こんにちは!
Machinakaです!!
この記事では、「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のネタバレあり感想解説記事を書いています。
目次
まえがき
今回批評する映画はこちら
「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
公開おめでとうございます!!!
公開前にも関わらず映画.comに応援コメントが来る、本当に本当にファンから愛されている作品でございます。
「ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝」の本編終了後には、今作について「鋭意制作中!」とだけ書かれており、京アニの並々ならぬ制作への熱意が伝わってきたのを、今でも覚えています。
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もう一度言わせてください。
本当に公開おめでとうございます!!!
今作のヴァイオレット・エヴァーガーデンは、絶対に映画館で見るべき作品であることは間違いありません。
予告のヴィジュアルを観ても分かる通り、これほど繊細かつ緻密かつ美麗に描かれる手描きアニメ作品もありません。
外伝を批評する時に使った言葉ですが、キャラデザ的解像度が異様に高いんですよ、この作品!
瞳や髪の毛、スカートや傘一本でさえも、非常に労力の掛かった作画になっているんです。
こんな解像度の高いキャラデザを堪能するためにも、スマホや自宅のテレビなんかで観てはいけないのです。映画館のスクリーンで観ないと、もったいないのです!!!
それでは「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・2018年にテレビ放送された京都アニメーションによる人気アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の完全新作劇場版。戦時中に兵士として育てられ、愛を知らずにいた少女ヴァイオレット・エヴァーガーデンが、「自動手記人形」と呼ばれる手紙の代筆業を通じて、さまざまな愛のかたちを知っていく姿を描く。人々に深い傷を残した戦争が終結して数年、世界は少しずつ平穏を取り戻していた。新しい技術の開発によって生活も変わり、人々は前を向いて歩み始めた。ヴァイオレットも大切な人への思いを抱え、その人がいない世界を生きていこうとしいてた。しかし、そんなある日、一通の手紙が届く。監督は、テレビシリーズに引き続き石立太一が務めた。
eiga.com
「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のネタバレありの感想と解説(短評)
世界を愛でつつみこむ。京都アニメーションが贈る純愛ロマンス!
はい、楽しみにしていたヴァイオレット・エヴァーガーデンの完全新作ということで、初日に鑑賞してきましたよ!
泣けましたよ!!泣きじゃくったよ!!!
レイトショーで鑑賞したのですが、座席の半分しか予約できないこともあってか、ほぼ満席での鑑賞。
上映中、鼻をすすったり涙を拭いたり、感動をこらえきれない観客が多数いたのは、本当にいい思い出です。もちろん私も、涙を禁じえませんでした。
世の中いろんなアニメがありますが、ここまで純度の高いロマンスを描いた作品も珍しいと思います。というか、世界初と言って良いかもしれません。
後で詳細に書きますが、抑えられた演技・演出と驚異的な作画力によって実写と見間違うほどのクオリティで、とてもじゃないけど他人事のようには見えませんでした。
どこかの世界にヴァイオレットとギルベルトがいて、会いたいけど会えずにすれ違ってしまう様子は、、なんてリアルなんでしょう。
ご都合主義的にヴァイオレットとギルベルトが再開するわけでもなく、あくまで「手紙」を使ってギルベルトの気持ちを思い起こさせるやり方は、さすが代筆業のヴァイオレットですよ!
こんなラストを待ってたんですよ、俺達は!!!
