Machinakaの日記

新作映画の情報・批評を、裏ネタ満載で包み隠さずお届け




映画「ザ・ホエール」ネタバレあり感想解説と評価 医学も宗教も否定した彼が望む「救い」とは(ラストの解釈)

 
こんにちは! 
 
Machinakaです!! 
 
Twitterもやってます!
 
 
 
この記事では、「ザ・ホエール」のネタバレあり感想解説記事を書いています。
 
 目次
 

まえがき

 

 

今回批評する映画はこちら

 

「ザ・ホエール」

 

(C)2022 Palouse Rights LLC. All Rights Reserved.

 

アカデミー賞を生で見た自分にとっては非常に楽しみな作品。

 

「ハムナプトラ」のブレンダン・フレイザーが本当に久しぶりにスクリーンに復帰。

しかし、その姿は昔と似ても似つかぬ姿。素の状態でもかなり大きくなったのに、今作では更に脂肪を塗り固めて肥大化した姿に。

これは何かの象徴なのか、一体どんな役なんでしょうか。。

 

それでは「ザ・ホエール」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。

 

 

あらすじ

  
「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキー監督が、「ハムナプトラ」シリーズのブレンダン・フレイザーを主演に迎えた人間ドラマ。劇作家サム・D・ハンターによる舞台劇を原作に、死期の迫った肥満症の男が娘との絆を取り戻そうとする姿を描く。

40代のチャーリーはボーイフレンドのアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで健康を損なってしまう。アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てているが、心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた。自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前にアランと暮らすために家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会いに行くが、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた。

272キロの巨体の男チャーリーを演じたフレイザーが第95回アカデミー賞で主演男優賞を受賞。メイクアップ&ヘアスタイリング賞とあわせて2部門を受賞した。共演はドラマ「ストレンジャー・シングス」のセイディー・シンク、「ザ・メニュー」のホン・チャウ。

ザ・ホエール : 作品情報 - 映画.com

 
 
 

「ザ・ホエール」のネタバレありの感想と解説(全体)

 

 

 

メタファーの王国のような物語

すんげぇもん見せてもらいました。

ボロ泣きです。

 

ブレンダン・フレイザー演じるチャーリーが住む部屋のみで行われる密室の会話劇。

普通であれば退屈に見えますが、そこには役者の演技力と製作陣の演出力と脚本の巧みさと、映画の面白さが全て詰まっていました。

いやぁ、クオリティの高い映画ってこういうやつなんですよ。だからこそ僕は映画館に行くんですよ。

 

まず冒頭から度肝抜かれます。男性同士のポルノビデオを見て自分磨きをするチャーリー。性的興奮のせいなのか、彼の持病のせいなのか息も絶え絶えな様子。

生と死が同居するような壮絶な状況を最初に映すことで、彼が余命いくばくな状況ながらも何かを放出したい気持ちがあるってことを数秒で表してるんですよね。

並大抵の人じゃこんなことできませんって。

 

そして、次のシーンで突然の来訪者が現れます。

彼はキリスト教をベースにした「ニューライフ」というカルト宗教の宣教師で、トーマスという若者です。宗教によって、彼に精神的な救いを与えるために家にやってきます。

しかし、チャーリーは宣教師に「白鯨」に関するエッセイを読んでほしいと強く要求します。実は「白鯨」は旧約聖書に登場する人物から名前を付けられたキャラクターが多く登場し、宗教的なメタファーが含まれているとも言われています。

 

その直後、看護師のリズが訪れてトーマスを一蹴します。リズもトーマスもチャーリーを救おうとする者たちですが、リズは医学的にチャーリーを救う立場です。トーマスと対立するのも当然です。

 

一見意味不明なシーンに見えますが、ここに全てが詰め込まれています。

 

この映画はチャーリーが救われるための物語なんですよ。

 

死期の迫る彼に宣教師トーマスは終末論を掲げますが、彼は終末が訪れるよりも週末には死んでしまいそうな状況。彼は聞く耳を持ちません。

 

一方の看護師リズは病院に行くことを勧めますが、断固として病院に行かないと宣言。

 

宗教的な救いも医学的な救いも断り、白鯨のエッセイにしがみついて生きている。

これは一体なんなんだ、、、。白鯨のエッセイが強烈なフックとなり、その後も彼の一挙手一投足から目が離せなくなる。。

 

 

恐るべしです。この僅かな時間にどれだけのメタファーが込められているのでしょう。

短時間でこれだけの情報量、これだけの想いを伝えられるなんて、映画ってなんて凄い表現なのでしょう。映画好きバカ丸出しな発言ですけど、真っ先に映画って素晴らしいと感じてしまいました。

 

対してブレンダン・フレイザーが役者として活躍できなかった時間は膨大なものです。

アカデミー賞に投票した役者たちは、彼の姿を見て思わず涙したのではないでしょうか。

  

 

 

