビに対する今の思い、そしてどうすればテレビが面白くなるかを、河本準一をはじめとした今のテレビに慣れきっている後輩芸人をしばき倒しながら教育していく、テレビ番組教育映画でもあると感じた。にしてもこの内容、Tプロデューサーの暴君っぷり、、パワハラが厳しい今の世の中じゃ絶対にありえないものを見せてくれたと思う。
今の時代に電波少年を復活させてくれてありがとうと言いたい。電波少年的な体当たり企画だけでなく、萩本欽一のテレビ批評まで見せてくれて、本当に嬉しく感じる。
■視聴率は30%取れたのか?
番組の放送後、Tプロデューサーから視聴率があまりにもあっけなく欽ちゃんに伝えられる。
もちろん私は、「絶対に30%取れない」と思っていた。今やそんな時代じゃない。
テレビは今は娯楽の一つという位置付けになり、一億総テレビ時代ではなくなった。そんな時代に、テレビ黄金時代の欽ちゃんをメインに番組を作っても、対して番組がハネるはずがない。もともとやる前から分かっていたことだ。
欽ちゃんは視聴率が告げられると、「テレビは数字が全てだからなぁー」とすぐに納得し、Tプロデューサーに感謝を告げる。
欽ちゃんのあまりにあっけない素振りに驚いた。もはや欽ちゃんも最初から30%取れるなどと鼻から思っていなかたのではないか?
そして何より、発起人であるTプロデューサーも最初から30%取れるなど思ってなかったのではないか?
つまり、番組のキャスト、製作者、そして観客全てが、「30%は取れない」と薄々・・というか最初から期待しなかったのではないか?
じゃあなぜTプロデューサーと欽ちゃんは30%視聴率番組を目指したのか?
それは、欽ちゃんの言葉通り「奇跡を信じた」のではないだろうか?
30%というありえない目標を掲げ、奇跡を信じて戦ったテレビマンたちのドキュメンタリー映画とも思える。
テレビはつまらない、だから見ない。と決め付けてはいけない。中には奇跡を信じて一心不乱に戦うテレビマンもいるのだ。
もしかして、テレビをつまらなくしてるのはテレビに対して期待していない視聴者の方ではないか? だから欽ちゃんは「今のテレビは悲しい」と言ったのではないか?
今のテレビをつまらなくしてるのは、視聴者の責任もある。もしかしてテレビに一番期待しなくなったのは、視聴者の方ではないか?
安心を求めず、公序良俗を求めず、テレビに対して奇跡を信じていた時代に戻らなくては、どれだけテレビマンが頑張っても視聴率30%は取れっこない。
この映画を見てテレビに奇跡を期待するのもアリかと思ったし、まだこんなに面白いテレビマンがいるんだと再確認した。
だからもっとみんな、テレビに奇跡を期待しよう。安心はやめよう。
萩本欽一の謹言を、映画で確かめてほしい。そして、昔懐かしい「家族で見るバラエティ」を味わってほしい。
どうすれば面白いテレビになるのか、分からない。
でもまずはテレビを信じてみよう。期待してみよう。
期待が外れた時は、思いっきり抗議しよう。
映画の話に戻るが、以前アメリカで働いているコンサルティング業の公演を聞いた時に、「アメリカの映画やテレビドラマがなぜ面白いのか? それは、客の質が高いからだ。悪いものが出来れば、すぐにクレームを出し低い評価を下すから。だから作る方はナメたものを作れない」と言っていた。
そして、「これを日本における「食べ物」に置き換えた時、この話が納得できませんか? 食中毒がすぐさまニュースになり、飲食店の口コミがすぐに出回り、点数付けされる。日本人ほど食べ物に厳しい国はない。それがアメリカだと映画に置き変わったというだけ。」
日本人も質の悪い映画・テレビを見たら、ブログを書けとは言わないがはっきりノーと言うべきである。私の酷評ブログには「制作者に失礼だとは思わないのか?」というコメントが寄せられることがある。
しかし、私からすればちゃんちゃらおかしなコメントである。つまらないものをつまらないといって何が悪い? 好きくないものを好きくないウンコォォォォォと言って何が悪い? はっきりノーと言わないと、いつまで経っても日本の映画は面白くならないし、視聴率30%のバラエティー番組なんて、絶対に作れないのである。
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