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映画「プライベート・ウォー」ネタバレあり感想解説と評価 戦地へ降り立つ隻腕のゴーンガール

 
こんにちは! 
 
Machinakaです!! 
 
この記事では、「プライベート・ウォー」のネタバレあり感想解説記事を書いています。
 
 目次
 
 
 

映画「プライベート・ウォー」 〜アカデミー賞女優が魅せる、選択と結果の物語

 

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2011年、エジプト及びアラブ諸国に発生したアラブの春に端を発するシリア内戦。アサド政権率いる政府軍と反乱軍との内戦は苛烈を極め、50万人以上のシリア国民(一般人)が犠牲になったと言われている。
 
今作はこのシリア内戦の激戦地ホムスにて爆撃により亡くなった女性ジャーナリストであるメリー・コルビンに焦点を当てた作品である。
 
主演は2014年「ゴーン・ガール」にてアカデミー賞助演女優賞を獲得したロザムンド・パイク、監督はメキシコの自警団を追いかけたドキュメンタリー「カルテル・ランド」を撮ったマシュー・ハイネマン。今作が彼の初めての劇映画となる。
 
物語はシリア内戦中のホムスを起点として時系列は過去に遡っていく。メリー・コルビンが記者として名声を挙げながらも、戦地に向かうたびに心身ともに疲弊していく様子を描く。
 
度重なる戦地取材でPTSDに掛かりアルコールに溺れ、スクリーンにドクターストップを掛けたくなるような陰鬱なシーンが続く。どれだけ身が滅びても彼女は戦地に向かい続ける。
アメリカでのパートナー・友人・同僚との関係、両親との関係、戦地でのジャーナリストたちの交流を映しながら、メリー・コルビンのパーソナリティを多面的に描き、なぜそこまでして戦地へ生き続けるのか?という単純な問いを観客へ投げかける。
 
物語後半には、世界に衝撃を与えたシリア激戦地のライブ中継を再現し、「ここは冷えと飢えの街。アサド政権は嘘をついている」と言い放つ。
 
 
 
なぜ彼女は戦地に赴き取材を続けるのか?なぜタイトルに「プライベート」と名付けられているのか?
 
正義感の強さだとか、生計を立てるためだとか、単一の理由では当てはめられない記者の戦地・戦争に対する想いを複合的に描いた映画である。
メリー・コルビンを演じたロザムンド・パイクのあまりにも自然な演技と体当たりで魅せたあらゆる表現、戦地シリア・イラクの再現度に脱帽するばかり。特に、ロザムンド・パイクは今年のアカデミー賞を沸かすほどの強烈な「ゴーン・ガール」っぷりを発揮した。
 
 

 

 

英雄譚でなく、個人の選択と結果の物語

 
今作は命を賭してまで正義を貫いたジャーナリストの英雄譚を描いたわけではない。あくまでもメリー・コルビン個人による「プライベート」な戦争を描いており、彼女の選択を全てのジャーナリストが持つべきだと押し付けることもなく、賞賛しているわけでもない。
 
全て、個人の選択と結果による物語である。メリー・コルビンが戦地に赴き続ける理由は、全て彼女の選択によるものであり、他者からの指示・命令で行っているわけではない。同じく、他のジャーナリストたちも戦地に向かう理由に関する描写は一切削除されており、観客に委ねる構成となっているのが特徴的だ。
 
メリー・コルビンは度重なる戦地取材によりPTSDに掛かっており、劇中でも友人から心配される。休息を取ろうとするが、平和な場所だと余計にPTSDが悪化し、安定を保つために大量のアルコールを流し込む描写が繰り返される。
戦地に行った方がかえって体調がよく見える光景は、見ていて本当に心苦しくなる。
このPTSD描写はクリント・イーストウッド監督の「アメリカンスナイパー」でも描かれており、戦地から戻ったブラッドリー・クーパーがアメリカ本土でかえって苦しんでしまう。

 

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 しかし、今作のメリー・コルビンは兵士でなく、軍に所属する広報担当でもなく、あくまでも民間人の記者である。彼女の場合、PTSDをどうやって治せば良いのか?彼女に救いの手はあるのか?絶望的な状態が劇中ずっと続いていく。

 

ちなみに、「アメリカン・スナイパー」の主人公クリス・カイルが戦地に赴いたのは2003年から2009年の6年間。一方今作のメリー・コルビンは1986年から2012年までの26年間もの違いがある。メリー・コルビンは直接人を殺めたわけではないが、目の前で無残に殺されていく兵士・一般人を数十年に渡り見てきた彼女は、PTSDを患うには十分すぎるほどの心的外傷を受けたに違いない。

 

彼女が戦地に赴くのは、繰り返される戦争の中で傷つき、一般的な女性としての生き方の方法論を見失ってしまった結果でもある。

 

