- まえがき
- あらすじ
- 「ヤクザと家族 The Family」のネタバレありの感想と解説(短評)
- エンタメ要素全開で面白れぇぇ!!!...と思ったら
- 後編はヤクザを通して描く、人間の尊厳の物語
- 白野剛、黒野豪、そして灰野剛
- 綾野剛の演技に目を見張る
- まとめ
まえがき
今回批評する映画はこちら
「ヤクザと家族 The Family」
はい、約2週間ぶりの映画記事作成で、ただ1週間が空いただけなのに非常に懐かしい感じがします。もはや病気ですかね。。
久しぶりの劇場新作が藤井道人監督作ということで、期待度は非常に高まっております。
「ヤクザと〇〇」というタイトルで真っ先に思い出すのは、東海テレビ制作の「ヤクザと憲法」。
現代の暴対法によって、通帳を作れなかったり、子供は保育園にも入なかったり、極限まで活動を制限されたヤクザの今を切り取った作品。今作も暴対法の元で制限されたヤクザが描かれるということで、非常に楽しみな作品でございます。だってこういうの、テレビじゃできないでしょ?(東海テレビさんは規格外ということで)
監督がこれまで描いてきた、①白か黒かでは決められないグレーゾーンにいる者たちの物語、②正義と悪の逆転的構造といった作家性が、今回も炸裂するのでしょうか。
www.machinaka-movie-review.com
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それでは「ヤクザと家族 The Family」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。
あらすじ
・「新聞記者」が日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝いた藤井道人監督が、時代の中で排除されていくヤクザたちの姿を3つの時代の価値観で描いていくオリジナル作品。これが初共演となる綾野剛と舘ひろしが、父子の契りを結んだヤクザ役を演じた。1999 年、父親を覚せい剤で失った山本賢治は、柴咲組組長・柴崎博の危機を救う。その日暮らしの生活を送り、自暴自棄になっていた山本に柴崎は手を差し伸べ、2人は父子の契りを結ぶ。2005 年、短気ながら一本気な性格の山本は、ヤクザの世界で男を上げ、さまざまな出会いと別れの中で、自分の「家族」「ファミリー」を守るためにある決断をする。2019年、14年の出所を終えた山本が直面したのは、暴対法の影響でかつての隆盛の影もなくなった柴咲組の姿だった。
「ヤクザと家族 The Family」のネタバレありの感想と解説(短評)
「#ヤクザと家族 」鑑賞!
— Blog_Machinaka🐻@映画ブロガー、ライター (@Blog_Machinaka) 2021年1月30日
「虎狼の血」や「アウトレイジ」とは異なる、仁義を貫いた現代ヤクザ映画。
藤井監督らしいリアリズム溢れるヤクザの今昔を通して、法に蝕まれる社会的弱者を描く。
ヤクザに人権はあるのか?
シロかクロかじゃない、グレーな現実を、その目に焼き付けろ。
暫定今年ベスト! pic.twitter.com/lBwoPYYj18
エンタメ要素全開で面白れぇぇ!!!...と思ったら
まず言わせてください。
面白かった。本当に面白かったです。
藤井監督のこれまでの作品の中でもかなりエンタメ寄りで、誰もが純粋に楽しめる内容だったのではないでしょうか。今作は大きく分けて前編(1999年)、中編(2005年)、後編(2019年)の3時代を描いているんですが、前編・中編はエンタメに満ち溢れていました。
前編ではどうしようもないチンピラだった綾野剛が、ヤクザの舘ひろしに命を拾ってもらい、忠誠を誓うところで前編終了。
そして前編と中編を繋ぐ部分でオープニングが登場し、タイトルのみならず監督や主要スタッフ・キャストのクレジットが出てくるんですけど、あのタイミング・BGM、本当に最高ですよね!!! 昭和の映画ではああいったクレジットが毎回登場してましたが、それを意識したんでしょうかね。
そして中編では綾野剛がヤクザとしての人生を全うする物語で、彼の中の正義=仁義を貫いた内容でございました。
もちろん、見ていて面白くないはずがありません。親分を守るために必死になって敵のヤクザを成敗する様子に興奮すること間違いなし。必然的にアクションも増えるし、ゴア描写も素晴らしい。
尾野真千子との面白おかしい恋愛要素もあり、エンタメ要素を詰め込むだけ詰め込んだ内容で合ったと思います。