嘘の脂肪で塗り固められた主人公が語る真実とは

その後は見るのも大変辛いチャーリーの不自由な生活が写ります。

 

一人では歩けず、歩行補助具を使わないといけない。そもそも運動ができないんですよね。しかし食欲だけは10人前で、毎日LLサイズのピザ2人前を頼んで貪り、引き出しにはチョコレート、机には特大のコーラが。

 

言い方は悪いですが、脂肪の塊なわけです。しかし映画的には、この脂肪は色んな解釈ができると思います。

ブレンダン・フレイザー実物としてはここまで大きくないですし、ガタイの良いオッちゃんってレベルですよね。

しかし、ここまで肥大化させたのには理由があって、人生に対する惜別が堆積した結果だと思うんですよ。

 

愛する人を亡くし、妻と子供とも別れ、何もかも信じられなくなってしまった末に暴飲暴食してしまった。

思い残したことだらけで、過去にがんじがらめにされて身動きすら取れない。

これが肥大化した体に表現されているのかと思われます。

そして、もう一つ意味が込められています。

 

映画は嘘=フィクションで固められたものである、ということです。

実在のブレンダンを何倍も大きくしたのは、フィクションであることを強調したかったのでしょう。

 

そして、彼が救いとして求めたのは医学的でも宗教的でもなく、自分の娘であるエリーが作った白鯨のエッセイだったわけです。

これを娘の分身のように大事にしていたのです。

ずっと塞ぎ込んで、電話で声も聞けず実際の姿も見れず。

だからこそエッセイが娘の生き写しだった。

エッセイも創作物の創作物なので、フィクションの力を最大限信じた者が救われる=映画によって人は救われる、というメッセージを伝えたかったのではないでしょうか。

 

 

 

考察:実は最初からチャーリーは...(ネタバレ注意)

少し考察です。

最初から見ていてずっと違和感があったんですけど、、

 

冒頭を除き、あまりに都合が良い話ではないですか?

 

勧誘で宣教師が来ることや、看護師が定期的に家に来るのはさておいて、、、

あれだけ会いたかった娘が急に訪れたり、妻もやってきたりと、数日間の中でこんな奇跡的な出来事ってあるでしょうか?

 

そして、映画のラストは、エリーが自身のエッセイを読んでチャーリーは救われる→チャーリーが床から浮いて天に召されるようにホワイトアウトして終わるという流れです。

天に召されるような表現やホワイトアウトは、フィクションそのものではないでしょうか?

つまり、実際にはエリーも妻も訪れてなかったんじゃないのか?と思うわけです。

 

そして、冒頭も同じようにエッセイを読むシーンがありますが、それはエリーではなく宣教師です。冒頭とラストで明らかな対比を行なっています。

仮に、ラストがフィクションだとすると、冒頭は事実という対比構造になります。

 

つまり、実際は見ず知らずの宣教師にエッセイを読んでもらって、息絶えてしまったのではないでしょうか。

 

冒頭、ポルノビデオを見ながら自慰行為をしているわけですが、あれは彼自身が鯨であることの象徴だと思います。エッセイの内容を見ても、鯨=チャーリーと見立てている箇所は多くあります。

 

・鯨=哺乳類であり人と同じである

 -鯨は肺呼吸であり、潮を吹かないと死んでしまう

  →自慰行為は潮吹きのメタファーである

 

つまり、彼はあそこで自慰行為を達成しないと呼吸できず死ぬ、という図式になっていたのではないでしょうか。

しかし、映像を見る限り自慰行為の途中で呼吸困難になり潮吹きが中断してしまう。

その時に宣教師が訪れる。自分ではエッセイが読めない。代わりに宣教師に読んでもらうことで、彼は彼が望む最大の方法で救われようとした。

 

かなりの極論ですし、最後の最後は実際に娘に会ってほしいと願っている自分もいます。

しかし、どうしても冒頭とラストの対比構造が引っかかって。。。

 

真実は神のみぞ知る(知らんよw)ってことで、寛大な心で読んでいただけると幸いです。。

 

 

まとめ

 

いやぁ、さすがアカデミー賞も納得の映画でした。

クオリティという点では文句なしです。

 

あとは役者の演技ですね。主演のブレンダン・フレイザーの演技はもちろんですが、看護師リズを演じたホン・チャウの危機迫る演技や、娘エリーを演じたセイディー・シンクの切羽詰まった演技もさすが。。

 

特にセイディー・シンクの演技は「バードマン」のエマ・ストーンを彷彿とさせました。てかね、この映画「バードマン」に凄く似てるんですよ。

落ち目の役者を主人公にして、父親と娘の関係も描かれて、凄く似てるんだよなぁ。

 

まぁ、とにかく映画好きは絶対に見てほしい作品です。

お読みいただきありがとうございました!!

 

96点 / 100点 

 

f:id:Machinaka:20210716010226j:plain

 
 
 以上です! ご覧いただきありがとうございました!
 
 
 
© 2015,machinaka.hatenablog.com