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映画「BLUE ブルー」ネタバレあり感想解説と評価 夢見てた、いつかの自分が、そこにいた。

 
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この記事では、「BLUE ブルー」のネタバレあり感想解説記事を書いています。
 
 目次
 

まえがき

 

 

今回批評する映画はこちら

 

「BLUE ブルー」

待望の吉田恵輔監督作品。
 
これまでも監督の新作が公開されると初日に鑑賞し、そしていつも、心をえぐられる程のダメージを受けてきた。どの作品も、映画を見る前と後では別人の自分がそこにいるような気がしてならない。
 
つまり傑作ばかりを贈りだしている素晴らしい監督なのだが、いつも心が平静でいられない。本作を見て、私の心はどれほど動かされるだろうか。
 
ボクシング映画ということで、最近は「アンダードッグ」を鑑賞した。吉田監督曰く、邦画でボクシング映画を作ることは困難を極めるらしく、役者がケガをしたり役作りのコストが掛かるとのこと。
「アンダードッグ」は単に映画としてではなく、アベマのドラマとしても放送されており、それで予算を確保したのではないか、という考察を監督は行っていた。
 
つまり、本作がいかに稀有な映画なのか、分かっていただけただろうか。

 

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監督自身が長らくボクシング映画を続けているらしく、彼自身の投影がなされているに違いない。しかもオリジナル脚本ということで、もう期待しかない。 

  

それでは「BLUE ブルー」ネタバレあり感想解説と評価、始めます。

 

 

 

 
 

あらすじ

  
「ヒメアノ~ル」「犬猿」の吉田恵輔監督によるオリジナル脚本で、ボクシングに情熱を燃やす挑戦者たちの熱い生き様を描いたドラマ。ボクサーの瓜田は誰よりもボクシングを愛しているが、どれだけ努力を重ねても試合に勝てずにいた。一方、瓜田の誘いでボクシングを始めた後輩・小川は才能とセンスに恵まれ、日本チャンピオンに王手をかける。かつて瓜田をボクシングの世界へ導いた初恋の女性・千佳は、今では小川の婚約者だ。強さも恋も、瓜田が望んだものは全て小川に奪われたが、それでも瓜田はひたむきに努力し続ける。しかし、ある出来事をきっかけに、瓜田はこれまで抱えてきた思いを2人の前で吐露し、彼らの関係は変わり始める。松山ケンイチが主演を務め、後輩ボクサーの小川を東出昌大、初恋の人・千佳を木村文乃、新人ボクサーの楢崎を柄本時生が演じる。

 

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「BLUE ブルー」のネタバレありの感想と解説(全体)

 

 
 
 
 

ボクシング映画のセオリーを完全に破壊

 
吉田監督自身、長年ボクシングを続けていることもあり、生々しくリアルなボクシング描写が描かれた大傑作。
 
ほとんどのボクシング映画は、ボクシングを通じて夢を掴む・人生の目標を達成するだとか、ボクシングを何かに例える。
 
しかし本作は、徹頭徹尾ボクシングの映画だ。ボクシング自体が目的になっている映画だと言っても良い。
 
その証左に本作は、通常のボクシング映画ではありえないラストが用意されている。
 
松山ケンイチ演じる主人公・瓜田は弱いボクサー。熱意もある、努力もする。しかし、芽が出ない。いわゆる「持たざる者」である瓜田は、それでも必死にボクシングを続ける。
 
そんな瓜田を、映画でどう描くべきなのか。普通なら、少年漫画のように強くなり強敵を打ち破るのが、ボクシング映画のセオリーのような気がしていた。
 
本作は、そんなセオリーを見事に破壊し、我々の眼前に、リアリズムというストレートを叩きつけた。
 
映画ならではのマジックは決して起こらない。あるのはただ、現実のみ。
映画を見ている間は思い出したくもない現実の光景を、本作は容赦なく見せる。
 
瓜田が最後の最後まで芽が出ずに、後輩の小川はもちろん、新人の楢崎にまで追い越されそうな、絶望的とも思われる展開が待っている。
 
恐らく彼は、映画の序盤からあまり成長していない。何もかも変わっていない。
だが、変わる努力は常にしている。が、心が付いていかない。
 
木村文乃と会話するシーンを思い返すだけで、涙があふれてくる。なぜだ、なぜこうも現実は厳しいんだ。
 
映画の神様よ、どうか瓜田を救ってやってくれ。心の中でずっと願っていた。
 
とにかく、ボクシング映画のセオリーから完全に逸脱した、ボクシング映画史に残る結末だろう。
 

まるで「レスラー」のボクシング版を見ているような、泥臭くも愛おしい男の映画だった。 

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ラストの解釈は、監督の人生に通じる?

 
実は瓜田の結末について。
望みは薄いことは分かっていても、最後の最後まで瓜田が好転することを願っていた。
 
しかし、さすがは吉田監督。「犬猿」の冒頭のように、誰もが「きょぉぉうかぁん!」する映画を撮ろうとしない。
あるのは徹底的なリアリズムと、的確な演出力だけだ。
 
瓜田があのような結末を迎えた理由については、おそらく監督自身の経験も多く反映されているように感じる。
 
吉田監督はボクシングを長年続けており、監督になった今でも試合に出ることがあるという。
間違いなく自身のボクシング経験が本作に活かされてるはずであり、おそらく瓜田に自分を重ねているのではないか?
 
