「ハスラーズ」のネタバレありの感想と解説(全体)
今回批評する映画はこちら!
「ハスラーズ」
サブプライムローン特需に浮かれたウォール街の男に虐げられてきたストリッパーたちが復讐する物語。
リーマンショックの悲劇をストリッパーの視点から描く社会派作品。
予告編をみたら、誰もがこう思うはずだ。
猪突猛進な私は、そんな先入観のままに記事の下書きを続けた。
他にも面白いリーマンショック映画はあるんだよねぇ〜⤴︎⤴︎
と、これ見よがしに「リーマンショック映画」をまとめてしまっていた。
が、私の予想は見事に外れたので、以下に紹介する映画は、(個人的に)数多くの映画を見てきた私の慢心の表象、あるいは残留思念、とでも思ってくれればいい。
ただ、映画自体はどれも良作なので、安心してご覧になっていただきたい。
ただ今作も、リーマンに金銭的ショックを与えたという意味では、リーマンショック映画であるのは間違いないのだが。。(←まだ言うか)
「マネーショート」
www.machinaka-movie-review.com
「ドリームホーム」
「クイーンオブベルサイユ」
本題に入ると、今作はリーマンショックというのは時代背景であって、キャメロンディアスが主演を張るような、女たちが男に復讐してワーキャーするような映画ではない。
はたまた、「オーシャンズ8」的な、集団犯罪を目的とする映画でもない。
間違いなく今作は、「女子が女性になる」物語だ。
親に捨てられ、男に虐げられ、世間から冷たい目で見られて。
人生に救いのないしがないストリッパーの主人公が頼ったのは、同僚の先輩ストリッパー。
自分の置かれた境遇をともに慰め合い、励ましあう。何をするにもつるんで、群れる。
稼いだ金で服を買い、酒を飲み、プレゼント交換をし、常に女子であり続けるその姿。
自分の犯した罪など、忘れているかのように。
仲間意識がそうさせるのか、女子たちの凶行は止まらない。
いつまでこんなことを。いつになったらやめようか。
考えはするが、目の前にある欲からは逃げられない。
そうこうしてるうちに、主人公はいつまでたっても自立できない。
常に先輩と仲間の言われるがままで、ずっと女子のまま生きようとする。
そんな女性の性(さが)を見事な映像テクニックで切り取りとったのが今作だと感じた。
金の切れ目は男の切れ目。しかし、女の縁は一生切れないのだ。
主人公コンスタン・ウーとジェニファー・ロペスの、愛情とも友情とも形容できない特殊な関係性に、男の私は共感もできずにただ見入るしかなかった。
自分は自分、あなたはあなた、と割り切ることができない二人。
家族でもないのに鎖で繋がれたような二人の関係は、これからも続いていくのだろう。
あらすじ
・リーマンショック後のニューヨークを舞台に、ストリップクラブで働く女性たちがウォール街の裕福なサラリーマンたちから大金を奪う計画を立てたという実話を、ジェニファー・ロペスと「クレイジー・リッチ!」のコンスタンス・ウーのダブル主演で映画化。年老いた祖母を養うためストリップクラブで働き始めたデスティニーは、そこでひときわ輝くストリッパーのラモーナと出会う。ストリッパーとしての稼ぎ方を学び、ようやく安定した生活が送れるようになってきたデスティニーだったが、2008年に起こったリーマンショックによって経済は冷え込み、不況の波はストリップクラブで働く彼女たちにも押し寄せる。いくら働いても自分たちの生活は向上しない一方、経済危機を起こした張本人であるウォール街のエリートたちの裕福な暮らしは変わらず、その現実に不満を募らせたラモーナが、デスティニーやクラブの仲間を誘い、ウォール街の裕福なクライアントから大金をだましとる計画を企てる。
開始5秒で映画の世界に引きずり込む
今作の素晴らしい点は、開始5秒で映画の核心に触れるようなネタばらしが行われること。
冒頭にジャネットジャクソンの「コントロール」が流れ、有名な一節が流れる。
This is a story about control
Janet Jackson - Control (Official Music Video)
これはコントロールについての話だと、あっさりネタバラシをしてしまう。
字幕版で鑑賞したが、きちんと歌詞がテロップとして表示されるので、遅刻せずに鑑賞した観客であれば確実にこの文言を目撃している。
映画の冒頭に作者のメッセージが隠されている、とよく言われていることだが、今作ほど明快な語り方もないだろう。
