まえがき
「どうすればよかったか?」
久しぶりにズシンと来るであろうドキュメンタリーを鑑賞予定。
ポレポレ東中野でやっていそうな映画。あとで調べてみたら、本当にやっていた。
たまたま近くでやっていたので東中野には行きませんでしたが、さほど上映館が多くないのも事実。
このような映画は、観る前に少し緊張する。
統合失調症
認知症
20年以上自宅に閉じ込められる
家族問題
そして、これがドキュメンタリーであること
実際に起こった記録を見ること、起こった内容からして相当に壮絶なことを知ってから鑑賞に臨むことは、本当にしんどい。
しんどい気持ちを抱えながら、なぜお金を払って映画を見に行くのか。
そこに娯楽はあるのか。あるはずがない。
でも、そんなことは関係ない。
新たな映画に出会うために、新たな体験を心に刻むために価値のある行為だと信じている。
ふぅ。こんなに前置きが長いのも久しぶり。
それでは、「どうすればよかったか?」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。
面倒見がよく優秀な8歳上の姉。両親の影響から医師を目指して医学部に進学した彼女が、ある日突然、事実とは思えないことを叫びだした。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母は病気だと認めず、精神科の受診から彼女を遠ざける。その判断に疑問を感じた藤野監督は両親を説得するものの解決には至らず、わだかまりを抱えたまま実家を離れる。
姉の発症から18年後、映像制作を学んだ藤野監督は帰省するたびに家族の様子を記録するように。一家全員での外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親と対話を重ね、姉に声をかけ続けるが、状況はさらに悪化。ついに両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになってしまう。
「どうすればよかったか?」のネタバレありの感想と解説(全体)
「#どうすればよかったか?」鑑賞
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2024年12月13日
過去は変えられない。でも、巻き戻せる。
統合失調症を患い、20年以上も家に閉じ込められた姉。
妄想にも両親にも自宅にも囚われた姉を、弟である監督が救うべく奮闘。
何度となくリプレイする絶望の反芻。
希望を見出すために必要なモノとは。
圧巻、年間ベスト級。 pic.twitter.com/RVntZ9aofz
絶望の反芻、希望の模索
両親ともに医学研究者。大学に残り研究を続け、ドイツにも留学。
世界を飛び回って駆け抜けてきた両親のもとに生まれた姉。
8年遅れて生まれた弟。
姉は医学部を受験するも失敗を繰り返し、浪人の果てに医学生となる。
しかし、そこから統合失調症が本格化していく。
恐ろしいのは、統合失調症だと明らかになるのが異常に遅れたことだ。
医学を研究した両親にも関わらず、姉を医者に見せたのは一度だけ。
結果は「健康そのもの問題なし」。
そこから20年以上の時が経ってしまった。
監督がカメラで家族を記録し始めたのは発症から10年ほど経ったあと。
カメラを回さなければ、監督が何も動かなければ、一体どうなっていただろうか。
この映画は決して3幕構成のそれのような逆転劇ではない。
タイトル通り、ただただ「どうすればよかったか?」を過去に遡って再生し続けるドキュメンタリーだ。
統合失調症を患った姉。時には黙り続け、時には怒号を発し続ける。
姉がひたすら黙って微動だにしないシーンが一番印象的だった。
演技ではない。わざとではない。カメラを向けられたから誇張しているわけではない。
カメラを確認するように何度も何度も目線が合うが、会話はできない。
監督も、家族も、観客も何もできない。
何を考え、何をしたいのか分からない。ただ、分からないだけじゃ終わらない。
そこに映像と音響が加わり、映画館で流れた時に、カメラの中で被写体となる姉。
こうしたことを実際の統合失調者および家族には決して言わないが、作品に登場する人物として言わせてもらうと、非常に緊張感が走るシーンだった。
劇映画では絶対にない、次に何が起こるか誰も予想が付かない。
黙り続けるかもしれない、急に怒鳴るかもしれない。
何度も何度も映る姉。治療の見込みもなく、絶望の反芻が流れ続ける。
希望の糸口はどこにあるのか、監督はひたすら模索し続ける。
結果どうなったのか、監督にとって何が大切だったのか。是非とも劇場で確認してほしい。
過去は変えられない。でも、巻き戻せる。
2001年から20年間以上、ひたすら家族にカメラを向けていく。
当然ながら、カメラを撮っても何も変わらない。ただそこに被写体がいるだけだ。
フレデリック・ワイズマンの作品のように、ひたすら被写体を写して自分は全く介入しない(ように見える)ドキュメンタリーもある。
今作は正反対で、監督が被写体である家族と向き合い、カメラに映る。映画的に言うならば主人公が監督になっていく。
しかし、そんな簡単に物事は進まない。
監督が主人公になるまでには相当な時間が掛かっている。
単なる鑑賞者である自分がこんなことを言うのも大変申し訳ないが、あまりにも時が経ちすぎた。
何かしたい、でも何もできない。
撮影日を見る限り、正月に帰省した時にカメラを回していたのだろうか。
ご飯を食べている様子、会話している様子、とにかく家で撮られた映像たち。
そこには姉の治療に関する映像は映っていない。医者に行かせる様子もない。
映像に収まっているのは、ほとんどが過去の出来事についてだ。
なぜ姉を自宅に閉じ込めたのか、なぜ病院に行かせなかったのか。
話題に出るのは姉の過去の話ばかり。
両親の意見など関係ない、無理矢理でもいいから姉を連れて行けば良いじゃないか。
と思う人もいるだろう。
しかし、それが早くにできていれば、この映画は作られなかっただろう。
後悔の念がこの映画を作ったのかもしれない。
そう思うほど、あの時どうすれば良かったのかと何度も何度も何度も繰り返す。
過去は変えられない。でも、巻き戻せる。
今作を見て、強く感じたことだ。
アベンジャーズのように、過去に戻って人を救うことはできない。
何も未来は変わらない。
それでも、時間を巻き戻して見ることはできる。
そこには必ず価値がある。
「どうすればよかったか」ではなく、「どうするべきか」を考えている人にも見せることができるからだ。
まとめ
正直、花金に見る映画ではなかった。
忘年会シーズン真っ盛りの金曜日。しかし、劇場は満席だった。
みんな飲み会を断ってきたのかな。
色んな事情あれど、今作を第一優先に行動した結果が生んだ空間。
会場は8割がた埋まっていて、誰も喋ることなく泣くこともなく、ひたすらスクリーンに映る家族を見守っているように見えた。
貴重な映画体験でした。
99点 / 100点