Machinakaの日記

新作映画の情報・批評を、裏ネタ満載で包み隠さずお届け




黒澤明監督、映画「生きる」感想と解説 人の死をもって生を教える余命モノの大傑作

 
いのぉぉちぃぃ、みじかしぃぃ
 
恋せよぉぉ、乙女ぇぇ〜〜!!!!
 

 

いのち短し恋せよ少女―小説 中山晋平

いのち短し恋せよ少女―小説 中山晋平

 

 

いきなりすいませんんww こんばんは!Machinakaです!!
 
 
今回は、黒澤明監督の「生きる」について書いていきたいと思います。
 
黒沢監督の作品は、「7人の侍」や「羅生門」など時代劇は見てるんですけども、まだ現代劇ってちゃんと見たことがなくて。
 
そもそもまだ昔の映画を見たことない私ですから、私日本人ですから、で映画好きと自称してますから、さすがに黒沢作品を見ないといけないって思ったわけです。
 
ちなみに冒頭の「命ぃぃ短しぃぃ」は、劇中で主人公の志村喬が歌う「ゴンドラの唄」ですね。
 
 
はい、言われてもなんのこっちゃと思いますが、映画を見た後では泣けて泣けて仕方ないんですよ。。
 
そんな黒沢ビギナーな私が、「生きる」の感想を書いていきたいと思います。
 
 
 

 

目次

 

 

 

 

 

[あらすじ]

 

 

・市役所の市民課長・渡辺は30年間無欠勤、事なかれ主義の模範的役人。ある日、渡辺は自分が胃癌で余命幾ばくもないと知る。絶望に陥った渡辺は、歓楽街をさまよい飲み慣れない酒を飲む。自分の人生とは一体何だったのか……。渡辺は人間が本当に生きるということの意味を考え始め、そして、初めて真剣に役所の申請書類に目を通す。そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書だった。この作品は非人間的な官僚主義を痛烈に批判するとともに、人間が生きることについての哲学をも示した名作である。

 

eiga.com




生きる(プレビュー)

 

 

 

 

[余命○○か月モノの中で最高傑作]

世の映画には、「余命○○ヶ月モノ」ってあるじゃないですか?

 

主人公の男/女がガンや重病にかかってしまい、余命数カ月と宣告されてしまう。

死ぬまでに自分がやりたいことを成し遂げたり、恋人と一緒にいたり、助けてくださぁああああい!!!と泣きわめいたり

 

これまで大量に余命○○モノジャンルの映画が作られてきました。

特に、邦画で多い印象があります。

 


世界の中心で、愛をさけぶ(プレビュー)


死ぬまでにしたい10のこと サラ・ポーリー

 


余命1ヶ月の花嫁予告

 


「君の膵臓をたべたい」予告

 

ただ、私的にオススメな余命モノは、セスローゲンとジョセフ・ゴードン=レビットがダブル主演の「50/50」です。

 

余命モノって、妙にドラマチックだったり派手になったりしちゃうんですよ。助けてくださぁぁぁあああい!!!ってもうすぐ死んでしまう恋人に嘆きかけたり、友人や恋人がやたらと悲しがったり、余命僅かなキャラクターを感動の呼び水として使っているような気がしてならないんです。

 

でも、この50/50は普通の男が普通に余命宣告をくらい、その友達も普通に接してるとっても厳かな映画なんです。でも、その厳かな演出こそが真の感動を呼ぶんですよ。まるで自分が余命宣告を食らったようなリアルさがあるんです。

 


映画50/50(フィフティ・フィフティ)試写会 トークショー

 

 


50/50 Movie Trailer - Official [HD]

 

あと、ドキュメンタリーですが元アメフト選手スティーブ・グリーソンの「ギフト 僕がきみに残せるもの」もオススメです。

 


『ギフト 僕がきみに残せるもの』予告編

 

 

さて、そんな余命モノの映画がたくさん公開されてきた中で、今作「生きる」は最高傑作だったと思います。
 
 
先ほども書いた通り、余命モノって安い感動しか僕に与えてくれなかったんです。だって、余命モノってやたらと美男美女ばかりが主人公で自分とかけ離れてるし、もうすぐ死ぬから儚い、感動するってのは単純すぎやしないかと。
何より、人の死で感動をもらって泣くってのは人間としてどこか低いものを感じるんです。作り手の中には、「こいつ死んだら感動するでしょ?」って気持ちで脚本書いてる人もいますからね。誰とは言いませんが。
 
