Machinakaの日記

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映画「アリー スター誕生」評価・解説・考察 エリザベス・ケンプとは?父親の正体は?なぜ最後に酒を? 

 
 
こんにちは! 
 
Machinakaです!! 
 
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この記事では、「アリースター誕生」のネタバレあり感想解説記事を書いています。徹底考察する回です!!!
 
 
 
 目次
 

きっかけは、カップルのとある一言

 
 

 

今回公開する映画はこちら!

 

 

「アリースター誕生」

 
 
正直、もう考察する必要はないと思ってた。
 
映画を見たら、全部わかると思ってた。

 

だから前回の記事では、少しあやふやな表現にしていた。

 

 

www.machinaka-movie-review.com

 

 しかし、同じ上映回にいたバカップルカップルのとある会話を聞いて、意識が変わった。

 

女:「あー、やばかった。とにかくやばかったなぁ〜〜〜マジで!」

男:「あー、やばかった!とにかくやばかった!!!」

 

 

「やばい!」以外の表現を知らないのか、お前ら。

 

まぁ、それは百歩譲って、、

その後、俺を戦慄させる衝撃の一言が、男の方から放たれたー

 

女:「最後もやばかったよねー。」

男:「どうしても死ぬ前に酒飲みたかったんだろうなー。」

 

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は!?

は!!!!???

 

いや、なんか言いたいこと分かるけど 、ちょっとお前、、、ちょっとお前、、、

 

なんか浅くないか?

 

もしかしたら、言葉足らずの発言だったのかもしれない。

 

でも、もし単純にジャックが死ぬ前に酒を飲む理由が「飲みたかったら」で終わってたら、すごくもったいないと思ってしまったのだ。

 

ジャックの気持ちに完全移入してしまった俺にとっちゃあ、単に禁酒してる中で奥さんがいなくなったから飲んじゃおう!って気持ちで飲んだわけじゃないと思うんだよ。

 

もっと深い理由があると思うんだよ。

 

もう自分の中では当然だと思っていた映画の解釈を、もしかしたら他の人は共有できてないか? と焦燥する気持ちに駆られて、俺はこの記事を書いている。

 

興味があれば、覗いていってください。

 

 

 

 

そもそも、ジャックのバックボーンを知るべきだ

 
 
この映画では端々しか説明されないけども、ジャックのバックボーンを知らないと、この映画はよく理解できないと思う。
 
そして、ジャックの父親が何者なのか?
 
ジャックの父親がどういった人物だったか、職業は明らかにされてないが、少なくとも蓄音機を持っており、音楽が好きだったのは間違いない。
父は農園に働きに来て、そこで農園主の娘と出会い、愛し、ジャックを生んだ。
兄とは腹違いなのだ。
 
その後、ジャックがそこの農地を買い取った。
※ゆうちんさん、ご指摘ありがとうございます。
 
そして、おそらく父親はジャックと兄に対して、かなり暴行を加えていたと考えられる。そして、もちろんお酒も。ジャックの聴力が弱まっていたのは、蓄音機に頭を突っ込んでいたから。
 
 
また、なぜ兄があそこまで父親を嫌ってたのかというと、父親に暴行を受けたか、自分の家庭を捨てて農園に行ってしまったからだろうか。
とにかく、兄の方がかなり年上だから、元気な時の父親に散々振り回されたのだろう。あんな父親!って言って忌み嫌ってるからな。。
 
ジャックが物心ついたときには、父親はもう弱々しかったのでしょうかね。
 
そんな父親を敬愛していた弟のジャックは、父に囚われた人生を送っていたように感じる。
 
音楽にブルースを入れてるのも、父親の影響かもしれない。
お酒を飲むのもそう。
そして、兄弟でバンドをしていたのは間違いない。かなり年が離れてるのだろう、兄が現役だった時のスタッフが入っていると思われる。もうみんな、よぼよぼだけどw
 
あとは、彼の過去がごっそり抜かれているのだから、もう想像をするしかない。
とにかく、彼の人生はどん底の真っ盛りだった。
 
人気を得たのは良いけど、ずっと昔に歌っていたカントリーブルースを歌うばかりで、新曲に挑戦できない。それに兄との関係もあまり良くない。酒に頼るしかない生活を、送るしかない。
 
