まえがき
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「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」
映画・ゲームを問わず、最近アラサーホイホイが加熱している気がしているのは俺だけだろうか。。
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2020年2月19日
もちろん、「今まで生きてて良かった!」と感謝しているし、もれなくお金を払ってるのは間違いないけれど。 pic.twitter.com/BVc1gfmPMp
もちろん、「ポケットモンスター2017 キミにきめた」も大興奮で鑑賞した。
ただ、決して今作が単なるアラサーホイホイ映画じゃないことを期待したい。
大人になった太一たちと、その中で成長したように見えないデジモン。
大人になったらデジモンが見えない、という設定をどう活かすのか。
もう大人になってしまった我々に、今作は何を伝えようとしているのか。
最初に断っておくが、私はデジモン直撃世代とは少し離れている。特にアニメのデジモンよりも、端末ゲームとしてのデジモンの方が馴染みがある。
なので、アニメも初期のデジモンアドベンチャーしか見ていないし、ずっと追いかけてきた作品ではないことは確かだ。
古参のファンの方とは圧倒的に掛けてきた時間が短い。しかし、そんな私にだって映画を見る権利くらいあるはずだ。
しかし、初期のアニメに魅せられ、興奮したことはずっと記憶に残っている。今一度あの時の夢を見てみたい。何にでもなれた、あの時代に。
それでは「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・大ヒットファンタジー「ハリー・ポッター」シリーズの原作者J・K・ローリングが自ら脚本を担当し、同シリーズと同じ魔法ワールドを舞台に、魔法動物学者ニュート・スキャマンダーの冒険を描いた「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」から続く物語。アメリカからイギリスに戻ってきたニュートは、アメリカ合衆国魔法議会が捕らえた強大な魔法使いグリンデルバルドが逃げ出したことを知る。恩師のダンブルドアから特命を受け、パリに向かったニュートは、仲間の魔法生物たちとともにグリンデンバルドの行方を追う。前作に続きデビッド・イェーツ監督がメガホンをとり、ニュート役の主演エディ・レッドメインほかメインキャストが続投。若き日のダンブルドア役をジュード・ロウが演じる。
「02」キャラクター集結!! 『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』 特別映像
「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」のネタバレありの感想と解説(短評)
「#デジモンアドベンチャーLASTEVOLUTION絆 」鑑賞
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2020年2月21日
無限大な夢のあとの、何もない結末にはガッカリした。
やるせない世の中だからこそ、映画でしか見れない奇跡を見たかった。大人にも夢を見せて欲しかった。
こんなんじゃお別れできない!俺は子供のままでいい!
序盤のツカミは完璧としか言いようがない
序盤、何の説明もなく太一とヤマトたちが大人になっており、実世界に降り立ったデジモンと戦う。
いつの時代か分からないまま、中野のフォトリアルな風景といつもと変わらぬデジモン達のバトルに、興奮しない人はいないだろう。
そして惜しみげもなく、アグモンの進化で名曲「Brave Heart」を披露し、初期のアニメ作品と変わらぬ進化シーンを見せてくれる。これだけで劇場に足を運んだ甲斐がある。
さらに、バトル終了後には「Butter-Fly!」が流れてオープニングが始まり、ここでもう100億点の出来栄えだと両手を上げて喜んだ。
Digimon Adventure - Butter-Fly! [single]
主題歌がButter-Fly!というのは予告の時点で聞いていたが、まさかオープニングで流れるとは。。
デジモンの中でもっとも有名で、もっともアツいこの二曲を、序盤のうちに全て流してしまったのである。
何とも贅沢な使い方だろう。見せ場という見せ場で使ってもいいのだが、序盤のうちに切り札を全て使ってしまうような構成には驚きを隠せなかった。