妖艶で過激なストリップダンス、派手な色使いの背景、爆音が巻き荒れるクラブを写す前に、ジャネット・ジャクソンを入れてくるあたりが、とても大胆で印象に残る演出だと感じた。
2007年にジャネット・ジャクソンがクラブで流れるわけもなく、キャラクターたちが聴いているわけでもなく、明らかに観客に伝えるために流された音楽。
映画用語では、これをノン・ダイジェティックサウンドと呼ぶ。
現実では流れない、映画でしか流すことのできない音楽を冒頭に持ってきて、開始5秒で映画の中に引きずりこんでしまうのだ。
いきなりリアリティラインが崩れてしまうことも恐れずに、堂々とジャネット・ジャクソンを選ぶあたり、よほど自分の映画に自信があると見た。
「金」で全てを物語る
その後も今作の絶妙な映画的ストーリーテリングは続いていく。
主人公のストリッパーが置かれている状況を、セリフに頼らずすべて「金」で説明してしまうのである。
ジャネット・ジャクソンの曲が流れた後、ストリップダンスを踊る主人公。
衣装の隙間に札束を入れていくウォール街の男たち。さらに、乱暴に札を舞台に投げ入れる客もいる。
決して大量とは言えないお金を回収した後、男のマネージャーに取り分をもらいにいくも、遅刻したとケチをつけられ相場よりピンハネされてしまう。その後、男の警備員にも半ば脅されて手数料を払う。
ストリップ=自分の実力で男から金を巻き上げようとする一方で、男に搾取されている構図がここで垣間見える。
つまり、男には頼れない主人公の状況をここで端的に説明してしまうのである。
そして、先輩のジェニファー・ロペスがストリップを踊り、前段の主人公とは対照的に札束のシャワーを浴びるシーンが流れる。
主人公との格の違いを金の量で見せつけ、自分が目標とすべき存在だと説得させてしまう。
最初に男は頼れないと説明し、その後ジェニファー・ロペスの荒稼ぎを見せられたら、もう主人公が付いていく先は決まってしまうじゃないか。。
いかにも怪しい臭いがプンプンするジェニファー・ロペスを主人公のメンターだと納得してしまうのも、映画だからこそ出来るマジックだろう。
たった今、男から金を巻き上げられていた自分とは対照的に、男から金を巻き上げているのだから。主人公の自尊心を、ジェニファー・ロペスが取り戻しているような気持ちにさえなる。
これでもう、コンスタン・ウーはジェニファー・ロペスから逃れることはできない。
自分の生きる道は、ジェニファー・ロペスにコントロールされてしまうのである。
あれだけの札束を見せつけられて、観客もそれに納得してしまうのが今作の実力の証左だろう。
さらに、金による演出はこれだけに留まらない。顧客を分類し、特定の男に狙いを定めて金を巻き上げる様子は、ウォール街の男たちが行っている株取引のように思えてしまう。
そして、集団で違法行為をして金銭を強奪する主人公たちは、サブプライムローンで違法的に儲けるウォール街の連中と、なんら変わらないことに気づく。
過剰なまでに荒稼ぎするストリッパーとウォール街のリーマンは本質的には同じなのだ。
だからこそ、コンスタン・ウーがジェニファー・ロペスの凶行に違和感を抱いていくのも納得がいく。
結局、ジェニファー・ロペスもウォール街の連中も同じなのだから。
貴様いつまで女子でいるつもりだ映画
しかし、コンスタン・ウーがジェニファー・ロペスと決別するには相当な困難がある。
どれだけ罪悪感があっても、物欲には負けてしまう。
ジェニファー・ロペスとその仲間たちから離れたくない。離れたら、本当の一人ぼっちになってしまう。
縦のつながりよりも横のつながりで生きる彼女たちは、一人で犯罪を止めることができない。
いつまでたっても、女子力を高めたい。女子でありたい。そのためには、何をしてでもお金を稼ぐしかない。みんなでやれば、怖くない。
そんな女子たちの同調圧力を感じた一作であった。
しかし、いつまでも女子ではいられない。集団生活から卒業し、自分の道を歩んでいかないといけない。ジェニファー・ロペスとの決別は、己が成長するための代償とも言える。
まとめ
リーマンショックという言葉が先行して勝手な先入観を持ってしまったが、蓋を開けてみれば女性が自立していく物語を描き、普遍的なテーマにたどり着いた映画であった。
自分がコンスタン・ウーの立場だったら、ジェニファー・ロペスと決別できていただろうか。大勢の共犯者たちに囲まれて、独り立ちできただろうか。
いつまでも遊びに興じていても、何も得るものはない。
あぁ、耳が痛い。。
85点 / 100点