「さよならテレビ」のネタバレありで感想と解説(短評)
今回批評する映画はこちら!
「さよならテレビ」
「セシウムさん」問題により、世間を大きく賑わせた東海テレビ。
テレビ業界的にはまだ忌むべき問題であり、東海テレビも窮地に立たされているようだが、映画業界では対照的に高評価を受け続けている。
「ヤクザと憲法」「人生フルーツ」などの傑作ドキュメンタリーを作ってきた東海テレビの製作陣が、またも斬新なドキュメンタリーを作ってきた。
今回の撮影対象は、身内の東海テレビ社員。それを撮るのも東海テレビの社員。同僚が同僚を撮るという、これまでにない試みをやってのけたことにまずは賞賛を贈りたい。
ただ、両手離しで喜べない自分がいる。
そんな考えに至った契機は、ラスト五分に訪れる。
その時、今まで見てきた映像の全てが揺らぎ、予想を完全に裏切られる。
もはやドキュメンタリーの禁じ手ともいうべき驚きの手法は明かせないが、是非とも今作を見て内容を確認して頂きたい。
我々が普段何の躊躇もなく見ているテレビの実態が、明らかになっている。
かもしれない。
ポレポレ東中野で「#さよならテレビ」鑑賞
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2020年1月4日
テレビの闇をテレビ社員自らが探る、という予想だったが、、
やられた!
ラスト五分で予想を完全に裏切られた!
多くのドキュメンタリーを観てきたが、あのラストに辿り着いた作品はない。
良いか悪いかは観客が判断するとして、まずは足を運んで見るべし。
あらすじ
・ヤクザの現実を追った「ヤクザと憲法」の監督とプロデューサーによる、現在のテレビの現場で何が起こっているのかを探ったドキュメンタリー。さまざまな社会問題を取り上げたドキュメンタリー作品を世に送り出している東海テレビによる劇場公開ドキュメンタリーの第12弾。潤沢な広告収入を背景に、情報や娯楽を提供し続けた民間放送。しかし、テレビがお茶の間の主役だった時代は過去のものとなり、テレビを持たない若者も珍しくなくなってしまった。マスメディアの頂点に君臨していたテレビが「マスゴミ」とまで揶揄されるようになったのは、市民社会が成熟したのか、それともテレビというメディア自体が凋落したのか。テレビの現場で何が起きているのかを探るため、自社の報道部にカメラを入れ、現場の生の姿を追っていく。2018年9月に東海テレビ開局60周年記念番組として東海地方限定で放送されたドキュメンタリー番組に40分以上のシーンを追加した。
映画として素晴らしいクオリティ
テレビ局にカメラを向け、今のテレビが抱える実態を描いたドキュメンタリー作品である。
タイトルは「さよならテレビ」となっているが、今作を見てテレビにさよならする人はいないだろう。
テレビ局が本来見せたくない部分を見せているのは間違いないが、今後のテレビを良くしたい気持ちは少なからず感じられるし、そもそも今作を見ている人はテレビに対して興味があるからである。
もう既に「テレビにさよなら」をしてしまった人は、今作を見ないであろう。
今作は①非常に抽象的な企画意図、②不特定多数の取材対象により、どの人を対象に何を目的としているのか分かりづらくなっている。ただ、この演出が作品の心象を悪くしているわけではない。
最初の印象は、誰しも狐に包まれたような感覚に陥るだろう。
しばらく見ていると、メインの取材対象が①中堅キャスター、②新人記者、③ベテラン記者になっていることが分かってくる。
そのどれもが男性で、東海テレビという大きな組織、ひいてはテレビ業界に苦しみながらも必死に働いていることが伝わる。
観客は、東海テレビで働いている数多くの人々の中から、3人の人生を垣間見ることができる。
彼らがテレビに苦悩し葛藤する様子をドキュメンタリーにすることで、テレビ業界の実態を探ろうとする作りになっている。
こうした作りをすることで、ドキュメンタリー映画として完成度の高い作品に仕上げられたことを、まずは賞賛したい気持ちでいっぱいである。
いかにも真面目なドキュメンタリーに見えるが、実は今作は「喜怒哀楽」が随所に散りばめられており、エンターテイメントとして成立しているのだ。
先ほど紹介したメインの取材対象3人の中で、新人記者がいると言ったが、彼の一挙手一投足に場内は爆笑に包まれた。
もちろん私も
ハッッァハアアア!!
