- 「キャッツ」のネタバレありで感想と解説(全体)
- あらすじ
- 本編の9割が自己紹介パートで埋め尽くされる煉獄の時間
- ストーリーは映画で改めて提示すべきである
- せっかくの歌と踊りも、カメラと編集が全部ダメにした
- 映画にも味見が必要だ!
- まとめ
「キャッツ」のネタバレありで感想と解説(全体)
今回批評する映画はこちら!
「キャッツ」
ダメなのは分かっていた。
絶対につまらない、と。
分かってる。他人の評価を気にしちゃいけないって。
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2020年1月22日
分かってる。制作費よりも稼げてない映画が駄作とは限らないって。
分かってる。陛下がご覧になった映画で注目が高いのに、一切映画の中身について言及がないことを。
それでも俺は、観に行く。全ては、読者のために。
これがMachinakaの日記です。 pic.twitter.com/dcDS2cUhyu
海外の評価はもちろんのこと、予告編から怪しさがムンムンだった。
やたらと「アカデミー賞監督」を押す宣伝、キャストの紹介で一番最初に出てくるのが「ジェームズ・コーデン」
結果は分かっていた。予想以上に酷かった。
本編109分のうち、キャラクターの自己紹介に80分使うという狂気の沙汰、ストーリーらしいストーリーは10分にも満たないのではないか?
むしろ、この映画にストーリーはあるのか?
キャストの素晴らしいダンスや歌も、乱暴なカメラワークとカチャカチャ編集で全部ダメ。これもひとえに、稚拙なCGを目立たせないための工夫なのか?
近年、ミュージカル映画が見直されてきたのに、この始末。ミュージカル映画への冒涜か?
散々愚痴を垂らしてきたが、私自身が辛くなるのは構わない。
許せないのは、今作を陛下に見せてしまったことだ。
陛下が猫好きだから?
どんな理由で試写会への参加が決定されたか分からないが、もっと慎重に映画を検討いただきたい。
1つ気になることがある。
試写会の前に、今作を下調べ、あるいは鑑賞していたのだろうか?
今作を味見した人間はいたのだろうか?
料理であれば、御前に運ばれる前に味見するのが鉄則だろう。
しかし、映画については味見をしたかどうか、不透明なところがある。
少なくとも、今作を見た私からしたら、絶対にオススメできない。
料理と同じく、映画にも味見が必要ではないか?
味見していれば、毒だと一目で分かったはずだ。
何故なら、今作はアカデミー賞とは真逆の駄作賞であるゴールデンラズベリー賞の最有力作品なのだから。これほど分かりやすい毒も珍しい。
個人的には人生ワースト級。
加えて、予め駄作と分かっている映画を鑑賞させてしまったことに、国辱さえ感じた駄作である。
二度と見たくないし、思い出したくもない。この記事さえ、すぐに消してたいくらいだ。
ここまで冷静を保ってきたが、もう限界だ。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいい!!!!!!!
なんじゃぁ、このウンポコピー映画はぁぁ!!!!!!!
猫騙しにもほどがある!!
こんなの映画じゃねぇぇ!!!!!!!!!
さよなら、バイバイ!!!!
「CATS」鑑賞
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2020年1月24日
なんだこの猫騙し映画は!!
本編110分のうち、ストーリーとキャラが映画的に説明されないまま、ただキャラの自己紹介ソングが80分流れる地獄の時間に君は耐えられるか!?
これ陛下に見せる映画じゃないよ、国辱映画だよ!