「なくしたもの」を愛と手紙で補う
また、今作はヴァイオレットだけでなく、ユリス、バイオレットとギルベルトが結ばれた時代よりも何十年後の世界で生きる少女の三人が「なくしたもの」を追い求める話でもあります。
ラストは大ロマンス展開にキュンキュンしますが、基本的には「なくしたもの」を探す物語で、どこか寂しさと侘しさがただよう作品になっているんですよね。
ヴァイオレットは「恋人」、ユリスは「健康な体」、そして現代に生きる少女は「記憶」。どれも人間を語る上で必要ななにかが足りないんです。
さらに、「なくしたもの」というキーワードで、京都アニメーションが制作したアニメを観ることは、やはりあの事件のことを思い出さずにはいられません。
ポスターに書かれていますが、「愛する人へ贈る、最後の手紙」という言葉が、ここまで重く、そして重要になってくる映画もありません。
また、公式HPで
「かつて自分に愛を教え、与えようとしてくれた、大切な人。」
「会いたくても会えない。永遠に。」
「手を離してしまった、大切な大切な人。」
という言葉は、京都アニメーションのことを考えると、それだけで涙が止まりません。
個人的な意見ですが、今作で主人公が「なくしたもの」を抱えて生きている様子は、京都アニメーションのスタッフ及び今作に関わってきた全ての人を投影しているように感じました。
少なくとも私は、そういう視点で見ていました。
ギルベルトに会いに行くシーンで、ヴァイオレットが火で包まれているシーンが映ると、もうあの事件のことが頭をよぎって仕方ない。
あの事件と無理に結びつけるのは悪い見方だと思います。分かってはいますが、この絵を京アニのスタッフはどう描いたんだろうとか、ユリスが病院で逝去するシーンはどういう想いで作っていたんだろうとか、作り手の気持ちが映像にまで伝わってくる、そんな印象を受けたのです。
ヴァイオレットの代筆業は、何かを言いたくても言えない大切な人に向けて、手紙という形でメッセージを届けること。会いたくても遠くにいて会えない人に、手紙を届けること。
あの事件を予期できた人なんていませんし、大切な人に言いたいことを言えないまま、遠く離れてしまった人が多いでしょう。
現実では上手く伝えられないままで終わってしまったけども、アニメのキャラクターを通して大切な人にメッセージを贈るなんて、なんて素敵なことなのでしょう。。
日本アニメならではのやり方で目指した「フォトリアル」
アニメの中で一番大事なのは、いかにアニメに命を吹き込むか、だと考えています。
もともとアニメーションは、ラテン語のアニマ=生命や魂、が語源です。
アニメに命を吹き込むために現代のアニメーションは、CG技術の飛躍的な向上もあって、「フォトリアル」を追求する傾向にあると考えます。
現実世界に近い材質、造形、光の反射(専門用語でPBRと言います)など、いかに現実の物理現象を反映するかが、世界のアニメーションの潮流です。
今作においても、水や海に関する表現についてはCGによる自動計算で、現実に近い表現をしていたと思います。
しかし、キャラクター周りに関しては一貫して手書きの作画による、いわゆる日本アニメらしい表現にこだわっているんですよね。
日本のアニメならではのやり方で、「フォトリアル」な映像を追求したのは、言うまでもありません。
例えばキャラクターに光があたった時の表現は、CGを使えばより現実に近い光の反射がシミューレーションできます。しかし今作はヴァイオレットの手の描き方を代表として、精細ながらも決して現実的な光の反射ではないんです。
まとめると、今作は一般的な手描きアニメ以上、CGによるフォトリアル映像未満の、その中間に位置する作画表現なんですよね。
しかし不思議なのは、今作はフルCGよりも明らかに現実味を帯び、ヴァイオレットとギルベルトが実在するような感じがするんですよね。本当に、何度現実だと勘違いしたことか。。
これまでも、日本アニメの作画をもってフォトリアルな映像に挑戦してきた作品は多くあります。例えば「エヴァンゲリオン」は肉体損壊描写が非常に多い作品ですが、これはキャラクターにより現実味を与えるための工夫に他ならないんですよ。
最近だと「メイドインアビス」が挙げられますが、肉体損壊描写を通して「これは本当の人間なんだ・・血の通ってる人なんだ・・」と思わせる事ができるんですよね。
ディズニーにもピクサーにもワーナーにも決してできない、日本ならではのアプローチでフォトリアルを目指した点は本当に素晴らしいと思います。
色めがね映画評論:「リボンと留め具の配色が示す、彼女の想い」
今作の色彩設計についても触れておかねばいけませんね。
主人公のヴァイオレットの付けている赤いリボン。
アニメでは主人公格のキャラクターは赤を身に着けていることが非常に多いです。