と声を出して笑ってしまった。笑いすぎて咳き込んでしまったほどだ。そして、隣に座っていたおじさんは、そんな私よりも大きな声で笑っていた。みんな笑いすぎてセリフが聞こえないほどだった。
新人ということで仕事に慣れないのは分かるが、彼の仕事っぷりに泣き、笑い、悲しみ、総じて楽しめることは間違いない。
冷静に考えてみれば、テレビの闇を探るには新人記者よりもベテランに注目すべきである。しかし、今作はそんな作り方をしない。
新人記者の七転八倒を入れることで、映画として十分なクオリティを担保しているのだ。
もちろん、他のキャスター、記者の描写も素晴らしいが、もっとも映画的だったのは新人記者のパートだろう。彼を見るだけでも、十分に映画を観る価値はある。
日本のドキュメンタリーでは少ないが、海外のドキュメンタリーでは時たまインタビューが中心の構成になっているものがある。
インタビューの内容自体は、謹言が詰め込まれておりタメになる発言が詰め込まれている。
しかし、映画として見てみるとインタビュー=会話シーンであり、ただ会話している映画がつまらないことは、観客の我々が一番知っているであろう。加えて、そういったドキュメンタリーほど真面目な内容が多く、見ること自体が苦行になるものが多い。
ドキュメンタリー映画に最も大事なものは、情報量でも、テーマに対する的確な回答でもない。
そもそも映画として面白くないと、ドキュメンタリー映画は成立しない。
ドキュメンタリー映画は、ドキュメンタリーである以前に映画なのだ。
映画という媒体である以上、この要件はクリアしないといけない。
東海テレビの製作陣は、映画として何が面白いかを知っている。
そりゃあそうだ、毎日視聴率と格闘し、どうすれば視聴者を飽きさせずに映像作品を作れるか熟知している人が作っているから、面白いに決まっている。
テレビマンが作る映画はダメだ、というのが邦画では定説になっているが、今作を見て地方テレビ局の底力を感じて欲しい。
映画のテーマに触れる前に、まずは映画としてクオリティが高いことを伝えておきたかった。
ここから先、重大なネタバレがあります!!
今作が描く「テレビの闇」の正体とは?
そんなクオリティの高いドキュメンタリー映画を見れて、「いやぁぁ、東海テレビさんの作品はすんばらしいなぁぁ!!!」
と興奮して劇場を後に出来ると思っていたが、
ラスト五分で全てがひっくり返ってしまった。
ラストの種明かしは絶対にできないが、今まで見てきたドキュメンタリーとは明らかに異なる演出が施されていた。
ちなみに、どんな仕掛けが隠されているかはTwitterを検索すれば意外なほど大量にネタバレ感想が見つかるので、気になる方はそちらを検索して頂きたい。
ラストの演出意図としては森達也監督の「FAKE」で提示された「ドキュメンタリーは嘘をつく」が近いと考える。
www.machinaka-movie-review.com
今作はこのテーマをテレビに置き換え、「テレビは嘘をつく」と言わんばかりに今までのシーンに疑問符を投げかけたのだ。
具体的には「彼らを善人にしてぇ、編集長は悪者にしてぇ」などとキャラクター設定していることを匂わせるナレーションを入れたりしている。
要は、ドキュメンタリーを製作した張本人が、作品ドキュメンタリー性を破壊しているのである。
「これ、出来過ぎでしょ」「ドキュメンタリーも演出があるからなぁ」
と、観客が訝しがってしまう発想や考えを、作り手がやってのけている。
そして、この破壊行為こそが「テレビの闇」である、と主張しているのだ。
・3人のテレビマンを選定し、彼らを主人公=善人で苦難を乗り越えるキャラクターと見立てる
・対照的に、編集長を悪者に描く
・勧善懲悪な設定によって、ドキュメンタリーにドラマ性を加える
ドキュメンタリー映画を作る上では避けては通れない行為と、テレビの闇を繋げているのだ。
報道のテレビマンであっても、テレビはテレビ。視聴率は避けては通れない。
誰を中心に描くかで、その作品の主人公が決まる。主人公に乗り越えるべき課題や目標を設定する。どのテレビも、こうした作業を行っている。