メリー・コルビンがいかに他の女性とかけ離れた生活を送っていたのか、その比較は劇中でも数多く行われている。

印象的だったのは、メリー・コルビンが所属する新聞社で働く女性同僚との対比。

 「これから雑誌の撮影ですか?」と疑われても仕方がないほどオシャレな服装・メイクで佇む女性同僚と、戦地で必死に生きる迷彩服姿のロザムンド・パイクとがスカイプをするシーンは、筆舌に尽くしがたい。

 

ロザムンド・パイクは2014年の「ゴーン・ガール」にて夫に不満を感じ行方不明となり、ゴーン=見失ってしまった女性を演じた。今作も同様に、平穏無事な生活を離れ戦地へと向かってしまう、もう1人のゴーン・ガールを演じているように見えた。

 

監督のマシュー・ハイネマンの前作「カルテル・ランド」は、メキシコのマフィアに対抗する自警団を描いたドキュメンタリーである。

当初はマフィアから市民を守る正義の集団として、非常にホワイトな印象を受ける自警団のように見えるのだが、映画が進むにつれマフィアと同じく尋問・脅迫・そして殺人に手を染めていき、行き過ぎた正義が招く暴走について描かれていく。

 

今作も同様に、当初は正義感溢れるメリー・コルビンに見えるが、ジャーナリズムを追求するあまり米軍からの指示を無視し、検問を詐称で突破しようとする姿が描かれ、決してメリー・コルビンが聖人君主ではないことを主張している。

 

監督は映画を通して、こうした「行き過ぎた正義感」を描きたかったのではないか?

 

周りの度重なる忠告を受けながらも聞く耳を持たず、あくまで個人の自由意志で戦地へと赴く姿は、まさしく「プライベート・ウォー」と形容するのがふさわしい。

 

ただし、いくら自由意志といえども彼女は間違いなく戦争の被害者であり、あえて言い換えるならば戦争が彼女を戦地に行かせてしまったのである。

 

PTSDに掛かり苦しむのは兵士だけではない。ジャーナリストに対しても、戦争の被害を考えなければいけない。

 

  

ジャーナリズムを自己責任論で片付けられるのか?

 

シリア内戦といえば、日本人ジャーナリストの安田純平氏がシリア過激派組織に拘束されたニュースが記憶に新しい。

 

www.asahi.com

 

 

過激派組織が身代金を要求したという情報もあり、菅官房長官はじめ政府も動いたこともあり、大きく報道された事件である。

 

しかし、世論では「自己責任論」による安田純平氏の誹謗中傷が相次いだ。彼はザ・ノンフィクションにて拘束中の状態や解放後のバッシングについて語っている。

 

thetv.jp

 
 
今作を見た上でこの安田純平氏の事件を考えると、到底自己責任論では片付けられない問題であることに気づく。ジャーナリストも戦争の被害者であり、単なる職業上のリスク=自己責任論として捉えることは到底考えられない。
 
メリー・コルビン同様に、安田純平氏にとっても彼なりの「プライベート・ウォー」があったに違いない。どのような事情であれ、戦争を終結させようと命を掛けて働く記者に対しては、自己責任を押し付けてはいけない。日本ではもはや数少ない戦争被害者であるジャーナリストに対して、バッシングをしてはいけない。
 
そんな自己責任論が浮上する世の中である以上、この世から戦争が消えることはない。
 
一度はジャーナリストの立場になって考え、その苦労を読み取ろうと思考してみるべきではないか?
 
今作「プライベート・ウォー」を見て、強く感じた。
 
 
 

「プライベート・ウォー」基礎情報

  
・レバノン内戦や湾岸戦争など世界中の戦地を取材した実在の女性記者メリー・コルビンの半生を、「ゴーン・ガール」のロザムンド・パイク主演、「カルテル・ランド」「ラッカは静かに虐殺されている」など骨太なドキュメンタリーを手がけてきたマシュー・ハイネマンの初劇映画監督作品として映画化。イギリスのサンデー・タイムズ紙の戦争特派員として活躍するアメリカ人ジャーナリスト、メリー・コルビンは、2001年のスリランカ内戦取材中に銃撃戦に巻き込まれて、左目を失明してしまう。黒い眼帯を着用し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、人びとの関心を世界の紛争地域に向けたいという彼女の思いは強まっていく。2012年、シリアの過酷な状況下にいる市民の現状を全世界に伝えるため、砲弾の音が鳴り響く中での過酷なライブ中継がスタートする。コルビン役をパイクが演じるほか、ジェイミー・ドーナン、トム・ホランダー、スタンリー・トゥッチらが脇を固める。

 

eiga.com

 


映画『プライベート・ウォー』本編映像

 
 
 
 
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