あと、本当に大事な人が死ぬと人って泣けないんですよね。私も経験ありますけども。だから、余命わずかな人が死んで泣くってことはしたくないし、嫌だし、実際泣けません。
 
 
ただ、今作で私は思わず泣いてしまいました。
 
しかし、泣いたのは余命わずかな志村喬が死んだことに泣かされたのではありません。
 
志村喬の葬式に訪れた職場の同僚や友人・知人が志村喬の話をワイワイガヤガヤと話してることに感動してしまったのです。
 
ここに、黒沢監督の優れた手腕があると感じました。
 
 
普通、余命わずかな主人公が死んで、葬式があるシーンって絶対に悲しい音楽が流れたり、暗い雰囲気を流すものなんですけど、黒沢監督はあえて葬式参列者の「雑談」を入れて場を盛り上げる演出を選択しました。
 
対位法とは言わないまでも、現実の葬式よりもかなり賑やかなことは明らかです。
 
生前の志村喬さんは市役所の役員で、市民課の課長。市民課に住民たちから「公園をつくってほしい」と懇願され、最初は無視しようとしますが、余命が宣告されてからは文字通り「死ぬ気で」公園を作ろうと奔走します。
 
ただ、この公園が本当に作られたかどうかは、志村喬が死ぬ前には分かりません。志村喬の葬式に市役所の関係者、公園設立に携わった人々が話すことにより、志村喬の死の直前の行動が明らかになり、ここで初めて公園が出来たことがわかるのです。

 

正直、生前の志村喬さんかなりアンポンタンでしたw 死ぬ前だからって、仕事を無断欠勤して職場の若い子を毎日遊びに誘ったり、パチンコしたり、彼なりの欲という欲を求め続けますw

そんな志村喬さんを見て、周りはぶっちゃけドン引きなわけですw だって自分が余命わずかってことを家族に伝えずに、仕事サボってドンチャン騒ぎしてるので笑

 

志村喬の評価は、余命わずかな時期となってガタ落ちしてしまいます。彼を話題にする人も少なくなりました。

 

ただ、最初は欲まみれだった志村喬ですが、突然公園作りに奔走します。そして公園を完成させ、死ぬます。

 

彼が死んだ後に、周りの人は志村喬の苦労話を披露し、彼を尊敬します。

 

その話を聞いていると、まるで彼が生きてる時より死んだときのほうが、活力があるように感じます。

 

 

 

[人にとって生きることとは?]

 

もうお分かりでしょうが、人は生きている時期だけでなく、死んだ後も生き続けるということです。

 

彼のように公園をつくって、必ずしも生きた証のようなものを作る必要はありませんが、自分が死んでも誰かが自分の話をしてくれる、記憶に残っていることが大事なのです。

 

人間にとっての「死」とは、自分自身が死ぬことではありません。まだ生きている人たちが自分の話をしなくなり、記憶から薄れ、存在が消え去ることに本当の「死」が待っているのです。

 

余命モノ映画の多くは、余命わずかとなった人の「死」に対する哀れみや悲しみを使って人に感動を与えます。しかし、今作はタイトルにもあるように「生きる」ことを教えるのです。

 

志村喬の「死」を通じて「生」を教えてくれることに、この映画の偉大さがあります。他の映画では決してできません。

 

人間はただ生きているだけでは「生きる」とは言えないのです。他人と関わらず独りよがりになって、何もしない、何も語らないでは「死んでいる」と同じなのです。

 

 

生と死は繋がっていることを、この映画は教えてくれるのです。

 

 

[リメンバーミーとの共通点]

 

生と死の繋がり、存在が消え去ることに本当の「死」が待っているというテーマは、「リメンバーミー」でも取り上げられていました。

 
 
お墓参り推奨系のこの「リメンバーミー」ですが、本質では「生きる」と繋がっていると思います。

 

「生きる」はリメンバーミーのようにSF的な設定があるわけでもないですが、あの世にいった志村喬はきっと、豪華なブランコで「ゴンドラの唄」を歌っているに違いありません。
 
 
 
 
 
オススメです。
 
 
 
 
 ----------------------------
 

こちらのブログが初めての方、ご訪問いただきありがとうございます!

 

「映画のタイトル+解説(感想)」で検索してくださってこちらにいらっしゃった方には大変申し訳ないんですが、できれば第1回目の記事をご覧いただいて、私の自己紹介と本ブログの趣旨をご理解いただければと思います。

 

うさぎクッキー第1回目の記事はこちら!

 

Twitterもやってます!

 

セキセイインコ青@Blog_Machinaka

  

 

 

読者登録で私の映画レビューをすぐにお届け!

「気になる映画が公開されたけど、面白いか不安。。。」

そんな時は私のブログへGO!  

新規に公開された映画を後悔せず見よう!なんちゃって。。

 

 

 

 

© 2015,machinaka.hatenablog.com