彼は見た目より、ずっと年老いていたのかもしれない。ただミュージシャンだから若く見えたのかも。とにかくジャックには、とても覇気があるとは思えない。
 
絶望の淵に立たされているキャラなのだ。
そして、彼はアメリカの古き良き男性像の象徴なのだと思う。そう考えると、どうしてもイーストウッドと比べてしまう自分がいた。
 
年の離れすぎた兄弟。言葉が悪いが、おじいちゃんになってもヤッてできた子供ということだ。腹違いの可能性もある。
そう考えると、老人でも色んな意味で現役バリバリなイーストウッドと、ジャックの父親を重ねているような気もした。
 
これはクーパーに聞いてみないと分からないことだけど、尊敬しているイーストウッドを父親に重ねて脚本を書いたかもしれない。つまり、ジャックの父親はイーストウッド像がよく重ねられていると思う。
 
 
 以上、これが彼のバックボーンである。映画ではあまり、説明されないが。
 
 
 
 
 

なぜアリーに惚れ、声を掛けたのか?

ということで、以上の背景を踏まえると、アリーと出会ったのはジャックにとっては、絶望の淵から救ってくれそうな、女神だったのかもしれない。

 

もう彼女にすがってみるしかない、正直ナンパ以外の何物でもないが、妙に紳士的な態度は、彼が本気でアリーに一目惚れしたのかもしれない。

 

なぜなら、ステージに女を上げたのはアリーだけだったから。

 

酔ってたからナンパした、というのはあまりにも短絡的かと思う。

 

この映画を見るときに、ジャックとアリーというキャラの対比構造を知っておいたほうが良い。

 

ジャックはカントリーブルースに象徴される通り、古き良きアメリカ男性の象徴。もっと要約すれば旧態依然の古い人間である、ことの象徴。

 

一方でアリーは、ドラァグクイーンバーで活動してることからも、様々な音楽に挑戦することからもわかる通り、新しかったり未来の象徴でもある。

 

ジャックは新しさに、飢えていたと思う。

 

 

 

 

 

なぜ死ぬ前に酒を飲んだのか?

 

さて本題

アクアシティお台場にいたカップルの諸君、是非とも耳をかっぽじって聞いていただきたい。

 

なぜ彼はあそこで酒を飲んだか? 

 

・・・ドヤ顔と言わなくても皆さん分かってると思うが、自殺した直接の理由はアリーへの過度な贖罪であろう。

ここでは、自殺した理由ではなくなぜ自殺する前に酒を飲んだのか?が主題である。

 

 

ちなみに、コメントをくださった「なな」さんの意見はこうだ。きちんとあらすじを抑えているため、事実関係が分かりやすいので載せておく。

 

ジャックは入院治療後、周りからの理解を得て人生をアリーと一緒にやり直せると考えていたのではないでしょうか?

しかし、マネージャーさんの言葉でジャックが思っている以上に、アリーが許しても、周りが許していないこと、
(信じたくはないが)ジャックがアリーのキャリアの足枷になるかもしれないことに不安を覚えた。

そこに、アリーからのツアー中止の嘘。
この嘘をジャックは自分の近くにいるため(足枷になった)と考え、
ジャックはアリーのキャリアを守るため(足枷にならないように)、アリーの側を離れる選択をしたが、ジャックもアリーを愛し過ぎていたため、離婚より自殺を選んだと考えます。

お酒は自殺の決心の後押し(後戻りできないように)として飲み、自殺を実行した。
お酒が後押しになったのはマネージャーの「次にお酒を飲んだらアリーと別れてくれ」の言葉があったからと考えます。

 

 

以上を踏まえ、「なぜ最後に酒を飲んだのか?」の自分なりの考えを書いていきたい。

 

なぜ最後に酒を飲んでしまったのか?それは、最後にジャックは父親に近づきたかったのだと思う。また、酒を飲むことで最期の最期は昔の自分=歌手として活躍し隆盛を極めていた時代に戻りたかったのかもしれない。

 

禁酒して、アリーに付き添うことも、もしかしたらできたかもしれない。

 

しかし、彼の中ではどうしても父親が断ち切れなかった。

 

 

酒に溺れている父親を辿って、父親に近づこうとしたのだと思う。

 

父親に近い状態で、アリーに出会う前の状態で、死にたかった。それこそが彼が昔に戻る手段だった。

 

 

 

なぜ自殺を選んだのか?なぜ最後の歌でジャックがカットインしたのか?