さっきは伝えなかったが、今作のメインキャラとなっている①中堅キャスター、②新人記者、③ベテラン記者は、正社員でなく契約社員や派遣社員など、東海テレビの正社員ではない。
つまり、3人とも東海テレビからいつ追い出されてもおかしくない、危うい立場にある人たち。社会的には不安定で、弱者のように映る存在なのである。主人公にするにはうってつけのキャラクターなのだ。
ありのままを伝えるよりも、面白いシーンや感動するシーンが浮かべば、そのように編集してしまう。
このテレビマンの性を、テレビマン自身が打ち明けたのである。
これには驚いた。。ここまで正直なドキュメンタリー作品があっただろうか。
テレビにせよ、ドキュメンタリー映画にせよ、作者自らが先だって作品の虚構性を指摘することはしない。多くは視聴者や観客から、クレームとして届けられるものだ。
そして、今まで新人記者に泣き笑いしていた場内が静まり返った。ひどく居心地が悪くなったことを今でも思い出す。
ただ、この居心地の悪さこそが製作陣の意図であり、テレビが抱える闇なのだ。
今まで自分が見てきたドキュメンタリー映像は何だったのか? 全て編集者によって操られていたのか?
確かに、編集のやりすぎで勧善懲悪なキャラクターを設定してはその人の本質が見えなくなる。しかし、そちらの方が明快で分かりやすく、主人公たちを応援しやすくなる。何より、後者の方がドキュメンタリー映画としてのクオリティが上がる。
勧善懲悪、二項対立、弱者の成長、栄光と挫折、どれも物語には必要なマスターピース。
虚構性を高めればドキュメンタリー映画としてのクオリティが上がる。何ともアンビバレントな状況。。
ドキュメンタリー映画の危うさと脆さを、まさか上映中に感じてしまうとは。。
正直、言わなけりゃあもっとスッキリして劇場を後にできた。しかし、そうはさせない東海テレビの製作陣たち。
このひと癖もふた癖もある作り方こそが、東海テレビのドキュメンタリーたる所以なのだろう。
「社員」にカメラを向けることの難しさ
冒頭で印象的なのは、報道部にカメラを回すことに否定的な同僚たち。
特に編集長などの上位職の方たちは、カメラを酷く嫌っている。
「カメラが回っていると話しにくい」と最初は不満を漏らすものの、突如「一旦カメラを切れ!」と怒りを露わにする。
報道する人間が、いざ自分が報道される側になると、カメラを嫌う。何だこいつら、自分が撮られる側になるとダメなのか、このマス◯ミ。。
などと、編集部に対してはネガティブなイメージ、カメラを回す側にはポジティブなイメージだと、観客は認識してしまう。
編集長の名誉のために言っておくが、別にマスコミに限らず、四六時中カメラを回されることは酷く不快である。加えて、企画意図もよく伝えられず、ただ「テレビの今を撮りたい」と言われるだけでは、到底承服ができない。
こうした曖昧な撮影方針も、もしかしたら作り手の意図なのかもしれない。
社員に撮影・取材を断られた作り手たちが行き着いた取材対象は、派遣社員、契約社員、番組に出演しているキャスターの3人。誰もが正社員でなく、非正規である。
撮影対象を非正規に絞ったことについては、社員からの反対があったことに加えて、役員からの反発も大きかったのではないか、と感じる。
報道部にいようが、結局は会社員。上からの指示に従い、業務を遂行することが会社員の役目である。今作を作ったプロデューサー、ディレクターも、東海テレビの社員。
この企画を通すためには、報道部だけの判断では到底不可能である。役員に承認を得ないといけない。
もちろん、役員会の様子をカメラに収めることは不可能であり、本企画を通すためにどのようなプロセスを経たのかはブラックボックスになっている。
ただ、密着取材される対象が全て非正規ということに、少なからず違和感を感じてしまう自分がいる。
社員に密着し、会社に対してネガティブなイメージを発言してしまっては、社員の管理が出来てないと社内外から叱責されることは間違いない。
セシウム発言以降、東海テレビは慎重にならざるを得ない。これ以上ネガティブなイメージを与えないように、気をつけないといけない。
会社が直接雇用契約を結び、会社が管理する人材である正社員については、撮影について特に慎重にならざるを得なかったのではないか?