コメディあり、バイオレンスありの非常に景気の良い作りで、同じく綾野剛主演の「日本で一番悪い奴ら」を思い出しましたね。
「アウトレイジ」や「孤老の血」など、昔東映でやっていた仁義なきヤクザ映画を現代に蘇らせた作品はあるんですが、仁義を貫いたヤクザを主人公にした作品はかなり珍しいです。
仁義のない主人公の場合、共感するのがかなり珍しい。「こんな破天荒なヤツがいるのか」と驚くだけに留まってしまうのですが、今回の綾野剛には共感する点が多い。ヤクザを描いてはいるんですが、あくまで彼の中ではヤクザは「家族」、舘ひろしは「親父」として捉えているので、家族を守る話でもあるんですよね。
はい、以上が前編・中編のざっくりした感想でございます。
そして後編の2019年では、前編・中編であったエンタメ性が薄れて、まるで「新聞記者」のような陰鬱な展開になっていく印象でした。
ざっくり言うと、前編・中編に比べて①アクション要素が少ない、②綾野剛がただただ打ちのめされていてカタルシスがない、③物語のゴールが見えてこない、など映画的に見るとどうしても盛り下がる展開になっているのです。
そのため、正直言ってしまえば後編のシーンはかなり長く感じ、ちょっと間延びした印象さえ覚えるほどでございました。
が、よくよく考えれば、後編こそ監督が描きたい、伝えたい内容だったはずです。前編・中編のあれが良かった、面白かったという話も色々言いたいですが、まずは後編の解釈について語りたいと思います。
後編はヤクザを通して描く、人間の尊厳の物語
中編のラストで、綾野剛は宿敵である川山をクラブで殺し、彼なりの正義=仁義を通す。ここは誰がどう見てもカタルシスを感じる、この映画の中でも一番盛り上がるシーンだったのではないでしょうか。
この殺人事件が世間でも公になってしまい、綾野剛は捕まり、14年の刑期を努めます。14年後になると暴対法の強化や条例の増加、世間の目線や対応などヤクザを取り巻く環境の全てが変化していました。
出所した綾野剛は、ヤクザとしての今までの生活を送ることが出来ず、社会の荒波にさらされることに。
どのような仕打ちを受けるのかは物語の核心を突いてしまうので言えません。ぜひ映画館で確かめてくださいね。
さて、話題は後編のテーマに映りますが、個人的には、人間の尊厳を問う物語であったように感じます。
ヤクザが街を牛耳り、夜の街で堂々とシノギを稼ぐ時代は終わりました。ヤクザに対する徹底的な締め付けで、社会の害悪として駆逐されていく様子が描かれていきます。
一般的に考えれば、ヤクザを徹底的に規制して街から締め出す、社会から除外していくのは良い事のように思えます。
しかし、これまで前編・中編を見てきている我々にとっては、ヤクザの規制強化が綾野剛を苦しめていく。ヤクザに人権なんてない=綾野剛に人権なんてない、と思わされる展開となっていきます。社会全体に対するヤクザの規制を、綾野剛というヒューマンスケールで描くからこそ、ヤクザ映画であるにも関わらず「人権」という言葉がしっくりくんですよね。
社会通念上は「正義」として思われる行為が、この映画の中では「悪」のように感じてしまう。
冒頭にお伝えしましたが、この「正義」と「悪」の逆転構造こそが、藤井監督の持ち味ですよね。
映画を見る前までは「正義」だと思っていたモノが、逆転したようにまで感じてしまう。
藤井監督は、我々観客の価値観の揺らぎを生じさせることが本当に上手い。
念のために補足しておきますが、藤井監督はヤクザ自体を肯定している訳ではないように思います。ただ、ヤクザを一方的に悪だと決めつけ、白か黒かの二元論で考えてしまうこと警鐘を鳴らしているんだと思います。
※余談ですが、時代の変遷と共にヤクザが社会から粛清されていく様子は、「仁義なき戦い完結編(1974)」でも描かれていましたね。ずっと昔からヤクザの規制強化はあったんだよなぁ。
白野剛、黒野豪、そして灰野剛
後編の展開によって、世の中は白黒ハッキリ付けられないモノばかり。特に人間を白か黒かでバッサリ切ってしまうことが、どれだけ恐ろしいことなのかを教えられました。
そう、物事は白か黒かではなく、グレーという第3の視点で見ることが大事だと思うのです。
この白・黒・グレーの関係を、監督は非常に大切にしていると感じます。
藤井監督のメッセージは作品の美術や配色にも通底しているのです。
■前編:綾野剛は白野剛
まず前編(1999年)。チンピラとして街を闊歩していた綾野剛はいつも白のダウンジャケットと白のズボン。髪は光の当たり具合によっては白に見えるような、色素の薄い金髪という格好です。
