目次
[あらすじ]
・市役所の市民課長・渡辺は30年間無欠勤、事なかれ主義の模範的役人。ある日、渡辺は自分が胃癌で余命幾ばくもないと知る。絶望に陥った渡辺は、歓楽街をさまよい飲み慣れない酒を飲む。自分の人生とは一体何だったのか……。渡辺は人間が本当に生きるということの意味を考え始め、そして、初めて真剣に役所の申請書類に目を通す。そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書だった。この作品は非人間的な官僚主義を痛烈に批判するとともに、人間が生きることについての哲学をも示した名作である。
[余命○○か月モノの中で最高傑作]
世の映画には、「余命○○ヶ月モノ」ってあるじゃないですか?
主人公の男/女がガンや重病にかかってしまい、余命数カ月と宣告されてしまう。
死ぬまでに自分がやりたいことを成し遂げたり、恋人と一緒にいたり、助けてくださぁああああい!!!と泣きわめいたり。
これまで大量に余命○○モノジャンルの映画が作られてきました。
特に、邦画で多い印象があります。
ただ、私的にオススメな余命モノは、セスローゲンとジョセフ・ゴードン=レビットがダブル主演の「50/50」です。
余命モノって、妙にドラマチックだったり派手になったりしちゃうんですよ。助けてくださぁぁぁあああい!!!ってもうすぐ死んでしまう恋人に嘆きかけたり、友人や恋人がやたらと悲しがったり、余命僅かなキャラクターを感動の呼び水として使っているような気がしてならないんです。
でも、この50/50は普通の男が普通に余命宣告をくらい、その友達も普通に接してるとっても厳かな映画なんです。でも、その厳かな演出こそが真の感動を呼ぶんですよ。まるで自分が余命宣告を食らったようなリアルさがあるんです。
映画50/50(フィフティ・フィフティ)試写会 トークショー
50/50 Movie Trailer - Official [HD]
あと、ドキュメンタリーですが元アメフト選手スティーブ・グリーソンの「ギフト 僕がきみに残せるもの」もオススメです。
さて、そんな余命モノの映画がたくさん公開されてきた中で、今作「生きる」は最高傑作だったと思います。
正直、生前の志村喬さんかなりアンポンタンでしたw 死ぬ前だからって、仕事を無断欠勤して職場の若い子を毎日遊びに誘ったり、パチンコしたり、彼なりの欲という欲を求め続けますw
そんな志村喬さんを見て、周りはぶっちゃけドン引きなわけですw だって自分が余命わずかってことを家族に伝えずに、仕事サボってドンチャン騒ぎしてるので笑
志村喬の評価は、余命わずかな時期となってガタ落ちしてしまいます。彼を話題にする人も少なくなりました。
ただ、最初は欲まみれだった志村喬ですが、突然公園作りに奔走します。そして公園を完成させ、死ぬます。
彼が死んだ後に、周りの人は志村喬の苦労話を披露し、彼を尊敬します。
その話を聞いていると、まるで彼が生きてる時より死んだときのほうが、活力があるように感じます。
[人にとって生きることとは?]
もうお分かりでしょうが、人は生きている時期だけでなく、死んだ後も生き続けるということです。
彼のように公園をつくって、必ずしも生きた証のようなものを作る必要はありませんが、自分が死んでも誰かが自分の話をしてくれる、記憶に残っていることが大事なのです。
人間にとっての「死」とは、自分自身が死ぬことではありません。まだ生きている人たちが自分の話をしなくなり、記憶から薄れ、存在が消え去ることに本当の「死」が待っているのです。
余命モノ映画の多くは、余命わずかとなった人の「死」に対する哀れみや悲しみを使って人に感動を与えます。しかし、今作はタイトルにもあるように「生きる」ことを教えるのです。
志村喬の「死」を通じて「生」を教えてくれることに、この映画の偉大さがあります。他の映画では決してできません。
人間はただ生きているだけでは「生きる」とは言えないのです。他人と関わらず独りよがりになって、何もしない、何も語らないでは「死んでいる」と同じなのです。
生と死は繋がっていることを、この映画は教えてくれるのです。
[リメンバーミーとの共通点]
生と死の繋がり、存在が消え去ることに本当の「死」が待っているというテーマは、「リメンバーミー」でも取り上げられていました。
こちらのブログが初めての方、ご訪問いただきありがとうございます!
「映画のタイトル+解説(感想)」で検索してくださってこちらにいらっしゃった方には大変申し訳ないんですが、できれば第1回目の記事をご覧いただいて、私の自己紹介と本ブログの趣旨をご理解いただければと思います。
Twitterもやってます!