テレビの闇だったり、今のテレビを写すには正社員のコメント、密着取材が肝要だが、今作ではまだ、そこに至ることが出来なかった。
ただ、この製作方針が残念とは思わない。
社員が社員を撮るという行為自体が、そもそも無謀なのだ。
役員でもない、人事部でもない、(立場は上の方だが)一介の社員たちが、社員に向けてカメラを回すことは、社員に対して特定の印象を与えることになる。特定の印象とは、大別するとポジティブなイメージ、ネガティブなイメージなど、ごく簡単なものとして捉えて構わない。
被写体である社員にポジティブとネガティブを決めることは、少なからず社員の優劣を決めることに繋がりかねない。
会社員として働いていれば分かることだが、社員の評価を社員が行ってはならないし、何よりやりたくないのだ(人事を除く)。
内定を勝ち取るまでは全員がライバルに思えるが、一度会社に入ってしまえば皆仲間。非正規も正規も、同じ仕事をしていたら、仲間意識が強くなる。
社員の中で区別をつけるのは、同じ社員として、同じ仲間として良心が許さなかったのではないか? と強く感じた。
密着取材しない一方で、正社員自体はきちんとカメラに収められている。
しかも、正社員は一貫して悪者として描かれ、外様の社員・社会人を善人に描くことで、東海テレビの著作物としてのレベルに達したのではないか?
正社員は一貫して悪者と言ったが、悪者のほとんどを担うのは編集長であり、報道部長であり、管理職である。一般社員の発言は、ほとんどなかったのではないか?
これも社員にダメージを与えないせめてもの配慮である。相応のリスクを背負う仕事は管理職が表立って行動して、部下は初めて動けるようになる。
色々言われてきた東海テレビだが、組織としての体裁が整っているように感じた。
社員を撮ることは、これほどまでに難しい。
何が正解かは分からないが、特定の社員を悪者にせず、かつ外部の社員を悪く撮らず、可能な限りテレビの実態に迫ったことは本当に神業以外の何ものでもない。
まとめ
テレビの闇を、テレビ社員自らが暴こうとした意欲作。
加えて、ドキュメンタリーの弱みをテレビの弱みと結びつけ、総じて作り手たちの弱みを全面に出した作品である。
今のテレビに必要なものは何なのか、今もなお我々がテレビに惹きつけられる理由は何なのか、その答えが、この映画にはある。
今作は良いドキュメンタリー作品だと信じて疑わない。しかし、この作品の全てがドキュメンタリー(実際のままを記録)に満ち溢れてるとは思えない。
ただ、ドキュメンタリーの不完全性を正直に打ち明けてくれたことを嬉しく感じる。これほど誠実なドキュメンタリー作家が、これまでいただろうか。
テレビの見方だけでなく、ドキュメンタリーの見方も大きく変わる傑作である。
90点 / 100点