この分かりやすくコンセプチュアルなビジュアルは、明らかに綾野剛を「白」と見立てているようです。
この映画における「白」は、純粋無垢で何色にも染まってないということを意味しています。ヤクザと接することもなく、ただただ自分のために生きている純粋なる野獣でしたね。また、カタギであることも白で表現しているように感じます(ヤクザで白服を着ている人はいなかったはず)
ただ前編のラストで加藤と川山にリンチされてしまい、白のダウンが血で赤に染まってしまう。白を下地にしているからこそ赤が生えて、出来事の凄惨さがよく伝わってきます。
ただ、血って酸化すると赤黒く変色していくんですよね。先に言ってしまいますが、中編では綾野剛の服装は「白」から「黒」に変色していきます。つまり、前編と中編の繋ぎを「血の色」で表現していたのではないかと思うのです。
※余談ですが、全身白の服装でのバイオレンス映画といえば、「狂気の桜」を思い出します。実は大好きな作品です。
■中編:綾野剛は黒野剛
中編になると、綾野剛は黒い服ばかり着るようになります。これは分かりやすく、悪の道に染まるという意味があるでしょうね。ヤクザとして悪の道を突っ走る綾野剛が、よく描かれていたと思います。
■後編:綾野剛は灰野剛
刑務所から出所した綾野剛が身に付けているものは、中編では見かけなかった灰色のスーツ。この服装からも分かる通り、後編は白・黒ハッキリしない展開になることを暗喩していると思われます。
綾野剛がどうあがいても、ヤクザは社会に粛清されていく。後編で彼が目指すのはヤクザとしての人生でなく、家族と暮らし堅気の仕事をするという、普通の生活。
親父の計らいでヤクザを辞められるのですが、社会はいまだに綾野剛をヤクザ扱いする。彼はカタギ(白)とヤクザ(黒)のはざまで苦しみますが、この白と黒の間を表現するために、灰色の服を着させたのではないかと思います。
また灰色は、藤井監督が考える現実世界の色を表象しています。世の中は白か黒かでは決められない、常にグレーだという考えです。
以上、前編・中編・後編の中でそれぞれ白・黒・灰色の配色設計が徹底されていたことを説明しました。
映画を見ている時によく色を確認してしまうのですが、冒頭の綾野剛の全身白ファッションから、これは何かあるなと思ってしまいました笑
ただ何となくではなく、物語のテーマやキャラクターの心理描写のために色彩設計できていることに、ただただ感動しかありません。
同じく藤井監督の「デイアンドナイト」でも、この白・黒・灰色の配色が非常に目立つので、興味あればご覧になってください。
また余談ですが、工場の煙突から白い煙が出るシーンが多くありましたよね。
実はこれも、今作の配色=テーマを象徴しているものになっています。
煙は光の当たり方や燃やすものによって、白にも黒にも、そして灰色にも見えますからね。
そういえば「デイアンドナイト」では巨大な風力発電所が何回かインサートされており、今回の巨大な煙突と共通点のようなものを感じました。こういう描写、好きだよなぁ監督。
綾野剛の演技に目を見張る
全員の役者が素晴らしいのですが、良さが目立ったのは綾野剛でしたね。
クラブで川山に挑発されてキレるシーンでは、声や体全体で怒りを表現するのではなく、左頬だけをピクピクさせてあとは無言という、心底怒ってる様子が感じられましたw
あとは車中で銃撃から親父を守るシーン。犯人を追いかけるために車を飛び出し道路を歩いていく、そして振り返り車内を見ると、舎弟が死んでいることに気づく。そして、徐々に涙を流しながら舎弟に駆け寄っていく。。。 このシーンを長回しでずーーーと見せていくのが本当にすごい!! 涙袋のような小細工は一切使わずに、じわじわと涙が出る様子をとらえているのですから、、。綾野剛もすげぇけど、撮影した人もすごいよこれ!!
まとめ
今年暫定ベストの大傑作であること間違いなし、本当に満足できた作品でした。
後編で失速したように感じてしまった人は、是非監督の伝えたかったことを考えてみてください。そのためには必要な尺だったのではないでしょうか。
このクオリティ、あと二か月前くらいに公開していれば、今年の日本アカデミー賞は席巻していたと思います。
おそらく来年の日本アカデミー賞に間違いなく食い込んでくる作品でしょう。
そして、私の年間ベストにも食い込んでくる作品となりました!!
今年、暫定ベスト!!
おススメです!!
97点 / 100点