- はじめに
- あらすじ
- 映画の感想
- 家族のつながり、人と人との巡り会いを描く、全てのクオリティが高いヒューマンドラマ
- 細かい描写に映画的演出が光る
- 食事シーンの卓越した見事さ
- コメディ描写が素晴らしい
- 山崎努さんの演技に脱帽せざるをえない
- 家族を描く日本人監督に、ハズレなし
はじめに
今回批評する映画はこちら!
「長いお別れ」
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日本映画界を沸かせた映画としては「カメラを止めるな!」が記憶に新しいですね。
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ただ、こちらの映画は既に映画ファンの中では話題沸騰だった映画でして、一般公開された時には「どうせ面白いんだろうなぁ」という目線で行ったんですよね。
しかし、「湯を沸かすほどの熱い愛」は全くもってノーマーク。どうせモタモタしたヒューマンドラマ邦画なんでしょうよ。ってなめてた俺を許してください。
親子の熱い愛をお風呂に絡めた、本当に熱い映画でしたね。まだラストシーンが目に焼き付いてますよ。。
日本映画界の新星であり、今後の活躍が非常に期待される監督の新作!映画ファンならずとも、ぜひ見に行って欲しい映画でございます。
それでは「長いお別れ」、感想・解説、ネタバレありでいってみよー!!!!
あらすじ
・初の商業映画監督作「湯を沸かすほどの熱い愛」が日本アカデミー賞ほか多数の映画賞を受賞するなど高い評価を獲得した中野量太監督が、認知症を患う父親とその家族の姿を描いた中島京子の小説「長いお別れ」を映画化。これまでオリジナル脚本作品を手がけてきた中野監督にとっては、初の原作ものとなった。父・昇平の70歳の誕生日で久しぶりに集まった娘たちは、厳格な父が認知症になったという事実を告げられる。日に日に記憶を失い、父でも夫でもなくなっていく昇平の様子に戸惑いながらも、そんな昇平と向き合うことで、おのおのが自分自身を見つめなおしていく。そんな中、家族の誰もが忘れていた思い出が、昇平の中で息づいていることがわかり……。一家の次女・芙美役を蒼井優、長女・麻里役を竹内結子、母・曜子役を松原智恵子が務め、認知症を患う父・昇平を山崎努が演じた。
映画の感想
監督の作家性がよく伝わる、本当に「映画的演出」の上手い監督だと再認識!!!
家族のつながり、人と人との巡り会いを描く、全てのクオリティが高いヒューマンドラマ
中野量太監督最新作ということで期待値が爆上がりで見に行ったわけですが、期待をはるかに上回る本当に素晴らしいヒューマンドラマ映画でございました。
老老介護という現代日本の社会問題、少子化で介護の余裕がない子供たち、認知症との向き合い方、などなど、とても他人事とは思えないテーマに、思わず自分の家庭環境を重ねてしまいました。
山崎努さん演じる認知症の父を中心に、家族及びその周辺の人々とのつながりを描く物語でした。
決してセリフで大事なことを伝えず、一瞬映る映像や音楽にメッセージを込める、という映画的な演出のオンパレードでもあり、こういう映画を見るために俺は映画館に言ってるんだ、と映画館へ行くことの原点的面白さを再起させてくれる作品でもありました。
とにかく、今作について感想を述べようとするとアレコレ話が分散してしまって、如何にもこうにもいかないw まずは総論的な話をしようと思っても、細かい描写に枝分かれしてしまう。。 全く、困った映画だなぁ(褒めてます)
頑張って総論的な話をすると、今作は単なるヒューマンドラマに留まらない映画的面白さ、表現の豊かさに溢れているということです。
あまり作りこんだ照明を使わずに、役者の演技も非常にナチュラル。極力自然光で撮っている作りに、思わず知り合いの家族の話を覗き見してるような、そんな親近感さえ湧きました。
ユーモアを交えながら、食事シーンを多く盛り込みながら各キャラクターを端的かつ丁寧かつ即時に描いていくことは、他の映画にはなかなか真似できないことです。物語の面白さはもちろんのこと、普段映画を見ている人間としては映画的演出にあまりにもありふれすぎて、それだけでもう涙が出ちゃいます。
普段映画見ないし映画的演出ってなんだか分からないって人も、山崎努さんの名演技に感動したり、素朴な役者の演技に心を奪われた人も多いのではないでしょうか。もちろん、僕もその中の一人です。
僕の両親は幸いにも認知症ではないですが、いつどんな大病を背負うか、分かりませんよね、これだけは。
山崎努さんは最初から認知症を患い、とても一人では生活できそうにないのです。しかし、最初は快活に生活しているが年が経つほどに体が弱り、網膜剥離により失明の危険に脅かされる松原智恵子さん。
これは他人事とは思えませんでした。いや、年をとればちょっとしたことでも大病になるってことは分かってるんですけど、2年ごとに年代を変えてだんだんと身体の変化を表すことで、自分の親の変化について考えてしまいました。
僕の親はまだ大病にはなってないんですけど、明らかに10年前と比べて体が弱ってるんですよ。でも、現実世界で10年過ごしても、時の流れがゆっくり過ぎて親の変化には気づきにくい。
今作は家族の10年間を2時間の映画に凝縮することによって、家族の変化を気づきやすくしてくれました。