20年前、子供だった私が興奮していた名曲を流し、デジモンのファンでなくとも長らくアニメを見てきた人たちにとっては最高の「おもてなし」をしてくれたことに感謝したい。
さらに、この二曲を序盤で使い切ったことにより、ここから全く新しい物語が始まるのだと期待が持てる演出にも繋がっているのが◎。
観客にとっては、いつバタフライが流れるのか、いつ進化シーンが見れるのか、といった「おもてなし待機」の状態になってしまうところを、あっという間にその状態から脱してくれたのである。
これにより、新しい物語、新しい演出にすぐに集中することができる。
ここから何が始まるんだろう、太一とヤマトたちは大人になり、何をしているのか。思いを馳せることができる。
大人の観客にとっては最高のおもてなしで出迎えてくれると共に、これからの物語に集中させてくれる作りになっていた点で、序盤は完璧としか言いようがなかった。
大人が子供に戻る原動力の欠如
しかし、そんなおもてなしが終わった後は、まるで塩対応のようなそっけない物語進行が続いていく。
松岡茉優演じるメノアの画策により、大人になった(ように見える)選ばれし子供たちが、再び子供に戻っていく。
大人になるとデジモンとのパートナーシップが解消され、デジモンとお別れしなければいけなくなる。
そんな現実から逃避するべく、皆が子供に戻っていく。
デジモンと多くの時間を過ごし、交流を育み、もはや家族ともいえるパートナーを失うなんてありえない。だからこそ、メノアの誘惑に負けたのも分かる。
このメノワの企みとデジモンとのパートナーシップ解消については、単に選ばれし子供達にダメージを与えるだけではない。
これらの設定は「いつまでも子供のままではいられない」という普遍的なメッセージとなって、我々大人の観客に強烈に突き刺さってくる。
大人になった選ばれし子供達と我々観客たちが一つの宿命で結ばれる瞬間が、ここにある。
ここまでは良い、素晴らしい。
しかし気になるのは、成長した選ばれし子供達が大人になることを拒否し、子供のままで居残ろうとする理由の描き方がきわめて乏しいように感じる。
デジモンと選ばれし子供達は深い絆で結ばれていることは、誰しも分かる。誰よりも大事なのはよく分かる。
しかし、二十歳を超えた彼らであれば、子供に退行することに相応の理由がなければいけない。それに関して、今作には説得力のある描写があまりない。
太一の進路が不明なことや、ヤマトが何となく大学院に進むといった曖昧な人生の進路を付けたことが、ほとんど無駄になってしまっている。
選ばれし子供達がデジモン最優先で行動するのは理解できる。しかし、それでは何を描いてもデジモンが勝ってしまう。
大人になることに憧れ、デジモンとの決別を思案するキャラクターがいても良かったはずだ。
デジモンと触れ合い永遠のパートナーであった子供時代から十数年、様々な経験をして大人になった彼女ら・彼らは、常にデジモンが最優先であったのか?
デジモンたち以外にも、愛すべき人やモノがあったのではないか?
時にはデジモンと仲違いし、しばらくデジモンと触れ合ってなかったキャラもいるのではないか?
「プーと大人になった僕」のように、久しぶりにデジモンと会う人も多いのではないか?
古参のデジモンファンからは「お前は何もわかってない」「デジモンを愛していない」と言われるかもしれないが、よく考えて欲しい。
あなた自身、デジモンの放送が始まった20年間、常にデジモン最優先で生きてきただろうか?
人生、デジモン以外にもいろいろあるはずだ。
大人になった以上は、視野も広がり交流も増え、多様な考え方を持つはずだ。彼らの中には大学生も含まれているが、大学生こそ多様性・可能性の塊ではないか。
だからこそ、大人が子供に戻るときは相応の理由がいる。その点、オトナ帝国の逆襲は大変丁寧に描けていたように感じる。
まとめ
せっかくの設定・テーマ性が上手く掘り下げられず、子供の頃と同じくデジモンが最優先であることが当たり前のような論理に納得がいかないことが大きかった。
何より、ラストが非常に中途半端な形で終わってしまったのがもったいない。子供であることの重要性と希少性を解きながらも、大人になった後の描き方は酷く希薄なような気がする。
大人だからこその苦悩と葛藤があっても良いはずだった。
他にも、ラスボスの倒し方があまりにも都合が良い(なぜいきなり超進化を遂げられたのか?)など、作り込みが弱いとしか言いようがない。
私自身デジモンに関する知識が乏しいのは理解しているが、映画であるならば古参ファンだけじゃなく、久しぶりにデジモンと出会った人にも配慮があって然るべきではないだろうか?
50点 / 100点