 
映画監督でありながら、現役でボクシングを続ける監督。おそらく、ロケの合間でもシャドーボクシングをしているに違いない。
つまり本作のラストは、自分が普段行っている練習光景を描いたものではないかと感じてしまう。
 
監督も瓜田と同じく、ボクシングを目指すもプロで活躍するレベルまでは至らなかった人物。(監督のボクシング成績をよく知らないのに、勝手言ってすみません)
 
ボクシングを愛するもボクサーとしては生きていけなかった。でも未だにボクシングが好きで好きでたまらない。
 
そんな自身のこれまでの体験とこれからの意志表明が、作品として昇華したのではないか。
 
 

夢見てた、いつかの自分が、そこにいた。

 
吉田監督の作品は、常に何かに憑りつかれた男を描いてきた。
そして、憑りつかれた原点は必ずと言っていいほど、幼少期に刻まれたトラウマが原因だった。
 
・「なま夏」では、とある女子高生のことを、憑りつかれたように偏愛
・「メリちん」では、放尿に憑りつかれた青年
・「さんかく」では、自分よりも一回り以上年下の女性
・「ヒメアノ~ル」では、友情・愛情・努力を失った守田
 
などなど、一種病的とも思える主人公たちは、どこか自分に通じる点がある。
 
話は変わるが、
私自身、何かに憑りつかれたように何かに打ち込み、夢を見ていた時期がある。
 
かつて自分は研究者、ひいては大学教授を目指していたことがあり、博士課程に入ってからは、憑りつかれたように論文を書き、日々の努力を欠かさなかった。
瓜田と同じく、日曜日以外は研究のために時間を費やした。
 
しかし、当たり前だが教授になりたい人間などゴマンといる。上には上がいる。
 
教授の道を進もうとする中で、とある素質がないことに、途中から気づいた。
 
それは、話す力だ。
 
教授は、ひいては研究者は研究だけが出来ればよい。研究をして、書く力があればそれでいい。
後は何もいらない。
 
しかし、そんな時代は、完全に終わっていた。
 
残念ながら、大勢の前で話す力が、私には完全になかった。
 
才能とかそういうレベルではないが、とにかく私は、自分のなりたい者に対して完全に素質がないことが、くしくも途中で分かってしまった。
 
研究の調子が良い時も、悪い時も、劣等感を抱きながら研究に前を向くしかなかった。
 
就職も決まらず卒業もできず、必然的に大学に長い間在籍することになった。
 
大学というものは残酷で、会社とは違ってすぐに同期が卒業してしまう。
 
同期が卒業した後は、残ったのは後輩だけだった。
もちろん、後輩とは仲良くしていたし、大好きだった。
 
しかし、瓜田と同じく、後輩に関しては穏やかではない感情も抱いていた。
 
後輩が自分を差し置いて、次のステップに進むことだった。
 
大企業に内定が決まり、人生の次のステップに進んだ後輩を、この目で何度も見た。
卒業してから結婚し、その報告をするために研究室を訪れてきた後輩と何度も何度も会った。
 
後輩が活躍してくれるのは嬉しい。結婚するのも嬉しい。
しかし、そんな嬉しさとは裏腹に、妬みや嫉みや悲しさや苦しみが自分の心に押し寄せてくる。
 
なぜ自分だけ、時が止まっているんだ。なぜ自分だけ、次に進めないんだ。

 

しかし、ぶっきらぼうな態度を後輩に取りたくない。雰囲気を壊したくないし、何より後輩が好きだから。人間が好きだから。

 

だから私は瓜田のように、いつもヘラヘラと笑っていた。

 

後輩からは、「絶対どこか拾ってくれますよ」とか「教授になれますよ」とか、励ましの言葉をいくつも貰った。

 

しかし、その声は耳には届いても心には届いてなかった。

 

自分には向いてないことが、自分で一番わかっているからだ。

 

苦しかった。誰にも相談できる人がいなかった。

 

しかし、途中で辞めることは、出来なかった。ただひたすら、成果が出ないかもしれないが、やるしかない。

 

瓜田がボクシング以外に何も見えなくなったように、私も研究以外何も見えてなかった。

 

論文の成否が人生の成否だと本気で信じていた、数年間。

あの頃の自分は、まさしく瓜田だった。

 

吉田監督と自分には、あまり接点がないと思っていたが、まさか本作で共通点を見出せるとは。

 

監督、これからも一生ついていきます。

 

 

まとめ

 

松山ケンイチはこの役のために2年間もの役作りを行っていたというが、本作を見た後では、これがいかに大変な仕事だったのかがよく分かる。

 

そして、泣けて仕方がない。間違いなく、本作を引き受ける前に脚本は読んでるはずだ。そして、役作りがどのように映画に反映されるかも、分かっていたはずだ。

 

それなのに、なぜだ。なぜこの役を引き受けたのか。役者という生き物の恐ろしさと、素晴らしさを同時に感じている。

 

泣けて泣けて泣けて、仕方がない。

 

松山ケンイチには是非ともアカデミー主演男優賞を!

 

99点 / 100点 

 
関連画像

 

 

 
 
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