そして、しみじみ「親が元気な時に、実家に帰るべきなんだなぁ」と感じました。 私は上京して実家に親を置いている状態ですが、俺はいつ実家に帰るべきなのか、と考えてしまいました。私の親も松原智恵子さんのように強がりで、自分が大変でも「帰ってこんでもええよ」と言ってくれる人です。でも、確実に体は弱ってるんですよね。
今やラインやスカイプで簡単に繋がれる時代。でも、それだけじゃ分からないこともたくさんある。実際に家族同士が同じ空間・時間を共有することで改めて気づくことがある、と強く感じました。
どうしてもこの映画、自分の家族と重ねてしまいます。僕をこんな気持ちにさせるのは、良いヒューマンドラマ映画の証拠だと思います。
はい、自分語りはこれくらいにして、あとは細々としたポイントを書き連ねていきたいと思います。
細かい描写に映画的演出が光る
テロップも、極力映画的な配慮を
今作は極力セリフや文字による説明を排除してるんですが、どうしても現代社会だとSNSやメールによる説明を入れなければ、逆に不自然というもの。
しかしながら、今作ではLINE的な画面をモロに見せたり、ネット画面をそのまま見せたりすることはしません。極力、直接的な文字説明をしないように気をつけています。
例えば、蒼井優が芝生で携帯を見てる時、本文が画面に流れると思うんですけども。。
色がすごく薄く、芝生の色とマッチしてるんですよね。
しかも、芝生の草よりも文字を背面に設置することで、あたかも文字が芝生に溶け込んでるように配慮している。。
これには脱帽でした。
ネット描写をどう映画に盛り込むのかは、監督の工夫が光るところでもあります。ネット描写・文字による説明が上手い監督は、名監督ですよ。
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単なるヒューマンドラマにあらず!ロードムービー的要素を入れて画を動かす工夫
中野量太監督の作家性とも言えるんですけど、基本的にはヒューマンドラマを描きながらも、画が退屈にならないんですよね。どうしてもヒューマンドラマって役者のどアップが写って、同じような場面ばかり描いて、静止画になってることが多いんですよ。
これがヒューマンドラマを退屈にさせる要因にもなってるわけですけども。
でも、前作「湯を沸かす・・」でも明らかな通り、中野監督はロードムービー的要素を必ず入れるんですよね。
今作では、山崎努に「家を探す旅」をさせますよね。これで、単に家と病院だけの行き気にならずに済むわけです。
退屈にさせない作りが、本当に上手いんですよねぇ。
子役の演技にまず仰天する
演出が上手い監督の特徴として、「子役の演技が上手い」ってのが挙げられると思います。ベテランの俳優であれば、演出が下手でも自分の素の力でどうにか映画を映画として成立させるんですよね。
でも、子供はそうはいかない。監督が演出プランを用意しなければ、子供はどうしようもないなです。今作は冒頭にて、小さい姉妹と山崎努が出会うシーンがあって、そこで子役の演技が見れるのですが・・・
本当にナチュラルなんですよ。年齢のせいでメリーゴーランドに乗れない。でも妹のためにどうにか乗ろうと画策する姉の演技が素晴らしくて。。そして多分、妹はリアルに「3歳児」なんだろうなぁwww と思わせるような演技っぷりでございました。
すぐに監督の力量がわかりますよね。
「アレ」の使い方で演技のナチュラルさが増す
今作で目立ったのは「アレ」という発言を多く役者が発してること。これ、単にセリフが思いつかないのではなく、意図的な演出でしょうね。
普段映画って「えーと」とか「アレ」など、説明に関係にないセリフは排除されるんですよ。とてもスムースに話を展開していこうとするんですけども、でもそれじゃあ不自然ですよね。実際は言葉に詰まるし、思い浮かばないこともある。
今作は「アレ」を効果的に使うことで、演技にナチュラルさとリアルさを持たせられたと思います。こういう細かい演出が、本当に上手いんだよなぁ。。。
ちなみに「アレ」を多用する監督は、是枝裕和さんが有名ですよねぇ。。てか目立ちますよねぇ。。
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食事シーンの卓越した見事さ
食卓のシーンが非常に多い
今回気になったのは、食事のシーンが非常に多いこと。役者がとにかく、何か食べたり何か作ったりしている。これ、撮影大変だったでしょうねぇ。。
あまりカットを割らずに食べてるシーンを映すんですよね。普通の映画だったら口に含んだ時点でカットを割って、別のカットを入れるんですけど、今作では食べてるシーンは基本的にノーカットなんです。
本当にご飯食べてるよ。。 リテイクしたらもう一回食べるだろうし、さぞかしお腹が膨らむロケだったろうなぁと思います。
何が言いたいかって、食べるシーンを入れるってのは本当に大変だってことです。どんな食事を作るか、食べるかでキャラクターがどんな人間か描ける反面、自由度が高い表現になるんですよね。だからよほどキャラ造形が固まってないと、描けないシーンでもあるんです。
だから大概の映画って食事シーンを少なくするんですよね。リアルに、ご飯をばくばく食べてると俳優から反感くらいそうだしな。
今作は食事シーンのおかげで、食べ物でキャラクターを伝えることに成功していました。
なぜ玉子料理ばかり出てくるのか?