人生ワースト級。
−50億点/100点#キャッツ #キャッツ極上
あらすじ
・1981年にロンドンで初演されて以来、観客動員数は世界累計8100万人に達し、日本公演も通算1万回を記録するなど、世界中で愛され続けるミュージカルの金字塔「キャッツ」を映画化。「レ・ミゼラブル」「英国王のスピーチ」のトム・フーパーが監督、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を務め、英国ロイヤルバレエ団プリンシパルのフランチェスカ・ヘイワードのほか、ジェームズ・コーデン、ジェニファー・ハドソン、テイラー・スウィフト、ジュディ・デンチ、イアン・マッケランら豪華キャストが共演した。人間に飼いならされることを拒み、逆境の中でもしたたかに生きる個性豊かな「ジェリクルキャッツ」と呼ばれる猫たち。満月が輝くある夜、年に一度開かれる「ジェリクル舞踏会」に参加するため、街の片隅のゴミ捨て場にジェリクルキャッツたちが集まってくる。その日は、新しい人生を生きることを許される、たった一匹の猫が選ばれる特別な夜であり、猫たちは夜を徹して歌い踊るが……。
本編の9割が自己紹介パートで埋め尽くされる煉獄の時間
最も気になったところは、今作にはセリフらしいセリフがほとんどなく、9割以上がミュージカル(歌・踊り)で構成されているところだろう。
もちろんミュージカルを映画化するのだから、ミュージカルパートが多いのは理解できる。極端な比率だと感じるが、しょうがない。
つまり今作の場合、ミュージカルパートで映画の目的やキャラクター描写、結末を伝えなければいけないことになる。
しかし今作は、超実験的な演出法を選択してしまった。
なんと、9割以上を占めるミュージカルパートのうち、ほとんどがキャラクターの自己紹介をメインに仕上げてしまったのである。
冒頭でも述べたが、本編開始から80分程度まで、新キャラが出るたびに自己紹介ソングが流れ、歌い狂うのである。
正直、狂っているとしか言いようがない。
捕捉だが、私はミュージカルのキャッツを一度も見たことがない。ストーリーも分からない。ゆえに、今作で何を目的にしているのか、いまいち掴みづらかった部分はある。
つまり、私にも知識不足だった部分がある。
しかし、それ以上に今作は映画を知らなさすぎる。
物語が進んでるかどうかも分からず、キャラクターの紹介に終始した映像を長時間見せ続けられたら、飽きるに決まっている。
ミュージカルがストーリーの進行を妨害。その結果、何の中身もない映画に成り果ててしまった。
レベル・ウィルソンまでの自己紹介シーンは、まだよかった。しかし、それ以降はもう地獄だった。
新キャラ登場⇨自己紹介、というお決まりの展開が透けて見えてしまったからである。
同じことを何度も何度も繰り返さないでほしい。辛すぎる。
www.machinaka-movie-review.com
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ストーリーは映画で改めて提示すべきである
キャッツを知ってる人にとっては、映画でストーリーを説明されなくても問題なかったかもしれない。
既に知ってるから、あえて詳しく描写しなかったのかもしれない。
しかし、ストーリーは映画で改めて提示すべきだ。キャラクターが成長するわけでもなく、誰が主人公かもわからず、何をしたいのかも分からない。
そんな映画を見せられたら、苦痛でしかない。
せっかくの歌と踊りも、カメラと編集が全部ダメにした
ストーリーがないことを、100万歩譲ってなかったことにする。
ミュージカルシーンだけで満足できたら良い、という方向性で評価を改めてみる。
しかし、その方向でも今作はどうしようもなく駄作なのだ。
せっかくの歌と踊りも、基本的にヨリのショットで役者全体が見えない。
つまり、全ての踊りが見えない。
大人数で素晴らしいダンスをしてると思ったら、すぐにヨリのショットに戻ってしまう。カチャカチャした編集が、より一層ミュージカルの邪魔をする。
加えて、外ロケしてるわけでもないのに、何故か手ブレを多用する撮影手法も気にくわない。
臨場感を出したいからか? リアリティを出したいからか?
しかし、そんな発想はことごとく間違っている。
カメラと編集でカチャカチャされたせいで、踊り全体が全く見えてこない。
いかに素晴らしい踊りをしているかが、分からない。
ミュージカルも楽しめない作品になっているのだ。地獄としか言いようがない。
ミュージカル映画はヨリのショットはなるべく少なくし、踊り全体をじっくり見せるべき。妙な切り取り方をしてしまっては、ミュージカルシーンの本来の良さが楽しめない。
ストーリーを削ってまで出したミュージカルシーンも、本当に苦痛で仕方ないのだ。
映画にも味見が必要だ!
今作を陛下の御前で披露する前に、誰かチェックしていたのか、味見をしていたのか、気になるところである。
冒頭にも述べたが、今作はゴールデンラズベリー賞の最有力作品との呼び声が高く、試写会の前から駄作認定されていた作品であることは間違いない。
今作を何故陛下が鑑賞されたのか、どのようなプロセスを経たのか分からない。
しかし結果的に、ゴールデンラズベリー賞を陛下に見せてしまったのである。これは由々しき自体だ。
国辱映画だと罵ってしまったが、今作を見せると決定した側にも問題がある。
料理は事前に味見をして、美味しいかどうか味見するだろう。
しかし、映画も事前に味見をすべきではないか?
味見して毒だと思ったら、見せない勇気も必要だったのではないか?
日本の映画リテラシーの低さが露呈した瞬間だったように感じる。
もっと面白い作品はいくらでもある。なのに、何故この作品を選んでしまったんだ。。
まとめ
今後はもっと面白い映画の試写会に参加されることを願いたい。
映画ばかり見ている私は良い、しかし陛下や要人・高人は時間がない。だからこそ、良作をご覧になるべきなのだ。
戒めのためにも、今作は最低の点数をつけて記録すべきだと感じた。
もはや100点満点の意味が分からないが、−100点と付けるのももったいなく、−50億点とした。
−5,000,000,000点 / 100点