例えば宮崎アニメでは必ずといっていいほど、原色に近い赤色が意図的に使われており、我々の視線は赤に集まる→主人公の動きに注目できる色彩設計がなされているんですよね。
今作も赤いリボンを付けることで、ヴァイオレットに自然と視線が集中してしまうのですが、ヴァイオレットのリボンの色は他のアニメと違って黒みが多く、とても落ち着いた色となっています。
色を詳細に調べてみると、ヴァイオレットのリボンの色は赤の中でも彩度・明度ともに高くなく、主人公が身につける赤色としては異質とも言える配色である事がわかります。
また、この落ち着いた配色はヴァイオレットの冷静沈着な性格さえも漂わせているような、そんな印象があります。
ちなみにこの赤色は、手紙の留め具ととても近い配色をしています。ただ、手紙の留め具の方がわずかに彩度は高いと思いますが、色相は同じです。
ヴァイオレットが髪を留めるためのリボン・手紙を留めるためのボタンで色が同じということはなにか共通点があるのではないか、と感じます。
私の意見としては、自信の身につけているリボンと同じ、落ち着いた赤で手紙を留める→ヴァイオレットの一部が手紙を包み留めている→ヴァイオレットの想いが手紙に込められていることへのメタファーにもなっていると思います。
瞳を映す描写が、本当に多かったと思います。普通のアニメならキャラクターの上半身を描くことは多いですが、今作は瞳を中心に超クローズアップで撮影しているカットが多かったです。
過去作「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」においても、今作の瞳の美しさ(精細さ)については触れてきました。実写じゃあるまいし、よほどの細かさがないと瞳をアップに出来ません。
涙の流し方が、実にリアルで、、、。涙の流し方を観るだけでこっちも涙がでるというね笑 詳しく説明しますと、普通のアニメだと涙を流すシーンも誇張されて描かれることが多いです。
例えば、水が入っているコップを地面に落としたような、普通だと考えられないくらいの量の涙を流すシーンを、これまで深夜アニメで何度観てきたことでしょうか。。
私なりの言い方をすれば、アニメにおける「1リットルの涙」シーンなのです笑
が、今作の涙は、現実で人が泣いているような量で、決して誇張することなく涙を描くんですよね。瞳の精細さも相まって、まるで現実世界で人が 泣いているような感覚を覚えるんですよね。
京アニを信じているからこそ出来た、奇跡的な演出の数々
まず今作で目をみはるのは、非常にナチュラルな演出で映画が進行していくこと。
涙の流し方だったり、あえて間を大きく開ける時間の使い方だったり、キャラクターの声のトーンだったり、、。
これまで観てきたどんなアニメよりも、実写で俳優が演技しているような、非常にリアルな演出が目立ちました。
ヴァイオレットが泣くシーンだったり、笑うシーンだったり、決して大げさに振る舞うこと無く淡々と進んでいく様子は、圧巻の一言です。
特に、ヴァイオレットがギルベルトと再会した時に思わず言葉が詰まり言い淀むシーンなんかは、実写ならではの生々しさのような、リアルさを感じました。このシーンでヴァイオレットは感涙のあまり顔を震わすんですよね。こうした緻密な描写をアニメで表現されると、、それだけで涙が止まりません。
あと、今作は非常に滑らかにキャラクターが動くのも特徴的で。映画だと1秒間に24コマ分の絵が必要なんですが、普通のアニメなら1秒あたり8枚など12枚など、省力化によって日本アニメは成り立ってきたんですよね。
しかし、今作では非常に滑らかな絵の動き方で、こうした贅沢なコマの使い方も今作が現実味を帯びた大きな理由だと思います。
普通ならもっと滑舌良く、強烈に刺さるフレーズをドヤッとばかりに言い放つようなアニメを多く見てきたものですから、ここまで抑えられた生々しい演技を見たのは初めてでした。
また、街を歩いている人の服装や髪型、歩き方でさえもそれぞれ違っているように見えて、日本アニメ的な背景の中にエキストラの人が写っているような、とてもじゃないけど非現実的な世界には見えなかったんですよね。
今から100年以上も前の世界でしょうけど、当時はああやって生活していたんだろうなぁと想像ができるんですよね。
なぜこうも現実に近い演出が出来たのでしょうか。
これもひとえに、京都アニメーションの実力を信じているからこそ出来た英断に違いありません。
まとめ
140分という上映時間にも関わらず、体感時間はあっという間。
京アニを知っている人もそうでない人も、なにかを失った人が元気になれる、そんな素晴らしい映画です。
愛の力をまじまじと感じる作品でした。。
すいません、きょうはここまでで。
92点 / 100点
以上です! ご覧いただきありがとうございました!