食事シーンが多い中で、目立ったのは卵料理。
松原智恵子さんが最初料理してたのは、確か出し巻き卵だったような。。
そして蒼井優は洋食屋でオムライスを作り高評価を受ける。
姉の竹内結子はアメリカで出し巻き玉子を作り、焦がしてしまう。
やたらと卵が多いんですよ。
他にも芋とかもたくさん出てくるんですけど、私が気になったのは玉子。
玉子料理を母と娘が作ることで、親と子のつながりを描いているように思えました。
ただ、親子丼は作ってないんですけどねw
なぜ最後に三角帽をかぶらせたのか?
これはネタバレありの記事なので書いてしまいますが、山崎努さんの最期に、家族は誕生日にも使ったパーティグッズの三角帽を被せます。
なぜこんな場面で三角帽を被せるのか?しかもスッゲェ派手ww
違和感半端ないんですけど、これについて思い当たったことがあります。
中野監督といえば、映画の主要人物の死に対して、あっと驚く感動的なやり方で、弔ってあげますよね。「湯を沸かすほどの熱い愛」でも、最期に先頭から煙が立つシーンは本当に鳥肌ものですよね。
だから、今回の山崎努さんがお亡くなりになって弔うシーンも、さぞかし映画的に素晴らしいシーンを用意してあるんだろうな、と思っていたわけです。
そういう観点でこの三角帽を見ていると、どうしても形状的に死装束として三角巾を被せていることのメタファーのように思えてきて。
ただ、中野監督としては死に対して決して悲しげに写したくない。あくまでほっこりとする形で最期を送ってあげたい。と思ったのでしょう。
最期の最期でも誕生日で使ったパーティグッズを弔いのシーンでも使ってあげることで、誕生日=生とは対照的な弔い=死を強調させてくれたシーンでもあると思いました。
これはある意味、対位法とも言えるかもしれません。対位法とは、悲しいシーンであえて楽しい音楽を流したり、楽しいシーンであえて悲しい音楽を流したりする手法です。
コメディ描写が素晴らしい
ユーモアあふれるシーンで、キャラを描く
映画の随所にクスッと笑えるシーンが散りばめられてるんですよね。
冒頭で、メリーゴーランドに乗る資格があるか確かめるために、店員が妹に年齢を聞くと、嘘をつけない妹は「3」と指を立てる。。 もちろん3歳ではメリーゴーランドに乗れない。可哀想・・だけど可愛いしほっこりするし、お茶目な妹ちゃんに爆笑しちゃうんですよね。
あと、東家の姉妹がカフェで昔話をしている時に、親が子供に宿題をさせるために、姉には危機感を煽っておいて、妹には50円を上げていっという姉妹格差にも笑わせてもらいましたww
ジョジョ立ちする山崎努さんwww
今作は認知症という設定を活かして、思わず笑ってしまう仕草が満載でしたね。これもかなり意図的かと。
山崎努さんの演技に脱帽せざるをえない
今回の山崎努さん、本当にびっくりしました。どう考えても、認知症の人にしか見えない。すでにお年を召していることもあって、口元のしわとか、おぼつかない感じとか、セリフとか、もう全てが名演技。
次第に悪化していく認知症を、見事に使い分けていたと思います。
家族を描く日本人監督に、ハズレなし
今作のライティング、ナチュラルな演技を見て真っ先に思いついたのは、吉田啓介監督の「さんかく」
三角帽のデザインを見て、なんとなくインスピレーションを感じました。
吉田啓介監督も、絶えず家族を描く監督です。ただ、吉田監督の場合は「家族という地獄」というか、家族という近すぎる人間関係が引き起こす恐ろしさと儚さを描く人だと思っています。
また、3人の女性が家族として生きていこうとする描写、「アレ」を多用する演出に、どうしても是枝裕和さんの影を追ってしまう自分がいました。
はい、長くなりましたが以上です!!!
やっぱり中野監督、最高です!!!