※2019.1.8追記

コメントで「なぜ自殺したか」という意見が多いため、新しく見出しを付けたしリライトした。

 

なぜジャックが自殺したかについて、考えてみたい。

 

コメントの多くは、ジャックはアリーへの愛情と贖罪の気持ちが強すぎたせいで、自殺を決意したという見方が強い。

また、ジャックは過去に兄に「酒を飲んだらアリーと別れてくれ」と言われていたこともあり、酒を飲んだらアリーと別れる=死を持ってグラミー賞の失態を償い、死んでしまったという見方も当然出来る。

しかし、そんなことは分かってる。

ここでは、あえて違った見方をしたい。

 

アリーの授賞式で失禁し、もうどう償っても償いきれない罪を感じたジャック。

自分が歌手として売れなくても、アリーをプロデュースして第二の音楽生活を歩めばよいとジャックも思ってた。しかし、アリーのプロデュースは若者に奪われ、プロデュースはおろかサポートもできなくなり、足を引っ張るばかり。

 

歌手としても、プロデューサーとしても、夫としてもダメになった。自分の歩んできた人生の大半が、失われたと感じた。

 

完全に燃え尽きてしまったジャッキー。しかし、まだ彼にはまだ一人追いかけるべき尊敬すべき心の拠り所があった。それは父親との思い出だった。

歌手になる前は親父に憧れ、コンプレックスを抱いていた。

 

最後の最後は父親の後を追いかけた。だから酒に溺れ、クスリに溺れ、かつてのアリーと出会う前のジャックに戻ってしまった。

 

そして、死を選んだ。

 

音楽活動をやめて、ただアリーと暮らせば良かったのに。死ぬことはなかったのに、と感じる人もいるかもしれない。

なぜこんなに失態を気にするのか、と。

 

しかし、男とはプライドと共に生き、プライドと共に死ぬ生き物だ

 

彼の死は、彼にとっては決して無駄ではない。

 

そして、自身の死と同時にアリーに「I'll never love again」を託した。

普通に考えれば、アリーに対する贖罪だったのかもしれない。

しかし、そうではない。

 

確かにジャックは物理的には死んだのかもしれない。しかし、彼は完全に死のうと思ったわけじゃない。アリーに託した歌で永遠に生き続けるることを選んだのだ。アリーがこの歌を歌ってくれる、と信じたのだ。

 

 

 

そしてエンディングでアリーが歌うシーンで、ジャックが蘇るのである。歌の途中でジャックがカットインするのは、単なる回想ではない。ジャックがこの歌の中で生き続けるという証でもあるのだ。

 

 

 


Lady Gaga, Bradley Cooper - I'll Never Love Again (A Star Is Born)

 

 

 

 

故エリザベス・ケンプとは誰か?

「エリザベス・ケンプに捧ぐ」

 

という言葉がエンドロールにあるが、これはクーパーの師匠であるエリザベス・ケンプという女優の名前である。

 

アクターズスタジオの先生で、クーパーはニューヨークで彼女と出会いメソッド演技を学んだ。また、エリザベス・ケンプはブラッドリー・クーパーのメンターである。

 

アクターズスタジオとは、アメリカにおける俳優養成学校の権威であり、世界中の俳優が手本にしている「メソッド演技」を提唱した学校でもある。

 

65歳で死去し、ああリにも若すぎる死だった。

彼女の死をアクターズスタジオの生徒であったブラッドリー・クーパー、ヒュー・ジャックマン、そしてレディー・ガガがトリビュートを捧げたというう。

 
 
 
 
 以上、かなり淡々としてしまったが、これにてごめん。
 
 
 
 
 
ここまで書いておいてなんだが、本記事は予想を超えて多くの方に読まれ、たくさんのコメントが集まった。そこでは本記事の考察より素晴らしいものも書かれているので、是非ともコメントを読んでいただきたい。
 
 

また、死を選んだ理由について多くの人が「アリーに申し訳なく思った」とコメントを書いているが、それは理解している。映画を見たら分かることだ。従って、それは考察ではないと判断してあえて記事では触れなかった。

・・・後出しじゃんけんのように聞こえるかもしれないが、本当。

 

あえて一般受けしない考察を書いたが、ここまで反響・・・というか反発?があると思わなかった。

コメントしてくださった方々、ありがとうございます!!

是非とも他の方の考察も読んでみてください。

 

 

↓↓コメント↓↓

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